『羽鳥慎一モーニングショー』への出演をきっかけに、松岡朱里アナウンサーを知ったという人も多いのではないでしょうか。
テレビ朝日に入社したばかりのタイミングから朝の生放送を担当したこともあり、「どこの高校や大学を出ているの?」「学生時代はどんな人だったの?」と気になる人も少なくないようです。
松岡朱里アナの学歴は、北星学園大学附属高等学校から国際基督教大学へ進学というものです。
ただ、学生時代を詳しく見ていくと、学校名以上に印象に残るエピソードがいくつもあります。
高校では学年1位を目標に勉強しながら、長く続けてきたダンスにも熱中。海外研修での経験をきっかけにアナウンサーを意識するようになり、大学では野球部のマネージャーを務めながら、アナウンススクールにも通っていました。
どんな学生生活を送り、どのように現在の仕事へつながっていったのでしょうか。
- 出身高校は北星学園大学附属高等学校
- 大学は国際基督教大学の教養学部
- 13年間続けたダンスでは全国大会準優勝を経験
- 高校時代のフィリピン研修がアナウンサーを志すきっかけ
- 大学時代にはアナウンススクールへ通い、採用試験に備えていた
松岡朱里の学歴一覧
まずは、松岡朱里アナの学歴を分かりやすく整理してみましょう。
公表されているのは高校と大学です。小学校と中学校については、具体的な学校名までは明らかになっていません。
- 小学校
-
学校名は非公表。小学1年生からダンスを始めています。
- 中学校
-
学校名は非公表。小学生から始めたダンスを続けていました。
- 高校
-
北星学園大学附属高等学校。勉強、ダンス、英語プレゼン、海外研修などを経験しています。
- 大学
-
国際基督教大学。硬式野球部のマネージャーを経験し、アナウンサー就職に向けた準備も進めました。
- 小学1年生から13年間ダンスを続ける
- 北星学園大学附属高校では学年1位を目標に勉強
- 高校時代に英語プレゼンテーション大会へ参加
- フィリピンでの研修をきっかけにアナウンサーを志す
- 国際基督教大学では硬式野球部のマネージャーを経験
- 大学時代にアナウンススクールへ通い、採用試験の準備を進める
- 大学卒業後の2024年にテレビ朝日へ入社
こうして見ると、勉強だけに集中していた学生ではなかったことが分かります。
ダンスや海外研修、部活動、アルバイト、そしてアナウンサーになるための準備まで、かなり幅広い経験をしてきたようですね。
松岡朱里の出身高校は北星学園大学附属高等学校
松岡朱里アナの出身高校は、北海道にある北星学園大学附属高等学校です。
現在はテレビ朝日のプロフィールにも出身校として記載されているため、推測ではなく公表されている学歴として確認できます。
以前は、英語プレゼンテーション大会の記録などから「北星学園大学附属高校なのでは」と推測されることもありました。
ただ、今では勤務先のプロフィールに学校名が明記されているため、高校についてははっきりしています。
高校時代は学年1位を目標に勉強していた
松岡朱里アナの高校時代を知るうえで、まず印象に残るのが勉強に関するエピソードです。
本人によると、高校時代は放課後になると自習室に通い、学年1位を目標に勉強していたそうです。
学校ではテストの順位が分かる環境だったこともあり、負けず嫌いな性格から「トップを目指したい」という気持ちが強くなっていったようです。
本人が高校生活について「学問が青春」と振り返るほどなので、かなり本気で勉強に取り組んでいたことが伝わります。
「学年1位だった」と公表されているわけではありません。
本人が話しているのは、あくまで「学年1位を目指していた」という内容です。この2つは分けて考えたほうがよさそうです。
ネット上では、こうしたエピソードがいつの間にか「学年1位だった」と変わってしまうこともあります。
とはいえ、放課後も自習室に残ってトップを目指していたというだけでも、十分に努力家な一面が感じられますよね。
目標が決まると、そこへ向けてコツコツ準備する。
この性格は、大学時代のアナウンサー試験対策にもそのままつながっていきます。
13年間続けたダンスも高校生活の大きな柱
勉強と同じくらい、松岡朱里アナの学生時代に欠かせないのがダンスです。
ダンスを始めたのは小学1年生のころ。
そこから13年間続け、ヒップホップやソウルパンキングなど、さまざまなジャンルを経験しています。
高校でもダンスへの思いは強く、学校祭ではクラス全員で一つのダンス作品を作る企画に参加していました。
ダンス経験が豊富だった松岡朱里アナが振り付けを担当し、放課後にはクラスメートへ教えていたそうです。
その結果、高校3年間で優勝2回、準優勝1回という成績を残しています。
自分一人が上手に踊ればいいわけではありません。
ダンス経験の少ない友人にも振り付けを覚えてもらい、クラス全体で作品を完成させる必要があります。
そう考えると、ダンスの技術だけでなく、人に教えたり、周囲をまとめたりする力も自然と身についていったのかもしれません。
ダンスでは全国大会準優勝の経験も
松岡朱里アナのダンス経験は、学校祭だけではありません。
公開されているプロフィールでは、13年間続けたダンスで全国大会準優勝の実績があったことも紹介されています。
趣味として楽しく続けていたというより、かなり本格的に取り組んでいたことが分かりますね。
- 小学1年生から13年間ダンスを継続
- 高校の学校祭で優勝2回、準優勝1回
- ダンスの全国大会で準優勝
なお、高校の学校祭では「優勝2回」、ダンスの全国大会では「準優勝」とされています。
この2つは別の実績です。
ネット上では情報が混ざり、「全国大会で優勝した」と紹介されていることもありますが、確認できる情報では全国大会は準優勝です。
長い期間続けてきたダンスは、社会人になってからも仕事につながっています。
テレビ朝日入社後にはダンスイベントの司会を担当する機会もあり、学生時代に積み重ねてきた経験が別の形で生きているようです。
英語プレゼンテーション大会にも参加
高校時代には、英語プレゼンテーション大会へ参加した記録もあります。
北海道高等学校文化連盟国際交流専門部が公開している大会結果では、北星学園大学附属高等学校のチームが5位に入賞。
そのメンバーとして、高校2年生の「松岡朱里」という名前が掲載されています。
学校名、氏名、学年が一致していることから、本人の記録と考えるのが自然です。
発表タイトルは「Hokkaido makes us beautiful」。
高校生が英語を使ってプレゼンテーションを行う大会に参加していたことを考えると、学校の勉強だけでなく、発表や表現の経験も積んでいたことが分かります。
英語プレゼン大会への出場記録はありますが、それだけで「英語がネイティブ並み」「帰国子女」と判断することはできません。
そこは別の話として分けて考えたほうがよさそうです。
確認できる範囲では、英語プレゼン大会にチームで参加し、5位という結果を残した記録がある、というところまでになります。
フィリピン研修でアナウンサーを意識するように
松岡朱里アナがアナウンサーを目指すようになったのも、高校時代です。
きっかけになったのは、学校の社会科研修で訪れたフィリピンでした。
現地の貧困地域を訪れた際、子どもを抱いた女性から食べ物を求められたものの、その場では何もできなかったそうです。
その経験に大きなショックを受け、「次に助けを必要としている人に出会ったら、手を差し伸べられる人になりたい」と思うようになったと話しています。
そこから考えるようになったのが、「自分の言葉で現地の状況を伝えること」でした。
フィリピンでの経験が、アナウンサーを目指す大きなきっかけになりました。
世の中で起きていることを自分の言葉で伝え、それを知った人が何か行動するきっかけを作りたい。そんな思いから「言葉のプロ」であるアナウンサーを意識するようになったそうです。
子どものころからテレビに出たいと思っていた、というタイプではありません。
高校時代に実際に目にした出来事から、自分の将来について考え始めています。
松岡朱里アナの学歴を知るうえで、このフィリピン研修はかなり大きな出来事だったと言えそうです。
松岡朱里の大学は国際基督教大学
高校卒業後、松岡朱里アナは北海道を離れ、国際基督教大学へ進学しました。
国際基督教大学は、東京都三鷹市にキャンパスを置く大学です。
テレビ朝日のプロフィールなどでは、教養学部を卒業したことが紹介されています。
一般には「ICU」という略称でもよく知られていますね。
高校時代にアナウンサーという目標を見つけた松岡朱里アナですが、大学生活は思い描いていた形とはかなり違うスタートになりました。
国際基督教大学の教養学部で学ぶ
松岡朱里アナが卒業したのは、国際基督教大学の教養学部です。
国際基督教大学では、入学した段階ですぐ一つの専門に絞るのではなく、幅広い分野に触れながら専門を選んでいく教育が行われています。
そのため、「松岡朱里アナは何を専攻していたの?」と気になる人もいると思います。
ただ、本人が具体的にどのメジャーを選んでいたのかについては、確認できる公開情報では明らかになっていません。
高校時代の英語プレゼンや海外研修を見ると、国際関係や語学に興味があったのでは、と想像したくなるところです。
とはいえ、そこは推測です。
はっきり確認できるのは、国際基督教大学教養学部を卒業したというところまでです。具体的なメジャーについては公表されていません。
大学入学はコロナ禍と重なった
松岡朱里アナが大学へ進学したのは2020年です。
北海道から上京し、これから新しい大学生活が始まるという時期でした。
ところが、新型コロナウイルスの感染拡大と重なります。
本人は後に、入学式も対面授業もなく、大学生活のスタートは「とにかく孤独だった」と振り返っています。
地元の北海道を離れたばかりで、大学でもなかなか友人と会えない。
かなり心細い時期だったのではないでしょうか。
その中で、SNSを通じて友人とつながることが支えになったそうです。
大学生活の多くがオンライン中心になった一方で、「せっかくの大学生活を有意義にしたい」という思いから、学業にも力を入れていました。
高校時代には学年1位を目標に勉強していましたが、大学でもやはり「その状況でできること」を見つけて取り組んでいたようです。
環境が思い通りでなくても、自分なりの目標を作る。
このあたりにも松岡朱里アナらしさが感じられます。
大学では硬式野球部のマネージャー
国際基督教大学では、硬式野球部のマネージャーも務めていました。
本人によると、野球部のマネージャーは以前から憧れていたそうです。
高校までは13年間、自分自身がダンスをする立場でした。
一方、大学では選手を支える側に回っています。
高校の学校祭で仲間にダンスを教えた経験もそうですが、松岡朱里アナは学生時代を通して「自分が前に出る経験」と「周囲を支える経験」の両方をしてきたことが分かります。
アナウンサーという仕事も、画面では一人で話しているように見えて、実際には多くの人と一緒に番組を作る仕事です。
そう考えると、野球部マネージャーとして過ごした時間も、今の仕事とまったく無関係ではなさそうですね。
学生時代は7年間アルバイトも続けていた
松岡朱里アナは、コンビニエンスストアやスーパーで合計7年間アルバイトをしていました。
かなり長いですよね。
本人は、長くレジを担当していたことから「レジ打ち」を特技として挙げています。
高校から大学にかけて、勉強やダンス、部活動と並行しながらアルバイトも続けていたことになります。
コンビニやスーパーには、毎日さまざまなお客さんがやってきます。
年齢も立場も違う人たちと短い時間でやり取りする経験を何年も続けたことは、現在の人との接し方にも何かしらつながっているのかもしれません。
- 大学の授業に取り組む
- 硬式野球部でマネージャーをする
- アルバイトを続ける
- アナウンサーになるための準備を進める
ただ大学へ通っていただけではなく、いくつもの活動を並行していた学生生活だったようです。
大学時代にはアナウンススクールにも通っていた
高校時代のフィリピン研修でアナウンサーを目指すようになった松岡朱里アナ。
大学へ進むと、その夢を実現するための準備も少しずつ始めています。
その一つが、アナウンススクールでした。
アナウンススクールを情報収集にも活用
松岡朱里アナは大学時代、アナウンサーの採用試験に向けてアナウンススクールへ通っていました。
きっかけの一つになったのは、多くのアナウンサーがスクールで学んでいたことを知ったことだったそうです。
アナウンススクールでは、発声や原稿読みなどの基本を学ぶことができます。
ただ、松岡朱里アナの場合は、それだけではありません。
採用試験について情報を集めたり、アナウンサーになるためにどんな準備が必要なのかを知ったりする場所としても利用していました。
高校時代に思い描いた夢が、大学時代になるとかなり現実的な目標へ変わっていたことが分かります。
どこのアナウンススクールへ通っていたのかは公表されていません。
ネット上で具体的なスクール名が挙げられていても、確認できる本人発言としては「アナウンススクールに通っていた」というところまでです。
「アナウンス受験ノート」を作っていた
松岡朱里アナの就職活動で、特に本人らしさを感じるのが「アナウンス受験ノート」です。
アナウンサー試験に向けて、自分で専用のノートを作っていました。
- 面接で聞かれそうな質問
- 自分自身についての分析
- 採用試験で必要になりそうな準備
- アナウンサーとして伝えたいこと
本人も、かなり準備を重ねたという趣旨の話をしています。
高校時代には、学年1位を目標に自習室へ通っていました。
大学時代には、今度はアナウンサーになるという目標に向かって受験ノートを作っています。
やっていることは違いますが、どこか似ていますよね。
目標を決めたら、まず情報を集める。
それから自分に足りない部分を整理して、少しずつ準備する。
松岡朱里アナは、勢いだけで挑戦するというより、準備を積み重ねて本番を迎えるタイプなのだと思います。
同期の三山賀子とは採用試験で出会った
テレビ朝日に同期入社した三山賀子アナウンサーとは、採用試験のときに初めて出会いました。
初対面だったのはカメラテストの場だったそうです。
アナウンサー採用試験なので、周りにいる学生は当然ライバルでもあります。
それでも松岡朱里アナは、三山賀子アナに対して不思議とライバルという感覚を持たず、最初から親近感があったと振り返っています。
そして結果的に、2人とも2024年にテレビ朝日へ入社しました。
高校時代にアナウンサーを目指し始め、大学ではスクールへ通い、受験ノートを作り、実際の採用試験へ進む。
この流れを見ると、「国際基督教大学を卒業してテレビ朝日に入社した」という短い経歴の裏に、かなり長い準備期間があったことが分かります。
松岡朱里はどんな学生だった?
ここまで学生時代を見てくると、松岡朱里アナがどんなタイプだったのかも少しずつ見えてきます。
特に感じられるのは、負けず嫌いなところと、コツコツ続けられるところです。
それだけでなく、周囲の人と一緒に何かを作ることも好きだったように見えます。
負けず嫌いで目標があると頑張れるタイプ
高校では、テストの順位を意識して学年1位を目標に勉強。
大学では、コロナ禍という制限の多い環境でも学業に力を入れました。
そして就職活動では、アナウンス受験ノートまで作っています。
どの時期にも共通しているのは、「目標を決めると準備を続けられる」というところです。
同期の三山賀子アナからも、自分の意見をしっかり持っていて、周囲に流されない強さがあるという印象を語られています。
テレビでは明るく柔らかな雰囲気が印象的ですが、その内側にはかなり芯の強い部分があるのかもしれません。
一つのことを長く続けるのも得意
小学1年生から始めたダンスは13年間。
アルバイトも7年間続けています。
ここまで長く続けられるものが複数あるというのも印象的です。
短期間だけ夢中になって終わるのではなく、一度始めたことには長く向き合えるタイプなのでしょう。
好きな言葉として「経験は宝なり」を挙げていることからも、うまくいった経験だけでなく、失敗や遠回りも含めて自分の糧にしたいという考えが感じられます。
仲間と一緒に頑張る経験も多かった
一方で、松岡朱里アナの学生時代は一人で努力するエピソードばかりではありません。
高校の学校祭では、クラスメートにダンスを教えています。
英語プレゼンテーション大会ではチームで発表。
大学では野球部のマネージャーとして、選手を支える側に回りました。
一人で結果を出すだけでなく、周囲と一緒に何かを作る経験がかなり多いですよね。
現在のテレビ番組も、アナウンサーだけで作れるものではありません。
出演者やスタッフと息を合わせながら進める必要があります。
学生時代に自然と経験してきたことが、今の仕事にも生きている部分はありそうです。
松岡朱里の小学校と中学校はどこ?
松岡朱里アナの学歴を調べていると、小学校や中学校についても気になるところです。
ただ、現在確認できるプロフィールでは、具体的な小学校名や中学校名までは公表されていません。
北海道出身で、高校も北海道の北星学園大学附属高等学校へ通っていたことは分かっています。
とはいえ、それだけで小学校や中学校を特定することはできません。
小学校と中学校の学校名は、現在のところ公表されていません。
出身校の候補を挙げる情報があっても、本人や勤務先などから確認できなければ推測として見たほうがよさそうです。
学校名は分かりませんが、小学1年生からダンスを始めたことは本人が明かしています。
そのまま13年間続けているため、小学校、中学校、高校と長くダンスに打ち込んできたことになります。
どの学校へ通っていたかよりも、「子どものころから何を続けてきたのか」を見るほうが、松岡朱里アナらしさは伝わりやすいかもしれません。
松岡朱里の学歴で間違えやすいポイント
松岡朱里アナについては、テレビ朝日入社前後から少しずつ情報が増えてきました。
そのため、古い記事では「推測」とされていた情報が、現在では公式プロフィールで確認できるようになっているケースもあります。
逆に、本人の発言が少しずつ強い表現に変わって広まっていることもあります。
ここは一度整理しておきましょう。
- 出身高校は北星学園大学附属高校で間違いない?
-
現在はテレビ朝日のプロフィールに北星学園大学附属高等学校と記載されています。以前は大会記録などから推測されることもありましたが、現在では確認できる学歴として扱えます。
- 高校で学年1位だった?
-
本人が話しているのは「学年1位を目指していた」という内容です。実際に学年1位になったとまでは公表されていません。
- ダンスで全国大会優勝をした?
-
確認できる実績は全国大会準優勝です。一方、高校の学校祭では優勝2回、準優勝1回となっています。この2つが混ざらないようにしたいところです。
- 国際基督教大学では何を専攻していた?
-
教養学部を卒業したことは確認できますが、具体的にどのメジャーを選んでいたのかは公表されていません。
- 通っていたアナウンススクールはどこ?
-
大学時代にアナウンススクールへ通っていたことは本人が話していますが、具体的なスクール名までは確認できません。
大学卒業後はテレビ朝日へ入社
松岡朱里アナは2024年3月に大学を卒業し、同年4月にテレビ朝日へ入社しました。
しかも、入社後のスタートはかなり印象的なものでした。
2024年4月1日の朝から『羽鳥慎一モーニングショー』へ出演。
そのあと入社式へ出席しています。
つまり、正式な入社式より先に、テレビ朝日のアナウンサーとして全国ネットの生放送に出演したことになります。
入社初日から『羽鳥慎一モーニングショー』を担当
松岡朱里アナは、『羽鳥慎一モーニングショー』の4代目アシスタントとして出演をスタートしました。
大学を卒業したばかりの新人にとって、かなり大きな仕事です。
本人は、ニュースを分かりやすく伝えられるよう努力したいという気持ちを語っていました。
本番前には早朝からあいさつを何度も練習していたというエピソードもあります。
高校では放課後に自習室へ通い、大学ではアナウンス受験ノートを作り、社会人になると生放送前に繰り返し練習。
不安なまま本番を迎えるより、できる準備を重ねてから挑む姿勢が一貫しています。
こうして並べてみると、ずっと同じなんですよね。
不安なまま本番を迎えるのではなく、できる準備をしてから挑む。
松岡朱里アナらしい仕事の始まりだったように感じます。
新人時代には失敗して涙を流したことも
もちろん、最初からすべてがうまくいったわけではありません。
入社直後には、ニュース原稿を読む際に何度も言葉につまずいてしまい、放送後に涙を流したこともあったそうです。
本人もその出来事を大きな失敗として振り返っています。
ただ、その経験によって改めて「伝えること」の難しさを実感したとも話しています。
高校時代にアナウンサーを目指した理由は、「自分の言葉で誰かに伝えたい」という思いでした。
実際にアナウンサーになってみると、その「伝える」ということが想像以上に難しかった。
そこからまた学び直していくところも、松岡朱里アナらしい部分なのかもしれません。
「読む」から「伝える」へ少しずつ変化
入社から1年ほどたったころ、松岡朱里アナは自身の成長について語っています。
最初は原稿を読むことだけで精いっぱいだったものの、少しずつ内容を自分の言葉に置き換えながら伝えられるようになってきたそうです。
この話は、高校時代のエピソードと重ねると少し印象が変わります。
フィリピンでの経験から、「現地で起きていることを自分の言葉で伝えたい」と思い、アナウンサーを目指した松岡朱里アナ。
それから数年後、本当にアナウンサーになり、今度は仕事の中で「自分の言葉で伝える」ことを身につけようとしています。
高校時代に抱いた思いが、少しずつ現実の仕事につながっているんですね。
学生時代の経験は今の仕事にもつながっている
松岡朱里アナの学生時代を見ていくと、当時は別々だった経験が、社会人になってから少しずつつながっていることが分かります。
13年間続けたダンスは、入社後のダンスイベントの仕事へ。
コロナ禍で感じた孤独は、ニュースで社会の問題を扱うときの実感へ。
フィリピンで感じた思いは、「人を助ける仕事をしている人を取材したい」という関心へつながっています。
硬式野球部のマネージャーや、7年間続けた接客のアルバイトも含めると、学生時代にはかなり多くの人と関わってきました。
学歴というと、つい学校名や偏差値だけに目が向きます。
でも松岡朱里アナの場合は、どの学校へ通ったかだけでなく、その場所で何を経験してきたかを見るほうが人物像が分かりやすいように思います。
松岡朱里の学歴から見えるアナウンサーまでの道のり
松岡朱里アナの学歴は、北星学園大学附属高等学校から国際基督教大学へ進学という流れです。
ただ、その間にはたくさんの経験がありました。
小学1年生から始めたダンスを13年間続け、全国大会準優勝を経験。
高校では学年1位を目標に勉強しながら、学校祭ではダンスの振り付けを担当しました。
英語プレゼンテーション大会にも参加し、フィリピンでの社会科研修をきっかけにアナウンサーを意識するようになります。
大学進学のため北海道から東京へ出たものの、入学した2020年はコロナ禍。
入学式も対面授業もないところから大学生活が始まりました。
それでも学業を続け、硬式野球部のマネージャーを経験。
さらに、アナウンサーになるためアナウンススクールへ通い、自分で「アナウンス受験ノート」を作って採用試験に備えました。
そして2024年、テレビ朝日へ入社。
入社初日の朝から『羽鳥慎一モーニングショー』に出演し、アナウンサーとしての生活が始まっています。
松岡朱里アナの学生時代に一貫しているのは、目標が決まると、そこへ向けて地道に準備を続ける姿勢です。
高校では自習室へ通い、大学では受験ノートを作り、入社後は生放送に向けて練習を重ねています。
派手な近道ではなく、一つずつ積み重ねてきたことが分かります。
松岡朱里アナの学歴は、ただ「北星学園大学附属高校から国際基督教大学へ進んだ」という学校名だけでは語りきれません。
勉強、ダンス、海外研修、コロナ禍の大学生活、野球部マネージャー、アルバイト、そしてアナウンサー試験。
その一つひとつが重なって、現在の松岡朱里アナにつながっています。
高校時代に抱いた「自分の言葉で伝えたい」という思いも、今では実際の仕事の中で少しずつ形になっているようですね。
