山田怜司アナをテレビで見て、「高校や大学はどこなんだろう?」「学生時代はどんな人だったの?」と気になった人もいるのではないでしょうか。
2023年にKRY山口放送へ入社し、2026年7月からはUX新潟テレビ21で活動している山田怜司アナ。
現在の公式プロフィールでは、新潟県阿賀野市の旧水原町出身であることも明かされています。約8年ぶりに故郷の新潟へ戻ってきたそうです。
先にポイントをまとめると、山田怜司アナの学校名は公表されていない部分が多いです。
- 小学校・中学校の校名は、公式には確認できない
- 高校は「新潟明訓高校」とする情報があるものの、公式な裏付けは確認できない
- 大学名も公表されていない
- 一方で、部活や学生時代のエピソードはかなり詳しく分かっている
高校については「新潟明訓高校」という情報がありますが、本人や所属局が公表したものではありません。
大学名についても、現在確認できる公式情報では明らかになっていません。
一方で、小学5年生でサッカーの全国大会へ出場したり、高校では将棋部に入ったり、大学では浅草で人力車を引いたりと、学生時代のエピソードはかなり豊富です。
学校名だけを追うよりも、むしろ「どんな学生生活を送っていたのか」を見ていくと、現在の山田怜司アナらしさが分かりやすくなります。
この記事では、山田怜司アナの高校や大学を中心に、確認できている情報と、まだ分からない情報を分けながら詳しく見ていきます。
山田怜司アナの学歴を一覧でチェック
まずは、山田怜司アナの学歴について分かっていることを整理してみましょう。
KRY山口放送時代の公式プロフィールには、小学校から大学までの部活やサークルについて詳しく書かれていました。学校名は明かされていませんが、どんな学生生活を送っていたのかはかなり具体的に分かります。
| 学校 | 学校名 | 分かっていること |
|---|---|---|
| 小学校 | 公表を確認できず | サッカー、5年生で全国大会出場 |
| 中学校 | 公表を確認できず | サッカー |
| 高校 | 公式には未公表 | 将棋部 |
| 大学 | 公表を確認できず | フットサル、人力車のアルバイト |
- 小学校と中学校ではサッカーに取り組んでいた
- 小学5年生のときにはレギュラーとして全国大会へ出場した
- 高校では将棋部に所属していた
- 大学ではフットサルサークルに所属していた
- 大学時代には浅草で人力車を引き、1,000人以上を案内した
こうして見ると、学校名そのものは分からなくても、学生時代の姿はかなりイメージできますね。
小さい頃は本格的にサッカーへ打ち込み、高校では将棋、大学ではフットサルと人力車。
ひとつのことだけを続けるというより、その時々で興味を持ったことへ飛び込んでいくタイプだったようです。
山田怜司アナの出身高校はどこ?
山田怜司アナの学歴で、とくに気になるのが高校ではないでしょうか。
ネット上では「新潟明訓高校」という学校名が出てきます。ただ、ここは少し慎重に見たほうがよさそうです。
公式プロフィールで確認できるのは「高校では将棋部に所属していた」というところまでで、学校名そのものは明記されていません。
新潟明訓高校という情報はある
山田怜司アナについて調べると、新潟明訓高校出身と紹介している個人ブログが見つかります。
そのブログには「新潟県出身。新潟明訓高校」と記載されています。
ただし、新潟明訓高校という情報は本人やテレビ局が公表したものではありません。
KRY山口放送時代の公式プロフィールには「高校…将棋部」とだけあり、新潟明訓高校という学校名は書かれていません。現在のUX新潟テレビ21のプロフィールにも、高校名の記載はありません。
そのため、現時点では「新潟明訓高校出身とする情報はあるものの、公式には確認できていない」という捉え方がいちばん自然です。
ネットでは一度出たプロフィール情報が別のサイトへ転載され、そのうち「確定情報」のように見えてしまうことがあります。
山田怜司アナの場合は、本人や所属局から学校名が発表されるまでは、候補のひとつとして見るくらいがよさそうですね。
高校時代は将棋部だった
高校名は分かっていませんが、高校時代に将棋部へ所属していたことは公式プロフィールで確認できます。
しかも、最初から将棋をやりたかったわけではないそうです。
山田怜司アナは当時、囲碁を題材にした漫画を読んで囲碁に興味を持ちました。
そこで囲碁部へ入ろうとしたものの、学校には囲碁部がなかったとのこと。
それならばと選んだのが、将棋部でした。
小学校と中学校ではずっとサッカーをしていたので、高校で一気に文化部へ変わったことになります。
スポーツ一筋だった少年が、漫画をきっかけに盤上競技へ飛び込んでいく。この切り替え方は、なかなか面白いですよね。
「希望していた部活がないならやめる」のではなく、似た世界に興味を広げてみるところには、山田怜司アナの好奇心の強さが感じられます。
現在のUXプロフィールを見ても、旅やマラソン、登山、キャンプ、サッカー、スポーツ観戦、盆栽、タイ料理、ビリヤニなど、趣味の幅はかなり広めです。
もちろん、部活だけで性格を決めることはできません。
それでも高校時代のエピソードを知ると、興味を持ったものを気軽に試してみる姿勢は、今にも続いているのかもしれませんね。
小中学校のサッカーから将棋へ転身
高校時代の将棋部が印象的なのは、それまで山田怜司アナがかなり本格的にサッカーをしていたからです。
小学校と中学校ではサッカーに取り組み、小学5年生では全国大会まで経験しています。
そこから高校では将棋。かなり大きな方向転換です。
一方で、大学になると再びフットサルを始めています。
ずっと同じものを続けるというより、その時に面白いと感じたことを楽しみながら、自分の世界を広げていった学生生活だったのかもしれません。
この柔軟さは、ニュースからスポーツ、地域情報まで幅広いテーマと向き合うアナウンサーの仕事とも相性がよさそうです。
山田怜司アナの大学はどこ?
高校と同じくらい、「大学はどこ?」と気になる人も多いと思います。
ただ、大学についても学校名そのものは公表されていません。
その一方で、大学時代の過ごし方はかなり具体的に明かされています。
フットサルサークルに所属しながら、浅草では人力車の車夫として働いていたという、かなり活動的な学生生活だったようです。
大学名は公表されていない
KRY時代の公式プロフィールでは「大学…フットサルサークル」と紹介されています。
つまり、大学へ進学していたこと自体は確認できます。
ただし、そこに大学名はありません。
現在のUX新潟テレビ21のプロフィールにも、出身大学は掲載されていません。
浅草でアルバイトをしていたから、東京の大学だった?
そう考えたくなりますが、アルバイト先だけでは大学の所在地までは分かりません。東京近郊から通っていた可能性もありますし、大学とアルバイト先が同じエリアだったとも限りません。
そのため、現時点で「山田怜司アナは○○大学卒」と言い切れるだけの公式情報は見当たりません。
大学名については、本人や所属局から新しい情報が出るまでは「非公表」と考えておくのがよさそうです。
大学ではフットサルサークルに所属
大学ではフットサルサークルに所属していました。
ここで、子どもの頃に続けていたサッカーに近いスポーツへ戻ったことになります。
大学のフットサルがどのくらい本格的な活動だったのかまでは分かっていません。
ただ、2026年現在も山田怜司アナはサッカーを趣味として挙げています。
UX移籍後の2026年8月には、アルビレックス新潟の練習取材で現場リポートも担当していました。
小学生の頃から好きだったサッカーが、今では仕事の現場でもつながっているわけですね。
競技者としてボールを追っていた頃とは立場が違いますが、スポーツを知っているからこそ感じ取れる空気もありそうです。
大学時代は浅草で人力車を引いていた
山田怜司アナの大学時代で、いちばん印象に残るのは人力車のアルバイトかもしれません。
KRY時代の公式プロフィールによると、東京・浅草で人力車の車夫として働いていました。
しかも案内したお客さんは1,000人以上。
北海道から沖縄県まで、全国各地から訪れた人を乗せていたそうです。
人力車の仕事は、車を引くだけではありません。
観光客と会話しながら、浅草の名所や街の魅力を伝えることも大切な仕事です。同じ説明を繰り返すだけではなく、相手の興味や反応に合わせて話題を変える場面もあります。
家族で来た人、友人同士で来た人、初めて東京を訪れた人。
相手によって興味のあることも違います。
1,000人以上を案内してきたということは、それだけ多くの初対面の人と向き合い、その場で会話を重ねてきたということでもあります。
これは、山田怜司アナの学生時代を考えるうえでかなり大きな経験だったのではないでしょうか。
人力車の経験は現在の仕事にも重なる
山田怜司アナ本人が「人力車の経験がアナウンサーになるのに役立った」と語っているわけではありません。
そのため、直接のきっかけだったと断定することはできません。
ただ、人力車の仕事とアナウンサーの仕事を比べてみると、似ているところはいくつもあります。
- 初めて会った人にも自然に話しかける
- 相手の反応を見ながら会話を変える
- 知っている情報を分かりやすく伝える
- その場所ならではの魅力を言葉にする
- 自分自身も動きながら相手を楽しませる
街頭インタビューや現場中継にも、そのまま重なる部分がありますよね。
大学生のうちから、知らない人へ話しかけて、その人に合わせて情報を届ける経験を何度も重ねていたことになります。
KRY入社後のラジオ番組では、山田怜司アナについて「ストレートで気持ちいい」と受け止められていたことも紹介されています。
新人時代から、飾りすぎずに自分の言葉で話す雰囲気があったようです。
人力車でたくさんの人と接してきた時間も、そんなコミュニケーションの土台のひとつになっているのかもしれません。
小学校と中学校ではサッカーに夢中だった
小学校や中学校についても、校名そのものは公表されていません。
ただ、当時の部活動についてはかなりはっきりしています。
小学校から中学校まではサッカーを続けており、とくに小学生の頃は全国大会まで経験しています。
高校や大学だけではなく、この少年時代までさかのぼってみると、山田怜司アナの行動的な一面がよく分かります。
小学5年生でサッカーの全国大会へ出場
山田怜司アナは小学5年生のとき、サッカーの全国大会に出場しています。
しかも本人のプロフィールでは、「レギュラーとして」出場したことまで明かされています。
全国大会に出場するチームで試合に出ていたのであれば、かなり真剣にサッカーへ取り組んでいたのでしょう。
練習を続けるのはもちろん、チームの中で自分の役割をつかむ必要もあります。
今の明るく親しみやすい雰囲気だけを見ると、最初から「話すことが得意な人」という印象を持つかもしれません。
でも、その前にはスポーツへ打ち込んでいた少年時代がありました。
うまくいかない日があっても練習を続けたり、仲間と一緒に試合へ向かったりした経験は、現在の粘り強さにもどこかでつながっていそうですね。
中学校でもサッカーを続けていた
中学校でも、そのままサッカーを続けています。
小学校だけの一時的な習い事ではなく、長く続けていたスポーツだったことが分かります。
その後、高校では将棋部へ移りますが、大学ではフットサルを始めています。
そして社会人になった現在も趣味はサッカー。
途中で形は変わっても、サッカーとの縁はずっと続いています。
2026年には、地元クラブであるアルビレックス新潟の練習を取材する側になりました。
小学生の頃には自分がピッチを走り、今はアナウンサーとして選手たちの様子を伝えている。
長く好きだったものが仕事にもつながっているのは、少し感慨深い流れですね。
出身地は新潟県阿賀野市の旧水原町
現在のUX公式プロフィールでは、山田怜司アナの出身地は「阿賀野市(旧水原町)」と紹介されています。
KRY時代のプロフィールでは出身地が「新潟県」となっていましたが、地元局へ移ったことで、より詳しい地域まで分かるようになりました。
ただし、阿賀野市出身だからといって、小学校や中学校まで推測するのは避けたいところです。
出身地と通っていた学校が必ず一致するとは限りません。
そのため、小学校名と中学校名についても、今のところ「公式な公表は確認できない」というのが答えになります。
一方で、故郷について本人が語る機会は増えています。
2026年にUXへ入社した際には、約8年ぶりに新潟へ帰ってきたことを明かし、故郷の景色への懐かしさと、新しく見つける魅力の両方について触れています。
学生時代に一度地元を離れたからこそ、新潟を外から見る時間もあったのでしょう。
今はその新潟を、自分自身が伝える側になっています。
大学時代にはアナウンサーになる準備も進めていた
大学名は分かっていませんが、山田怜司アナがアナウンサーを目指す過程については、もう少し手がかりがあります。
アナウンススクールの実績ページに名前が掲載されているためです。
フットサルや人力車だけではなく、大学生活のどこかで「話す仕事」へ向かって準備を進めていたことが分かります。
TBS Voiceとテレビ朝日アスクの実績に名前が掲載
TBSのアナウンススクール「TBS Voice」が公開している2023年の内定実績には、山口放送の内定者として「山田怜司さん」の名前があります。
また、テレビ朝日アスクの2023年度合格者一覧でも、山口放送の欄に山田怜司さんが掲載されています。
大学で普通の学生生活を送りながら、アナウンサー採用に向けた準備も進めていたことになります。
ただ、「いつからアナウンサーを目指していたのか」「どんな出来事がきっかけだったのか」というところまでは、今回確認できる公式情報では詳しく分かっていません。
ここは無理に物語を作らず、分かっているところまでにしておくのがよさそうです。
それでも、人力車で1,000人以上と接していた学生が、その後アナウンススクールで学び、実際に放送局へ入社した流れを見ると、話すことや人と関わることへの関心はかなり強かったのではないかと感じます。
人とのやり取りを重ねた大学生活
大学時代の経験を並べてみると、教室の中だけで完結する学生生活ではなかったことが分かります。
フットサルでは仲間と体を動かし、人力車では毎日のように初対面のお客さんと接する。
その一方で、アナウンサーになるための準備も進めていました。
こうした経験は、それぞれ別々のようでいて、今の仕事から振り返ると少しずつつながっています。
アナウンサーは原稿を読むだけではありません。
取材相手から話を聞いたり、突然起きたことをその場で伝えたり、スポーツの熱気を言葉にしたりする場面もあります。
山田怜司アナの大学生活には、そうした仕事に必要になる「人と話す」「動く」「その場で考える」という経験がたくさん含まれていたようです。
山田怜司アナの経歴は山口から故郷の新潟へ
大学を卒業した後、山田怜司アナは2023年4月にKRY山口放送へ入社しました。
そして2026年6月まで山口で活動した後、同年7月からUX新潟テレビ21へ。現在の公式プロフィールにも、この経歴が掲載されています。
新潟で育ち、県外で学生生活を送り、山口でアナウンサーとして経験を積み、再び故郷へ戻るという流れになっています。
小学校〜中学校
サッカーに取り組み、小学5年生では全国大会へ出場。
高校
囲碁への興味をきっかけに将棋部へ。
大学
フットサルサークルに所属。浅草で人力車を引き、1,000人以上を案内。
2023年4月
KRY山口放送へ入社。
2026年7月
UX新潟テレビ21へ移り、故郷の新潟で活動を開始。
2023年にKRY山口放送へ入社
2023年、山田怜司アナはKRY山口放送のアナウンサーになりました。
アナウンススクールの内定実績にも山口放送の名前とともに掲載されているため、学生時代から目指してきた仕事に就いたことが分かります。
KRYの公式プロフィールでも、新潟県出身の新人アナウンサーとして紹介されました。
そこで公開されたのが、小中学校のサッカー、高校の将棋部、大学のフットサル、人力車といった学生時代のエピソードです。
どれも少しずつジャンルが違うので、一つだけを見るより全部並べたほうが山田怜司アナらしさが伝わってきます。
スポーツに打ち込む一面がありながら、将棋にも興味を持つ。
大学では体を動かしつつ、人力車で知らない人とどんどん話す。
その経験を持って、今度はアナウンサーとして地域の人たちに会いに行く仕事を始めたわけです。
2026年7月からUX新潟テレビ21へ
山口放送で約3年間経験を積んだ後、山田怜司アナは2026年7月からUX新潟テレビ21で活動しています。
UX公式プロフィールでは、2026年入社と掲載されています。
SNS欄にも「山口放送 2023.4〜2026.6」「新潟テレビ21 2026.7〜」と記載されており、経歴の時期も確認できます。
山田怜司アナにとって、新潟は生まれ育った故郷です。
本人によると、新潟へ戻るのは約8年ぶり。
変わらない景色を懐かしく感じる一方で、離れていたからこそ新しく気づく魅力もあると語っています。
子どもの頃にサッカーをしていた場所へ、今度はアナウンサーとして戻ってきたことになりますね。
約8年ぶりの新潟帰郷から学歴は分かる?
UXのプロフィールにある「約8年ぶりにふるさと新潟に帰ってきました」という言葉を見ると、「では高校卒業後に新潟を離れたの?」と考えたくなるかもしれません。
2026年から約8年前なら、単純に考えると2018年前後です。
大学進学の時期とも重なりそうですが、ここは少し注意が必要です。
2018年前後に新潟を離れた可能性はある
「約8年ぶり」という本人の言葉をそのまま受け取れば、2018年前後から新潟県外で生活していた可能性は考えられます。
そして大学時代には東京・浅草で人力車をしていました。
そのため、「高校を卒業して県外の大学へ進学したのでは」と考えるのは自然です。
ただ、これはあくまで時期から考えられる可能性です。本人は「2018年に高校を卒業した」「大学進学と同時に新潟を離れた」とまでは話していません。
高校卒業年や大学入学年を確定情報として書くには、もう一つ根拠が必要になります。
学歴を調べていると、年齢や時期を組み合わせて答えを埋めたくなるものですが、ここは空白のまま残しておくほうが正確ですね。
大学が東京にあったとも断定できない
浅草で人力車をしていたという情報から、「大学も東京都内だったのでは?」と思う人もいそうです。
これも可能性としては考えられますが、確定はできません。
大学生がアルバイト先まで電車で移動することは珍しくありませんし、首都圏の別の県にある大学へ通っていた可能性もあります。
公式情報で分かっているのは、「大学に通っていたこと」「フットサルサークルに所属していたこと」「浅草で人力車を引いていたこと」までです。
大学名や所在地については、そこから先を推測で埋めないほうがよさそうです。
山田怜司アナの学歴から見える人柄
学校名そのものより、学生時代のエピソードが印象に残る山田怜司アナ。
ひとつひとつ見ていくと、現在の仕事につながっていそうな部分もあります。
ただし、ここで紹介するのはあくまで公開されている経験から感じられる傾向です。
学生時代の部活だけで性格を決めつけるのではなく、「こんな一面もありそうだな」というくらいで見ていくとよさそうですね。
好きなことを長く続けられる
まず感じられるのは、好きになったことを長く楽しめるところです。
小学校から中学校までサッカーを続け、大学ではフットサルへ。
社会人になった現在も、サッカーは趣味としてプロフィールに残っています。
小学5年生で全国大会へ出場するほど取り組んでいたので、子どもの頃から練習を積み重ねる力もあったのでしょう。
2026年には、今度はアナウンサーとしてアルビレックス新潟を取材しています。
ずっと好きだったスポーツを、違う立場から仕事として伝える。
山田怜司アナにとってサッカーは、学生時代だけの思い出ではなく、今も続いている大切なもののひとつなのでしょう。
新しいことにも入りやすい
その一方で、一つのものだけにこだわるタイプでもなさそうです。
高校では囲碁漫画を読んだことをきっかけに囲碁へ興味を持ち、囲碁部がなければ将棋部へ入っています。
大学ではフットサルをしながら、アルバイトは人力車。
現在の趣味も、スポーツだけではなく盆栽や料理までかなり幅広いです。
興味を持ったら、まずやってみる。
そんな軽やかさが感じられますね。
アナウンサーになってからも、ニュースやスポーツなど違う分野の現場へ出る仕事が多いため、この好奇心は強みになりそうです。
人と話すことを楽しめるタイプに見える
大学時代の人力車経験からは、人と接することへの強さも感じられます。
1,000人以上のお客さんを案内するには、毎日のように初対面の人と会話することになります。
もちろん、最初から得意だったのか、仕事を通じて少しずつ慣れていったのかまでは分かりません。
でも、それだけ多くの人を相手にした経験があることは確かです。
アナウンサーになれば、取材先でも初めて会う人と話す機会がたくさんあります。
相手との距離を短い時間で縮め、言葉を引き出していくことも仕事のひとつです。
人力車の経験と現在の仕事を直接結びつけることはできませんが、人と接する経験をたくさん積んでいたことは、今の仕事にも生きていそうですね。
山田怜司アナの学歴で間違えやすいところ
山田怜司アナについては、学生時代の情報が豊富なぶん、「ここまで分かっているなら学校名も分かるはず」と思いやすいかもしれません。
でも実際には、分かっている情報と分からない情報がかなりはっきり分かれています。
最後に、その境目をFAQ形式でもう一度整理しておきます。
山田怜司アナの学歴まとめ
山田怜司アナの学歴を調べてみると、学校名については意外と公表されていないことが分かりました。
小学校と中学校の名前は確認できず、高校については新潟明訓高校とする情報があるものの、公式な裏付けまでは取れていません。
大学名についても、現在確認できる公式情報では公表されていません。
- 小学校から中学校まではサッカーを続け、小学5年生で全国大会に出場
- 高校では将棋部に所属
- 大学ではフットサルサークルに所属
- 浅草で人力車を引き、1,000人以上のお客さんを案内
- アナウンススクールで準備を重ね、2023年にKRY山口放送へ入社
その後、山口放送で約3年間経験を積み、2026年7月からはUX新潟テレビ21へ移りました。
約8年ぶりに故郷・新潟へ帰り、今では地元のニュースやスポーツを伝える立場になっています。
こうして学生時代から順番に見ていくと、山田怜司アナは学校名そのものよりも、そこで積み重ねてきた経験が印象に残る人です。
全国大会まで進んだサッカー。
漫画をきっかけに飛び込んだ将棋。
大学で楽しんだフットサル。
そして、浅草で1,000人以上と向き合った人力車の仕事。
ジャンルはバラバラに見えますが、「興味を持ったことに自分から入っていく」という部分では、どこか一本につながっています。
現在のUX公式プロフィールで、山田怜司アナは故郷の新潟を自分の足で駆け回り、自分の目や耳で確かめながら情報を届けていきたいという思いを語っています。
子どもの頃からスポーツで走り、大学では人力車を引いて街を走り、今はアナウンサーとして新潟の現場を走る。学生時代を知ってからこの言葉を見ると、山田怜司アナらしさがより伝わってきますね。
出身高校や大学については、今後本人や所属局から新しい情報が明かされる可能性もあります。
現時点では、学校名を無理に決めつけるよりも、本人が実際に公表している学生時代の経験をたどることで、山田怜司アナがどんな道を歩んできたのかが、より自然に見えてきそうです。
