元フジテレビアナウンサーで、現在はフリーアナウンサーとして幅広く活動している中村仁美さん。
落ち着いた進行ぶりが印象的ですが、バラエティ番組では肩の力が抜けた素顔を見せることもあり、「どこの大学を出ているの?」「高校や中学はどこ?」「学生時代からアナウンサーを目指していたの?」と気になった人も多いのではないでしょうか。
中村仁美さんは、桐蔭学園中学校・高等学校を経て、お茶の水女子大学生活科学部を卒業しています。
お茶の水女子大学の公式サイトでも、卒業生として中村さんの名前が紹介されています。
ただ、学歴を学校名だけで見てしまうと、中村さんの学生時代は少し見えにくいかもしれません。
実は大学に入った頃は、アナウンサーになるつもりはありませんでした。興味を持っていたのは、建築やインテリア、住居に関わる分野です。
その後、希望していた研究室がなくなったことなどをきっかけに進路を考え直し、友人の一言からアナウンサーという仕事に興味を持つようになりました。
中学・高校では陸上部、大学ではテニスに夢中になり、卒業研究では化学分析にも取り組んでいます。
- 最終学歴はお茶の水女子大学生活科学部
- 中学・高校は桐蔭学園で、中高6年間は陸上部に所属
- 大学では住居学に関心を持ち、卒業研究では化学分析に取り組んだ
- アナウンサーを本気で目指したのは、大学時代のアナウンスセミナーがきっかけ
こうして見ていくと、「高学歴の元女子アナ」という一言では収まらない学生時代だったことがわかります。
中村仁美の学歴一覧
まずは、中村仁美さんの学歴をざっくり整理してみましょう。
大学、高校、中学については比較的はっきりした情報があります。一方、小学校名については複数の資料で紹介されているものの、現在の公式プロフィールでは確認できません。
そのため、確実に確認できる情報と、そうではない情報を分けながら見ていくのがよさそうです。
| 学校区分 | 学校名 | 学生時代のポイント |
|---|---|---|
| 大学 | お茶の水女子大学生活科学部 | 住居学に関心を持って進学 |
| 高校 | 桐蔭学園高等学校 | 陸上部に所属 |
| 中学校 | 桐蔭学園中学校 | 中学受験で進学、陸上部に所属 |
| 小学校 | 横浜市内の公立小学校とされる | 学級委員を経験 |
学生時代からフジテレビ入社までの流れを、時系列で追うとこんな歩みになります。
大阪府枚方市で生まれ、小学校入学頃まで大阪で過ごす
神奈川県横浜市へ移り、中学受験を経て桐蔭学園中学校へ
桐蔭学園高等学校へ進み、中高6年間にわたって陸上部に所属
お茶の水女子大学生活科学部へ進学。住居学に関心を持ち、卒業研究では化学分析にも取り組む
就職活動の頃にアナウンサーという仕事を知り、2002年にフジテレビへ入社
こうして並べてみると、勉強だけをしてきた学生ではなかったことがよくわかります。
中学・高校では陸上、大学ではテニスと、スポーツにもかなり熱心でした。その一方で大学では理系分野を学び、最後は研究論文まで仕上げています。
中村仁美の出身大学はお茶の水女子大学生活科学部
中村仁美さんの最終学歴は、お茶の水女子大学生活科学部です。
お茶の水女子大学の公式サイトにも卒業生として掲載されているため、大学についてははっきり確認できます。
一部では「生活科学部生活環境学科」と紹介されることもあります。
ただ、現在の大学公式ページでは学科名までは記載されていません。そのため、確実な表現としては「お茶の水女子大学生活科学部卒業」としておくのが自然です。
中村さんの大学時代を詳しく見てみると、現在のアナウンサーという仕事とはかなり違う方向を見ていたことがわかります。
お茶の水女子大学には住居学を学ぶために進学
中村仁美さんは、大学に入った頃からアナウンサーを目指していたわけではありません。
本人は後のインタビューで、住居学を学ぶためにお茶の水女子大学へ進んだと話しています。
将来についても、建築やインテリアに関係する仕事を考えていたそうです。
現在の姿からは少し意外に感じますよね。
テレビに出る仕事を早くから目指していたのではなく、むしろ人の暮らしや住まいに関わる分野に興味を持っていた学生でした。
そのため、中村さんの大学進学とアナウンサー就職の間には、かなり大きな方向転換があります。
最初からゴールが決まっていたわけではなく、大学生活の中で進む道が少しずつ変わっていったようです。
希望していた研究室がなくなり進路に迷った
大学生活の途中で、中村さんにとって大きな変化がありました。
大学4年生になって研究室へ入る頃、希望していた研究室がなくなってしまったそうです。
住居学を学ぶために大学へ進んでいただけに、「これからどうしよう」と迷う時期になりました。
本人も、その頃はいったん目標を見失ったと振り返っています。
進路を探す中では、さまざまなアルバイトも経験しました。
当時の通産省で事務のアルバイトをしたこともあり、そこでコーヒーメーカーの扱いに失敗したというエピソードまで明かしています。
今では生放送や大きな番組を落ち着いて進行する中村さんですが、大学生の頃は自分に合う仕事を探して試行錯誤していたんですね。
こうした話があると、少し身近に感じられます。
卒業研究は「茜含有色素のHPLCによる化学的分析」
中村仁美さんの大学時代については、かなり興味深い資料も残っています。
お茶の水女子大学附属図書館に残る卒業論文梗概には、中村仁美さんの名前とともに、「茜含有色素のHPLCによる化学的分析」という卒業研究の題名が掲載されています。
英語では「Chemical analysis of natural dyes by HPLC」とされています。
HPLCは「高速液体クロマトグラフィー」と呼ばれる分析方法です。少し難しく聞こえますが、簡単にいえば、いくつもの成分が混ざった試料を分けながら、それぞれにどんな物質が含まれているのかを調べる方法です。
中村さんは、茜という植物由来の天然染料に含まれる色素について、こうした方法を使って研究していました。
テレビで見る姿からはなかなか想像しにくいかもしれません。
学生時代には、白衣を着て化学分析に取り組むような研究生活も送っていたわけです。
スポニチでも、中村さんについて「女子アナには珍しく理系の研究室に籍を置いた」と紹介されたことがあります。
住居学に興味を持って大学へ進み、研究室の事情で予定が変わりながらも、最後はしっかり卒業研究を仕上げています。
思い描いていた通りにいかなくても、その場でやるべきことに向き合う中村さんらしさが、この頃から見えていたのかもしれません。
第一志望は東京工業大学だったという情報も
中村仁美さんの大学受験について調べると、「第一志望は東京工業大学だった」と紹介されることがあります。
過去のテレビ出演をもとにした複数の記事では、東京工業大学を志望していたものの、最終的にお茶の水女子大学へ進学したとされています。
センター試験の科目や点数について詳しく書かれている記事もあります。
ここは少し注意したいところです。
現在確認できる大学公式の資料や近年の本人インタビューでは、そこまで細かな受験事情は確認できません。そのため、「東京工業大学が第一志望だったと伝えられている」というくらいに受け止めておくのがよさそうです。
一方で、中村さんが理系寄りの分野に強く興味を持っていたことは、本人の発言や大学での研究内容からも確認できます。
東京工業大学志望というエピソードを抜きにしても、理系的な興味を持つ学生だったことは十分伝わってきます。
大学時代はテニスにかなり夢中だった
中村仁美さんというと、知的で落ち着いた印象があります。
ところが大学時代について本人は、「テニスしかしていなかった」と振り返るほど、テニスに熱中していました。
日焼けもかなりしていて、髪の色も明るくなっていたそうです。
そのため、後にアナウンサー試験を受けた時には、周囲から「あの子は受からないのでは」と思われることもあったといいます。
アナウンサー志望の学生と聞くと、服装やメイクまで早くから研究しているイメージがあるかもしれません。
でも、中村さんはかなり違いました。
大学生活ではスポーツに夢中で、アナウンサーになるための準備を何年も続けていたわけではありません。
現在の公式プロフィールでも、趣味にはテニスと読書が挙げられています。
大学時代に親しんだテニスは、その後も中村さんの生活に残っているようです。
- 住居学に興味を持って大学へ進学した
- 大学ではテニスに熱中していた
- 希望していた研究室がなくなり進路に迷った
- 天然染料の色素を分析する卒業研究に取り組んだ
- 就職活動の時期になってからアナウンサーという仕事を知った
ずっと同じ目標に向かって進んできたわけではありません。
迷ったり、予定が変わったりしながら、自分の進む道を探していた大学4年間だったようです。
中村仁美の出身高校と中学は桐蔭学園
中村仁美さんは、桐蔭学園中学校から桐蔭学園高等学校へ進んでいます。
テレビ朝日やスポニチでも、桐蔭学園中学校・高等学校からお茶の水女子大学へ進学した経歴が紹介されています。
桐蔭学園と聞くと、現在の学校を思い浮かべる人も多いと思います。
ただ、中村さんが通っていた当時と現在では学校の仕組みが変わっています。
そこも少し押さえておくと、当時の学生生活がわかりやすくなります。
在学当時の桐蔭学園には女子部があった
現在の桐蔭学園は男女共学ですが、中村仁美さんが通っていた1990年代は違いました。
桐蔭学園には当時、女子部がありました。
学校公式の沿革によると、中学校・高校の女子部が設置されたのは1981年です。
その後、学校制度が変わり、高校は2018年度から男女共学へ。中等教育学校も2019年度から男女共学になっています。
中村仁美さんが在籍した当時は、現在とは違う男女別学の時代です。
今の桐蔭学園の学校案内だけを見ると少しわかりにくいので、当時と現在は分けて考えると理解しやすいですね。
中学受験をして桐蔭学園へ進学
中村仁美さんは、中学受験を経験しています。
本人は後のインタビューで、小学生の頃には学級委員を務め、中学受験も頑張ったと話しています。
子どもの頃の自分については、「何でもできる」という自負があったそうです。
この感覚は、後にアナウンサーを目指すきっかけともつながっていきます。
大学時代のアナウンスセミナーで、自分だけ課題ができなかった時、中村さんはかなり強いショックを受けました。
それまで「やればできる」と感じていたからこそ、できないことが余計に悔しかったのでしょう。
中学受験の経験そのものがアナウンサーの仕事につながったわけではありません。
ただ、目標を決めて努力する感覚は、かなり早い時期から身についていたようです。
中学・高校の6年間は陸上部
桐蔭学園時代の中村仁美さんを知るうえで、外せないのが陸上部です。
中学校から高校までの6年間、陸上部に所属していました。
一時的に部活動を経験したというより、中高時代を通してスポーツにしっかり取り組んでいたことになります。
その後、大学ではテニスに夢中になります。
社会人になってからもマラソンを完走した経験があり、学生時代から運動との縁はかなり深かったようです。
- 中学校で陸上部に入る
- 高校でも陸上部を続ける
- 中高合わせて6年間、陸上競技に取り組む
- 大学ではテニスに熱中する
- 社会人になってからもマラソンに挑戦する
スポーツの世界では、努力したからといって毎回うまくいくわけではありません。
記録が伸びない時もあれば、思ったような結果が出ないこともあります。
後に中村さんがアナウンスセミナーで失敗した時、「もうやめよう」ではなく「できるようになりたい」と思ったところを見ると、こうした学生時代の経験ともどこか重なりますね。
桐蔭学園時代の友人や担任ともテレビで再会
中村仁美さんの学生時代は、テレビ朝日系の番組でも紹介されています。
『あいつ今何してる?』では、桐蔭学園時代の同級生や中学時代の担任が登場したこともありました。
当時の友人関係や学校生活を振り返る場面もあり、中村さんが桐蔭学園で過ごした日々を周囲の人の記憶から知ることができます。
学歴だけを見ると、どうしても「名門校を歩んだ優等生」という印象になりがちです。
でも実際には、友達と過ごし、恋愛も経験し、部活に打ち込む普通の中高生としての日々がありました。
大人になってから、昔の失敗や少し恥ずかしい話も笑いながら話せるところは、中村さんの親しみやすさにつながっている気がします。
中村仁美の小学校時代と大阪・横浜での生い立ち
中村仁美さんは1979年6月8日生まれです。
現在の所属事務所プロフィールでは神奈川県出身となっていますが、テレビ朝日の人物紹介では大阪府枚方市で生まれ、小学校入学頃まで大阪で過ごしたとされています。
その後、神奈川県横浜市へ移りました。
そのため、「大阪生まれ、横浜育ち」と考えるとわかりやすいですね。
中学以降は神奈川県の桐蔭学園へ進んでいるため、学生生活の多くは横浜周辺で送っています。
小学校は横浜市立永谷小学校とされている
中村仁美さんの出身小学校については、横浜市立永谷小学校と紹介する人物情報サイトが複数あります。
ただし、現在の所属事務所公式プロフィールや、お茶の水女子大学の公式資料などでは小学校名までは確認できません。
そのため、「横浜市立永谷小学校とされている」という表現にしておくのが自然です。
一方、小学生時代の性格については、本人が話しています。
小学校では学級委員を務めていたそうです。
その後は中学受験にも取り組んでいます。
人前に立つ仕事をする現在の姿を見ると、「やっぱり子どもの頃からそういうタイプだったのかな」と思う人もいるかもしれません。
ただ、中村さんは後に自分の短所として人見知りを挙げたこともあります。
学級委員をする積極性がありながら、人付き合いでは少し慎重なところもある。その両方を持っていたのかもしれませんね。
中村仁美がアナウンサーを目指したのは大学時代
中村仁美さんの学歴を見ていて、特に面白いのがアナウンサーを目指したタイミングです。
今では元フジテレビアナウンサーとして広く知られていますが、子どもの頃からテレビ局を目指していたわけではありません。
大学でも当初は住居学を学び、建築やインテリア関係の仕事を考えていました。
そこからアナウンサーへの道が始まったきっかけは、意外なくらい何気ないものでした。
友人の一言でアナウンサーという仕事を知った
大学3年生頃、就職を考え始めた中村さん。
その時、仲の良い友人から「アナウンサー試験を受ける」という話を聞きました。
そこで初めて、「そういう仕事もあるんだ」と興味を持ったそうです。
さらにちょうどその頃、テレビでアナウンスセミナーの募集CMを目にしました。
そして、「ちょっと行ってみようかな」という感覚で参加します。
人生を変える出来事というと、何か大きな決断があったように思ってしまいます。
でも中村さんの場合は、友人との会話と、たまたま見かけたテレビCMでした。
最初の一歩は、かなり自然なものだったんですね。
約100人の参加者の中で雰囲気が違っていた
アナウンスセミナーへ行ってみると、周囲には本気でアナウンサーを目指している学生がたくさんいました。
服装やメイクまで研究していて、「絶対にアナウンサーになる」という雰囲気だったそうです。
一方の中村さんは、大学でテニスに夢中。
日焼けもしていて、髪の色もかなり明るくなっていました。
アナウンサーになるための情報も、それほど集めていませんでした。
本人も、周囲とはかなり違ったと振り返っています。
それでも、約100人ほどいた参加者の中から、10人程度に絞られる上級クラスへ声をかけられます。
最初はサークルもあるため迷っていたそうですが、友人から「それは行った方がいい」と背中を押されて参加しました。
ここでも、周りの人の一言が中村さんの進路を少し動かしています。
課題ができず泣いたことで本気になった
中村仁美さんが本気でアナウンサーを目指すようになったのは、うまくいった時ではありません。
むしろ、うまくできなかった時でした。
上級クラスで出された課題を、中村さんだけがうまくこなせなかったそうです。
現役アナウンサーから厳しい言葉を受け、その場で悔しくて泣いてしまいました。
それまでの中村さんには、「自分は比較的何でもできる」という感覚がありました。
小学校で学級委員を経験し、中学受験にも挑戦してきました。
だからこそ、自分だけできないという状況がかなり悔しかったようです。
普通なら、そこで「向いていないのかな」と諦めても不思議ではありません。
ところが中村さんは逆でした。
「できるようになりたい」と思い、そこから本気でアナウンサーを目指し始めます。
本人によると、入社試験のおよそ1か月前だったそうです。
かなり遅いスタートですよね。
それでも最終的にはフジテレビのアナウンサー試験を突破しています。
うまくできなかったことが、「向いていない」という諦めではなく、「できるようになりたい」という気持ちに変わっています。このエピソードは、中村さんの負けず嫌いな一面をよく表していますね。
中村仁美は2002年にフジテレビへ入社
中村仁美さんは、お茶の水女子大学を卒業した2002年にフジテレビへ入社しました。
大学時代の途中まで建築やインテリアの仕事を考えていたことを思うと、かなり大きな進路変更です。
しかも、アナウンサーを本気で目指し始めた時期もかなり遅めでした。
それでも局アナとして採用され、その後15年ほどフジテレビで経験を積んでいきます。
ただ、入社したからといって、最初から華やかな仕事ばかりだったわけではありません。
新人時代は報道の現場からスタート
フジテレビ入社後、中村仁美さんは報道の仕事を担当しました。
『FNNスーパーニュース』ではフィールドキャスターとして現場に出て、取材した内容を生中継で伝えています。
スタジオから何を聞かれるかわからないため、現場では考えられる答えをいくつも準備していたそうです。
生放送で正確な情報を短時間に伝える仕事ですから、かなり緊張感のある現場だったはずです。
中継が終われば、スタッフと一緒にケーブルを巻いたり、機材を片づけたりすることもありました。
いわゆる「テレビに映る人」だけをやっていたわけではありません。
本人は、こうした報道現場を経験できたことで、華やかな世界に入っても勘違いせずに済んだという趣旨の話をしています。
学生時代から、周囲の華やかな女子アナ志望者とは少し違うタイプだった中村さん。
入社後も、まずは現場で一つずつ仕事を覚えていきました。
スポーツ番組からバラエティへ
中村さんはスポーツ番組にも関心を持っていました。
フジテレビでは『すぽると!』を担当し、希望していたスポーツの仕事に携わります。
ところが、その後担当から外れることになりました。
本人も当時はかなり悔しかったそうです。
その後に担当したのが、『クイズ!ヘキサゴンII』や『爆笑レッドカーペット』などのバラエティ番組でした。
最初に思い描いていた仕事とは違いましたが、結果としてこの経験が中村さんの仕事の幅を大きく広げることになります。
大学時代の流れと、どこか似ていますよね。
- 住居学を学ぶつもりだったが進路が変わった
- アナウンサー志望ではなかったがセミナーへ参加した
- セミナーで失敗したことで本気になった
- 入社後は報道の現場から経験を積んだ
- スポーツ番組を離れた後、バラエティで新しい強みを見つけた
予定していた道から外れた時に、次の場所で新しいものを見つけています。
中村さんのキャリアを見ていると、この流れが何度も出てきます。
中村仁美の学歴から見えてくる性格
中村仁美さんの学歴だけを見ると、「桐蔭学園からお茶の水女子大学へ進んだ頭のいい人」という印象が強いかもしれません。
もちろん、学力の高い環境を歩んできたことは確かです。
ただ、学生時代のエピソードを一緒に見ていくと、それだけではない部分がかなり見えてきます。
特に印象に残るのは、負けず嫌いなところと、行動力のあるところです。
できないと悔しくなる負けず嫌いな性格
中村さん自身、昔から負けず嫌いだったと話しています。
その性格がよく表れているのが、やはりアナウンスセミナーでのエピソードです。
自分だけ課題ができず、悔しくて泣いた。
そこで終わるのではなく、「できるようになりたい」と思ったことでアナウンサーを本気で目指すようになりました。
中高6年間の陸上部も、大学時代のテニスも、地道に続けることが必要なスポーツです。
そう考えると、競技を通して培った粘り強さも、中村さんの性格の一部になっているのかもしれません。
もちろん、部活動だけが今の中村さんを作ったとは言えません。
それでも、学生時代から「うまくいかなかったらもう一度やってみる」という姿勢があったことは伝わってきます。
女子アナになるために作り込んだ学生ではなかった
中村仁美さんの大学時代は、いわゆる女子アナ志望の王道とは少し違いました。
テニスに夢中になって日焼けし、髪もかなり明るい状態。
アナウンサー試験用の服装についても詳しくなく、母親と一緒にベージュのスーツを選んだそうです。
周囲には読者モデルやミスコン経験者など、すでに華やかな世界に近い学生もいました。
そんな中で、中村さんは少し違う立ち位置にいました。
お茶の水女子大学での学生生活についても、華やかなミスコンというより、学園祭でりんごの皮むきを競ったというエピソードを笑いながら話しています。
こういう話を聞くと、現在の中村さんの親しみやすさにも納得できます。
自分を必要以上に格好よく見せるより、昔の失敗やちょっと恥ずかしい話まで笑って話せるタイプなのでしょう。
バラエティ番組で自然に芸人と掛け合えるのも、こうした性格と無関係ではなさそうです。
学生時代の経験は現在の活動にもつながっている
中村仁美さんは2017年にフジテレビを退社し、その後はフリーアナウンサーとして活動しています。
現在は番組進行だけでなく、情報番組のコメンテーター、ラジオ、雑誌での執筆など、仕事の幅もかなり広がっています。
2026年には、雑誌『STORY』で続けてきた連載をまとめた初の書籍も出版されました。
局アナ時代は「伝える側」としての仕事が中心でしたが、現在は自分自身の経験や考えを言葉にする機会も増えています。
学生時代から現在までをつなげてみると、意外と一本の線が見えてきます。
大学で学んだ分野と現在の仕事は違っても経験は残っている
中村仁美さんが大学で興味を持っていたのは住居学でした。
卒業研究では天然染料の化学分析に取り組んでいます。
現在のアナウンサーやタレントとしての仕事とは、かなり離れた分野に見えます。
ただ、大学では自分のテーマについて調べ、整理し、研究としてまとめる経験をしています。
報道の仕事でも、情報を集めて整理し、相手にわかりやすく伝えることが求められます。
もちろん、「理系だったからアナウンサーとして成功した」と単純には言えません。
でも、違う分野で考えたり調べたりしてきた経験が、現在の仕事の土台の一つになっている可能性はありそうです。
予定通りにいかなかった時ほど道が広がっている
中村仁美さんの学生時代から現在までを見ると、少し不思議なくらい同じパターンが続いています。
最初に思い描いた通りにはいかない。
でも、そこで別の道を選んだことが、その後の仕事につながっています。
大学では希望していた研究室がなくなりました。
アナウンスセミナーでは自分だけ課題ができませんでした。
フジテレビに入ってからも、希望した仕事だけを続けられたわけではありません。
それでも、そのたびに次の場所へ進んでいます。
最初の計画を守り続けることより、その時の状況に合わせて自分なりの道を見つける。
中村さんの学生時代やキャリアを見ていると、そんな柔軟さが感じられます。
中村仁美の学歴についてよくある疑問
ここまで中村仁美さんの大学、高校、中学、学生時代について詳しく見てきました。
最後に、特に気になりやすいポイントをまとめておきます。
- 中村仁美の最終学歴は?
-
中村仁美さんの最終学歴は、お茶の水女子大学生活科学部卒業です。大学公式サイトでも、中村さんは卒業生として紹介されています。一部では生活環境学科と紹介されることもありますが、現在の大学公式プロフィールでは学科名までは確認できません。
- 中村仁美は理系?
-
大学で学んだ内容を見ると、理系分野の学生だったと考えてよさそうです。もともとは住居学に興味を持って大学へ進学し、卒業研究では「茜含有色素のHPLCによる化学的分析」という化学分析にも取り組んでいました。
- 中村仁美の高校と中学はどこ?
-
中学校、高校ともに桐蔭学園です。中村さんが在籍した頃は現在とは学校制度が違い、女子部がある時代でした。現在の桐蔭学園は共学になっているため、当時と今を分けて考えるとわかりやすいです。
- 学生時代からアナウンサーになりたかった?
-
いいえ。大学に入った頃は、建築やインテリアに関係する仕事を考えていました。大学3年生頃になって、友人の話をきっかけにアナウンサーという仕事を知り、アナウンスセミナーへ参加しています。そこで課題に失敗した悔しさから、本格的にアナウンサーを目指すようになりました。
- 中村仁美の卒論は?
-
お茶の水女子大学に残る資料では、「茜含有色素のHPLCによる化学的分析」という卒業研究が確認できます。中村仁美さんが理系分野で研究をしていたことを知るうえで、とても興味深い資料です。
中村仁美の学歴は学校名だけでは見えてこない
中村仁美さんの学歴は、桐蔭学園中学校・高等学校から、お茶の水女子大学生活科学部へ進学したというものです。
学校名だけを見ると、順調に難関校を歩んできた優等生という印象になるかもしれません。
でも、学生時代を詳しく見てみると、もう少し違った姿が見えてきます。
中学・高校では6年間陸上部に所属。
大学ではテニスに夢中になりながら、住居学を学ぶためにお茶の水女子大学へ進みました。
希望していた研究室がなくなるという予定外の出来事もありましたが、最終的には天然染料の色素を化学的に分析する卒業研究を仕上げています。
そして大学生活の終盤まで、アナウンサーは第一志望の仕事ではありませんでした。
友人からアナウンサー試験の話を聞き、偶然見たアナウンスセミナーのCMがきっかけで参加。
そこで自分だけ課題ができず、悔しくて泣いたことから本気でアナウンサーを目指すようになりました。
2002年にはフジテレビへ入社。
その後も報道、スポーツ、バラエティと経験を重ね、現在はフリーアナウンサーとしてテレビやラジオ、執筆まで活動を広げています。
- 中学受験に取り組んだ努力家の一面
- 6年間陸上を続けた粘り強さ
- 大学で理系研究に取り組んだ探究心
- テニスに夢中になった活動的な学生生活
- うまくできないことに出会うと「できるようになりたい」と思う負けず嫌いな性格
大学入学時に思い描いていた将来と、実際に歩んだ人生はかなり違います。
それでも、予定していた道が変わるたびに、その場所で新しい可能性を見つけてきました。
中村仁美さんの学生時代を知ると、学校名以上に、その柔軟な進み方が印象に残りますね。
