『そこまで言って委員会NP』などでおなじみの、読売テレビ・黒木千晶アナウンサー。
個性の強い出演者の話を受け止めながら、テンポよく番組を進めていく姿を見ていると、「学生時代からしっかり者だったのかな」「どこの大学を出ているんだろう」と気になりますよね。
黒木千晶さんの出身大学は、青山学院大学文学部比較芸術学科です。これは読売テレビの公式プロフィールでも確認できます。
ただ、黒木さんの学歴で面白いのは、大学名そのものよりも学生時代の過ごし方かもしれません。
大学では歌舞伎を専門的に学び、演劇サークルにも所属。さらに中学生の頃には、本気で役者を目指して何度もオーディションを受けていました。
最初からアナウンサー一本だったわけではないんですね。
ここでは、黒木千晶さんの大学・高校・中学について、はっきり確認できる情報と、まだ確認できていない情報を分けながら見ていきます。
学生時代の演劇への思いが、今の仕事にどうつながっていったのかも追ってみましょう。
- 黒木千晶さんの出身大学と学部・学科
- 高校・中学校について確認できている情報
- 歌舞伎や演劇に夢中だった学生時代
- 役者志望からアナウンサーを目指したきっかけ
黒木千晶の学歴を一覧で見る
まずは、黒木千晶さんの学生時代をざっくり整理しておきます。
大学については学校名や学部・学科まで公式に公表されていますが、高校と中学校は同じではありません。
| 時期 | 学校・活動 | わかっていること |
|---|---|---|
| 中学時代 | 学校名は未確認 | 俳優養成所に通い、数十回のオーディションを経験 |
| 高校時代 | 横浜の高校 | 野球部のマネージャー、小劇場にも通う |
| 大学時代 | 青山学院大学文学部比較芸術学科 | 歌舞伎を専攻し、演劇サークルで活動 |
| 大学卒業後 | 読売テレビ | 2016年4月に入社 |
黒木さん自身も、新人時代の公式ブログで「青山学院大学を卒業した」と書いています。
さらに、大学では歌舞伎を専攻し、演劇サークルに入り、時間とお金があれば観劇に出掛けるような「演劇三昧」の日々だったことも明かしていました。
- 中学生では役者を目指してオーディションに挑戦
- 高校では野球部を支えながら小劇場へ通う
- 大学では歌舞伎を研究し、演劇サークルにも所属
- 大学時代にテレビ局の仕事を知り、アナウンサーを目指す
- 2016年に読売テレビへ入社
こうして並べると、アナウンサーになったことだけが突然の方向転換ではなかったことがわかります。
「人に何かを伝える」という部分では、学生時代から好きだった舞台の世界とも意外と近いんですよね。
黒木千晶の大学は青山学院大学文学部比較芸術学科
黒木千晶さんの出身大学は、青山学院大学です。
学部は文学部、学科は比較芸術学科。読売テレビが公開しているプロフィールにも、ここまではっきり掲載されています。
青山学院大学という名前だけでも目を引きますが、黒木さんの場合は「なぜ比較芸術学科だったのか」を見ていくと、学生時代の人物像がずっとわかりやすくなります。
比較芸術学科で歌舞伎を専門的に学んでいた
黒木さんは大学時代、古典芸能の歌舞伎を専攻していました。
新人時代のブログでも自分で「歌舞伎を専攻」と紹介しており、かなり好きだったことが伝わってきます。
比較芸術学科は、美術や音楽、演劇・映像などを幅広く見ながら芸術について考えていく学科です。
黒木さんは、その中でも昔から興味を持っていた舞台の世界を、大学では「好きなもの」から一歩進んで、学問として掘り下げていきました。
小さい頃から美術館や映画、舞台が好きだったという本人の話を聞くと、この学科を選んだことにも納得できます。
2026年のインタビューでは、小学生の頃から日本画が好きで、親に連れて行ってもらった美術展をきっかけに東山魁夷の絵を気に入り、「日本画家になる」と話していた時期まであったと明かしています。
高校までは周囲から「変わっている」と言われることもあったそうですが、芸術学科に進むと、自分以上に個性的な学生も多く、そう言われなくなったのだとか。
黒木さんにとって大学は、ずっと好きだった芸術や舞台を、周囲の目を気にせず思いきり追いかけられる場所だったのかもしれませんね。
卒業論文は「猿若町」がテーマ
歌舞伎好きがよく伝わってくるのが、卒業論文です。
スポーツニッポンの取材によると、黒木さんの卒論のテーマは「猿若町」でした。
猿若町は、江戸時代に芝居小屋が集められたことで知られる地域です。黒木さんは、その町がどのように発展していったのかを研究していました。
好きな役者や演目について調べるだけではなく、「芝居の文化が育った町」にまで目を向けているところが面白いですね。
ひとつ気になったものがあると、その背景まで知りたくなるタイプだったのかもしれません。
同じゼミには歌舞伎俳優の中村児太郎さんも在籍していたと報じられています。
舞台を見ることが好きだった少女が、大学では歌舞伎の歴史や文化を研究するところまで進んだわけです。
今の黒木さんには「ニュースをきちんと調べて伝える人」という印象がありますが、じっくり調べる姿勢そのものは学生時代から続いているようにも見えます。
演劇サークルでも活動していた
大学では勉強だけでなく、演劇サークルにも所属していました。
黒木さん本人が「演劇三昧」と表現しているくらいなので、かなり濃い学生生活だったようです。
大学2年生の夏には、渋谷のシアターコクーンで上演された市川海老蔵さん主演の舞台「花咲かじいさん」に、町娘役のエキストラとして出演した経験もあります。
中学時代から役者を夢見ていたことを考えると、実際の舞台に立てたのはうれしい経験だったでしょうね。
- 歌舞伎を専門的に学ぶ
- 演劇サークルで活動する
- 時間があれば劇場へ足を運ぶ
- 市川海老蔵さん主演の舞台にエキストラ出演
- 卒業論文でも芝居文化を研究する
ここまでそろうと、演劇が「ちょっと好き」というレベルではなかったことがよくわかります。
黒木千晶がアナウンサーを目指したのは大学時代
ここまで読むと、「そのまま演劇関係の仕事に進みそうなのに、どうしてアナウンサーになったの?」と思いますよね。
実は黒木千晶さん自身も、最初からアナウンサーを目指していたわけではありません。
むしろ大学に入った頃までは、アナウンサーという仕事は進路の候補に入っていなかったそうです。
その考えが変わったのも、大学時代でした。
大学2年のテレビ局アルバイトが最初のきっかけ
2026年のインタビューで黒木さんは、大学2年の頃、演劇以外にどんな仕事があるのかを考えていた時期があったと話しています。
そこで紹介されたのが、テレビ局でのアルバイトでした。
職場にはアナウンサー志望の学生が多く、実際のアナウンサーと接する機会もあったそうです。
それまで考えていなかった仕事でしたが、そこで「伝える仕事もいいな」と思うようになりました。
意外と自然なきっかけですよね。
子どもの頃から「絶対にアナウンサーになる」と決めていたわけではなく、大学生活の中で偶然知った世界に少しずつ興味を持っていった。
そのくらいの始まりだったようです。
スポーツニッポンでは、大学3年頃から本格的にアナウンサーを志したと紹介されています。
大学2年でテレビ局の仕事に触れ、その後少しずつ気持ちが固まっていったと考えると、流れも自然ですね。
「海盗セブン」を見たことも進路の大きな転機に
もうひとつ、黒木さんの進路を語るうえで外せない舞台があります。
岸谷五朗さんと寺脇康文さんによる演劇ユニット「地球ゴージャス」の「海盗セブン」です。
黒木さんは進路に悩んでいた頃、この舞台を観劇しました。
2024年に岸谷さん、寺脇さんへインタビューした際には、そのときエンターテインメントの大きな力を感じ、「この世界から離れて生きていけない」と思ったことが、アナウンサーの道を選ぶことにつながったと振り返っています。
本人にとってはかなり大切な出来事だったようで、当時の思いを話しながら涙を流す場面もありました。
役者からアナウンサーへ「別の世界に移った」というより、好きだったエンターテインメントに別の形で関わる道を見つけた、と考えるとわかりやすそうです。
舞台に立つ人になる道ではなくても、テレビを通して誰かに何かを届ける仕事がある。
好きだったエンタメの世界とつながったまま、自分に合う道を探していったのでしょう。
黒木千晶がアナウンサーになるまでの流れ
ここまでの学生時代を時系列で見てみると、黒木さんの進路が少しずつ変化していった様子がわかります。
最初から一本道だったわけではなく、好きなものを追いかける中で、新しい仕事と出会っていったんですね。
小学生の頃
日本画や美術館、映画、舞台などに興味を持つ。日本画家に憧れていた時期もありました。
中学生の頃
役者を目指して俳優養成所へ。数十回のオーディションにも挑戦します。
高校時代
野球部のマネージャーを務めながら、小劇場などへ通い続けます。
青山学院大学へ進学
文学部比較芸術学科で歌舞伎を専攻。演劇サークルにも所属し、舞台へのエキストラ出演も経験します。
大学2年頃
テレビ局でアルバイトを経験し、アナウンサーやアナウンサー志望の学生と接するようになります。
大学3年頃
アナウンサーを本格的に志すようになります。
2016年
青山学院大学を卒業し、読売テレビへ入社しました。
テレビ朝日アスクの合格実績にも名前がある
アナウンサーを目指すようになった大学時代には、就職へ向けた準備もしていました。
テレビ朝日のアナウンススクール「テレビ朝日アスク」が公開している2016年の合格実績には、読売テレビの合格者として黒木千晶さんの名前が掲載されています。
一方で、本人は「アナウンサー就活のために完璧な準備をしていた」という感覚ではなかったようです。
2026年のインタビューでは、当時は具体的な試験対策を十分に練っていたわけではなく、周囲に「アナウンサーになりたい」と打ち明ける勇気も持てなかったと振り返っています。
今の堂々とした姿からすると、ちょっと意外ですよね。
就職活動が始まると、周りの学生の勢いに圧倒されたこともあったそうです。
それでも最終的には読売テレビに合格し、2016年4月に入社しました。
「昔から自信満々だった人」ではなく、迷ったり不安になったりしながら進んできたところには、親近感もあります。
黒木千晶の高校は横浜だが学校名は公表されていない
黒木千晶さんの出身高校については、大学ほど詳しい情報がありません。
現在確認できる範囲では、学校名は公表されていません。
ただし、本人の公式ブログから「横浜の高校」に通っていたことまではわかります。
2018年に東日本大震災を振り返ったブログの中で、黒木さん自身が「横浜の高校に通う17歳でした」と書いています。
高校について確認できるのは「横浜の高校に通っていた」というところまでです。
ネット上では具体的な高校名や公立高校だったとする情報もありますが、本人や読売テレビから学校名が公表されているわけではありません。
横浜市出身という情報だけから特定の学校を出身校と決めつけるのは難しいので、ここは確認できている範囲で見ておくのがよさそうです。
高校時代は野球部のマネージャー
学校名はわからなくても、高校時代の過ごし方はかなり具体的に残っています。
黒木さんは高校で、野球部のマネージャーをしていました。
演劇好きだった黒木さんと野球部という組み合わせは、少し意外ですよね。
しかも、部活動だけに夢中だったわけではありません。
本人によると、時間があれば小劇場にも足を運んでいたそうです。
部活で選手たちを支えながら、自分の好きな演劇もしっかり楽しむ。
どちらかひとつを選ぶというより、興味のあるものをいろいろ経験していた高校生活だったようです。
現在の黒木さんは番組の中心で進行することが多いですが、高校では選手を支えるマネージャーでした。
表に立つ経験だけではなく、周りを見ながら動く経験もしていたんですね。
本人も後に、演劇などを含めて集団の中で活動した経験が、チームで作る現在の仕事に生きていると話しています。
高校までは「変わっている」と言われていた
2026年のインタビューでは、高校時代まで友人から「変わっている」と言われることが多かったとも明かしています。
理由のひとつは、昔から好きだったものです。
小学生の頃から日本画を見たり、美術館へ行ったり、映画や舞台を楽しんだりしていました。
今なら珍しく感じない趣味でも、小学生や中高生の頃には、同じものが好きな友人が周りにあまりいなかったのでしょう。
大学で芸術学科へ進むと、似たような感覚を持つ学生や、それ以上に個性的な学生と出会い、「変わっている」と言われなくなったそうです。
高校から大学への進学は、黒木さんにとって学ぶ内容だけではなく、自分の好きなものを自然に受け入れてくれる環境へ移った時期でもあったようです。
黒木千晶の中学校はどこ?
中学校についても、現時点では本人や読売テレビが学校名を公表した一次情報は確認できません。
ネット上では具体的な中学校名を挙げている記事もありますが、公式プロフィールや本人インタビューなどで裏付けられているわけではありません。
ですので、「黒木千晶さんの出身中学校は○○中学校」と断定するのは難しい状態です。
一部では「横浜市立並木中学校」とする情報も見られますが、本人や所属局による裏付けは確認できていません。
そのため、現時点では候補として紹介されている情報のひとつにとどめ、出身校として断定しないほうが自然です。
ただ、中学校の名前がわからなくても、この頃の黒木さんが何をしていたのかはかなり詳しくわかっています。
中学生で役者を目指していた
実は黒木千晶さん、現在のアナウンサーよりも先に役者を目指していました。
小学生の頃にドラマを見て役者に憧れ、中学生になると俳優養成所に通い始めます。
しかも、オーディションを「数十回」受けたそうです。
まだ中学生です。
軽い憧れだけなら、ここまで行動するのはなかなか難しいですよね。
ただ、残念ながらオーディションはうまくいかず、役者になる道はいったん諦めることになりました。
それでも演劇そのものを嫌いになったわけではありません。
中学生の頃から『レ・ミゼラブル』などを観劇し、高校でも小劇場へ通い、大学ではついに歌舞伎や演劇そのものを専門的に学ぶようになります。
夢がそのまま叶わなかったからといって、好きなものまで手放さなかったところは、黒木さんの学生時代で特に印象的な部分です。
「役者になる」という方法ではなくても、観客として、研究する人として、そして後には伝える人として、ずっと演劇と関わり続けています。
黒木千晶の学生時代から見える性格
黒木千晶さんというと、『そこまで言って委員会NP』で強い意見が飛び交う中、堂々と番組を進める姿が印象的です。
学生時代からクラスの中心で、何でも仕切っていたようにも見えますよね。
ところが、本人の話は少し違います。
学生時代は意外にも「いじられ役」
2026年のORICON NEWSのインタビューで、黒木さんは学生時代について、どちらかといえば「いじられ役」だったと話しています。
今でも仲のいい友人からは、「しっかりしているけれど、意外と抜けている」と言われるそうです。
今の司会ぶりは、学生時代から完成していたものではなかったんですね。
仕事をしていく中で、少しずつ身につけていったものだと本人も振り返っています。
- 数十回オーディションを受けた行動力
- 役者を諦めても演劇を追い続けた粘り強さ
- 好きな歌舞伎を深く研究する探究心
- アナウンサーという新しい道へ進める柔軟さ
「昔から何でもできる優等生だった」というより、好きなものを大切にしながら、その時々で新しい道を探してきた人という印象のほうが近そうです。
学生時代の経験が今のアナウンサー生活につながっている
黒木さん自身も、学生時代の経験は現在の仕事に生きていると話しています。
2026年のインタビューでは、就職試験のための準備だけではなく、演劇やアルバイト、海外旅行、友人や家族と過ごした時間など、学生時代のさまざまな経験が今の価値観の土台になっていると振り返っています。
ニュースを伝えるときも、ただ原稿を読むだけではありません。
事実を理解したうえで、「どう感じるか」「どんな言葉なら伝わるか」を考える。
そんなときに、自分がそれまで見たり聞いたりしてきたものが役立っているそうです。
大学で歌舞伎や演劇について考え続けた時間も、無駄にはなっていないのでしょう。
大学卒業後は大阪で初めての一人暮らし
黒木さんは2016年3月に大学を卒業し、4月に読売テレビへ入社しました。
本人のブログでも、大学卒業、関西での一人暮らし、読売テレビ入社が同じ春に重なったことを振り返っています。
それまで長く横浜で暮らしていた黒木さんにとって、大阪生活は初めてのことばかりでした。
2026年のインタビューでは、生後10カ月頃に横浜へ移ってから引っ越し経験がなく、大阪で初めて一人暮らしをしたと話しています。
社会人生活も初めて。一人暮らしも初めて。アナウンサーという仕事も初めて。
いくつもの大きな変化が、2016年の春に一度に重なっていました。
本人によると、大阪での暮らしに慣れるまでにはかなり時間がかかったそうです。
学生時代から一気に環境が変わったことを考えると、新人時代はかなり忙しかったでしょうね。
それでも少しずつ仕事を広げ、『かんさい情報ネットten.』や『そこまで言って委員会NP』などで経験を重ねていきました。
2026年には全国ネットのメインMCへ
黒木千晶さんは2026年10月5日からスタート予定の新番組『ニュースto』で、月曜から木曜と隔週金曜のメインMCを担当する予定です。
全国ネットの番組でレギュラーMCを担当するのは初めてとなります。
大学時代、テレビ局のアルバイトを通して初めて「伝える仕事もいいな」と感じた学生が、約10年後には全国ネットのニュース番組を任されるところまで来たわけです。
本人も2026年9月のインタビューで、学生時代から見ていた『ミヤネ屋』の後を自分が担当する未来はまったく想像していなかったと話しています。
かなり大きな転機ですよね。
新番組については、先入観にとらわれず、多角的な視点でニュースを見ながら、視聴者と一緒に理解を深めていきたいという思いも語っています。
大学時代には、芸術をいろいろな角度から見て考える比較芸術学科で学んでいました。
もちろん、大学の専攻と現在の仕事を単純につなげることはできません。
それでも、ひとつの物事をいろいろな方向から見たり、背景まで知ろうとしたりする姿勢には、学生時代から今まで通じるものがありそうです。
黒木千晶の学歴に関するよくある疑問
最後に、黒木千晶さんの学歴について特に気になりやすいポイントをまとめておきます。
黒木千晶の学歴を振り返ると大学名以上に学生時代が面白い
黒木千晶さんの学歴で、公式に確認できる出身大学は青山学院大学文学部比較芸術学科です。
高校については、本人のブログから「横浜の高校」に通っていたことまでは確認できますが、学校名は公表されていません。
中学校も、本人や所属局による校名の公表は確認できません。
ただ、黒木さんの場合は学校名だけを見て終わると、少しもったいないんですよね。
小学生の頃から日本画や映画、舞台に興味を持ち、中学生では役者になるために何度もオーディションへ挑戦。
高校では野球部のマネージャーをしながら小劇場へ通い、大学では歌舞伎を専門的に学びました。
さらに演劇サークルで活動し、実際の舞台にも出演。
進路に悩みながらテレビ局でアルバイトを始めたことをきっかけに、アナウンサーという仕事と出会います。
黒木千晶さんの学生時代は、ひとつの夢だけを一直線に追ったというより、好きなものを大切にしながら、その時々の出会いや経験を次の道へつなげていった時間だったことがわかります。
役者になれなくても、演劇はやめない。
舞台に立つ仕事を選ばなくても、人に何かを伝える仕事へ進む。
そう考えると、青山学院大学で歌舞伎を学んでいたことも、現在のアナウンサー人生とまったく別の出来事には見えなくなってきます。
黒木千晶さんの学歴から見えてくるのは、いわゆる「有名大学卒のアナウンサー」という肩書だけではありません。
自分が好きだったものをずっと大切にしながら、形を変えて仕事へつなげてきた学生時代こそ、黒木千晶さんらしさがよく表れている部分だと思います。
