ABCテレビのアナウンサーとして活動している枝廣二葉(えだひろ・ふたば)さん。
大学時代に慶應義塾大学体育会應援指導部の代表を務めていたことでも知られていて、「大学は慶應みたいだけど、高校はどこ?」「中学時代から応援団だったの?」「慶應には現役で入った?」と、学歴や学生時代について気になっている人も多いようです。
枝廣二葉さんの学生時代をたどってみると、単に「慶應卒のアナウンサー」というだけではないことがわかります。
中学・高校では野球に取り組み、高校卒業後には浪人も経験。その後、慶應義塾大学文学部へ進学し、大学では中学生のころから憧れていた応援の世界へ飛び込みました。
- 出身高校は桐朋高等学校
- 出身中学は桐朋中学校とみられる
- 高校卒業後は自宅浪人を経験
- 大学は慶應義塾大学文学部
- 大学4年で約150人が所属する体育会應援指導部の代表を務めた
こうして順番に見ていくと、現在の「熱血アナウンサー」という雰囲気が、学生時代から少しずつ形づくられてきたことも見えてきます。
枝廣二葉の学歴をまず整理
枝廣二葉さんは2003年1月17日生まれ、東京都出身です。
高校は桐朋高等学校、大学は慶應義塾大学文学部へ進学しています。
中学校については、本人やABCテレビが公式プロフィールで学校名を明かしているわけではありません。
ただ、高校野球の競技記録では「桐朋中」出身として掲載されているため、桐朋中学校に通っていた可能性が高そうです。
| 時期 | 学歴・所属 | 主な出来事 |
|---|---|---|
| 中学時代 | 桐朋中学校とみられる | 野球部に所属し、大学応援に興味を持つ |
| 高校時代 | 桐朋高等学校 | 野球部で活動 |
| 高校卒業後 | 浪人 | 自宅を中心に受験勉強 |
| 大学 | 慶應義塾大学文学部 | 体育会應援指導部へ入部 |
| 大学3年 | 慶應義塾大学 | 野球応援を取り仕切る役職を担当 |
| 大学4年 | 慶應義塾大学 | 應援指導部代表 |
| 卒業後 | ABCテレビ | アナウンサーとして入社 |
流れだけ見ると、桐朋高校から慶應義塾大学へ進んだというシンプルな経歴です。
ただ、その間には現役受験で思うような結果が出なかった時期がありました。そこから浪人生活を送り、翌年には複数の大学に合格しています。
さらに大学では、単に應援指導部へ所属しただけではなく、最終的に部全体をまとめる代表にまでなりました。
最終学歴だけを見ると華やかですが、現役受験の不合格や浪人も経験しています。そこから進路を立て直し、慶應義塾大学へ進んだ過程まで見ると、枝廣さんの粘り強さがよくわかります。
枝廣二葉の出身中学は桐朋中学校とみられる
枝廣二葉さんの出身中学校として有力なのが、東京都国立市にある桐朋中学校です。
ただし、ここは少し慎重に見ておきたいところです。
ABCテレビの公式プロフィールでは、中学校名までは公表されていません。一方、高校野球の競技記録には「桐朋中」出身として掲載されています。そのため、現時点では「桐朋中学校とみられる」としておくのが自然です。
中学時代から野球部に所属していた
枝廣二葉さんは、中学から高校まで野球部に所属していました。
現在は大学時代の応援活動がよく知られているため、最初から「応援する側」だったように感じるかもしれません。
実際には、中学・高校時代は自分自身が野球に取り組んでいます。
つまり、枝廣さんはグラウンドでプレーする側の気持ちも知っていることになります。この経験は、後に大学で選手を応援する立場になったときにも生きていたのではないでしょうか。
中学1年で神宮球場の大学応援に憧れた
枝廣二葉さんのその後につながる出来事が起きたのは、中学1年のころです。
東京六大学野球を見るため神宮球場を訪れた際、グラウンドの試合だけでなく、スタンドで声を張り上げながら応援を盛り上げる学生たちに強く惹かれたといいます。
学生服姿で観客を先導し、球場全体を盛り上げていく。その光景を見て、「大学では自分もこういうことをやってみたい」と思うようになったそうです。
大学に入ってから偶然應援指導部を知ったわけではありません。中学生の時点ですでに憧れがあり、その思いを高校生活や浪人生活を挟んでも持ち続けていました。
枝廣二葉の出身高校は桐朋高校
枝廣二葉さんの出身高校は、東京都国立市にある桐朋高等学校です。
こちらは大学時代のプロフィールなどでも「桐朋高出身」と紹介されていて、確認されている情報です。
桐朋高校時代も、中学から引き続き野球部に所属していました。勉強だけに集中した高校生活ではなく、部活動にもかなり時間を使っていたようです。
桐朋高校野球部では内野手として登録
高校野球の競技記録を見ると、枝廣二葉さんは桐朋高校野球部で内野手として登録されています。
高校2年時には、西東京大会のベンチ入りメンバーにも名前がありました。
ただ、本人が後に振り返っている高校時代の役割として特に印象的なのが、三塁コーチャーです。
三塁コーチャーは、走者を進ませるのか止めるのかを判断しながら、声や動きで指示を出す役割です。
試合でホームランを打つような華やかなポジションではありませんが、試合全体を見ながら仲間を支える役目があります。
- 高校では三塁コーチャーとして仲間へ声をかける
- 大学では応援席から選手へ声を届ける
- 應援指導部代表として大勢の部員をまとめる
- 現在はアナウンサーとして視聴者へ言葉を届ける
もちろん、それぞれ役割は違います。
ただ、「声を使って周囲を支える」という部分は、学生時代からずっと続いているように見えます。
高校野球の経験が今の仕事にも生きている
枝廣二葉さんはABCテレビ入社後、担当してみたい仕事として高校野球への思いを語っています。
そのときに触れていたのが、自分自身の三塁コーチャー経験でした。
高校野球では、どうしても活躍した選手に注目が集まりやすいですよね。
ただ、試合の裏にはコーチャーやマネジャー、ベンチの選手、スタンドで声を出す人たちもいます。
枝廣さんは、自分自身が支える側を経験していたからこそ、そうした人たちの思いも伝えたいと考えているようです。
2026年夏には、実際に高校野球の現場で選手インタビューやアルプススタンドからのリポートを担当しました。
高校時代に野球部員として見ていた世界を、今度はアナウンサーとして伝える側から見ることになったわけです。
枝廣二葉は高校卒業後に浪人を経験
枝廣二葉さんの学歴で、慶應義塾大学への進学と同じくらい気になるのが浪人時代です。
最終的には慶應義塾大学へ進んでいるため、最初から順調に合格したように感じるかもしれません。
実際には、現役受験では思ったような結果が出ませんでした。本人が大学時代のインタビューで、かなり具体的に受験経験を話しています。
現役時代は早稲田・明治・立教を受験
現役時代は早稲田大学の応援部へ入ることを強く考え、早稲田大学、明治大学、立教大学を受験。ただ、この年は合格に届かなかったと本人が話しています。
自宅を中心に浪人生活
現役受験後は「宅浪」を経験。現役時代には準備していなかった小論文にも取り組み、受験できる大学の幅を広げました。
浪人後は受験した東京六大学5校すべてに合格
本人によると、翌年は東京大学を除く東京六大学の5校を受験し、すべてに合格しました。
早稲田と慶應で迷い、慶應文学部へ
早稲田大学と慶應義塾大学のどちらへ進むか考えた末、学部を基準に慶應義塾大学文学部を選びました。
現役時代には慶應を受験していなかった
意外なのは、現役時代には慶應義塾大学を受験していなかったことです。
当時は小論文の準備をしていなかったため、慶應を受験対象に入れていなかったといいます。
つまり、最初から「絶対に慶應」という進路ではありませんでした。
中学時代から大学応援には憧れていましたが、その中でも現役時代は早稲田への思いが強かったようです。
浪人後は東京六大学のうち受験した5校すべてに合格
浪人後、枝廣二葉さんの受験結果は大きく変わります。
本人によると、東京六大学のうち東京大学を除く5大学を受験し、すべてに合格したそうです。
- 慶應義塾大学
- 早稲田大学
- 明治大学
- 法政大学
- 立教大学
現役時代には早稲田、明治、立教で結果が出なかったところから、一年後には受験した5大学すべてに合格。
最終的な「慶應卒」という部分だけを見るより、この一年間まで知ったほうが枝廣さんの学歴はずっとわかりやすくなります。
早稲田と慶應で迷い、学部を見て慶應を選んだ
複数の大学に合格したあと、枝廣二葉さんは早稲田大学と慶應義塾大学のどちらへ進むか迷ったそうです。
現役時代には早稲田の応援部に強く惹かれていたため、そのまま早稲田を選んでも不思議ではありません。
それでも最終的には、学部を基準に考えて慶應義塾大学文学部へ進むことを決めました。
そして、慶應へ進学すると決めた時点で、應援指導部へ入ることも決めていたそうです。
「応援がしたいから学校はどこでもいい」という選び方ではなく、大学で何を学ぶかまで考えたうえで慶應文学部を選んでいます。
枝廣二葉の大学は慶應義塾大学文学部
枝廣二葉さんは2022年に慶應義塾大学文学部へ進学しました。
大学では、念願だった体育会應援指導部に入ります。
4年間の活動を見ていくと、最初から代表として目立っていたわけではありません。
1年生から少しずつ経験を積み、3年生では野球応援を取り仕切る立場へ。4年生で約150人をまとめる代表になりました。
慶應文学部での専攻は公表されていません。文学部には複数の専攻がありますが、枝廣さんについて確認できるのは「慶應義塾大学文学部」までです。
慶應義塾大学で過ごした4年間
枝廣二葉さんの大学生活を見ていくと、毎年少しずつ立場が変わっていったことがわかります。
憧れていた応援の世界に入ったものの、最初から思い通りだったわけではありません。
コロナ禍で応援方法を模索
2022年の入学時は発声に制限が残っていました。そこで、大きなボードや旗の動きなどを使い、その状況でできる応援を考えていました。
日本一の応援席を経験
慶應義塾大学野球部が秋季リーグと明治神宮大会で頂点へ。大勢の観客と部員が一つになった応援席を経験しました。
野球応援を取り仕切る「野球サブ」に
先輩についていく側から、応援を準備し、後輩を動かす側へ。一つの応援にも事前の連絡や細かな調整が必要だったそうです。
約150人を率いる應援指導部代表へ
同期から推薦される形で代表に就任。その年のスローガンは「進」でした。部員が悔いなく活動できる環境をつくることまで、自分の役割だと考えていたようです。
急に代表へ抜てきされたというより、毎年少しずつ役割が大きくなっていったことがわかります。
応援には競技のような得点がありません。
だからこそ枝廣さんは、部員が楽しめているか、初めて来た観客も参加できているか、応援席全体が同じ方向を向けているかといった細かな部分まで意識していたそうです。
應援指導部時代から見える枝廣二葉の性格
枝廣二葉さんの学歴を調べていると、学校名以上に気になってくるのが人柄です。
「応援団」「熱血」と聞くと、とにかく勢いがある人というイメージを持つかもしれません。
でも、周囲の言葉や本人の話を見ていくと、少し違う一面も見えてきます。
- 言葉を使って人をまとめる力がある
- 表に見えない準備も大切にする
- 自分が目立つより誰かを支えることに力を注ぐ
- うまくいかないときも別の方法を考えて続ける
早稲田の応援代表から「言葉で人を動かす」と評価された
大学4年時には、早稲田大学応援部の代表との対談も行われています。
その中で、早稲田側の代表は枝廣二葉さんについて、言葉で部をまとめ、人を動かす力がある人物だと評価していました。
「声が大きい」といった表面的な部分ではなく、「言葉で人を動かす」と見られていたのが興味深いところです。
約150人の部員をまとめるには、自分の意見を押し通すだけでは難しいですよね。
相手にどう伝えれば動いてもらえるのか。どうすれば同じ方向を向いてもらえるのか。
枝廣さんは大学時代に、そうした力も身につけていったようです。
65キロ遠泳の応援で初めて涙を流した
枝廣二葉さんが大学4年間の中で、特に心に残っている応援として挙げているのが、水泳部葉山部門の65キロ遠泳です。
東京六大学野球の優勝ではなく、遠泳だったというのが少し意外ですね。
選手たちは2日間かけて長い距離を泳ぎ、枝廣さんたち應援指導部も船から声を送り続けました。
長時間泳ぎ続ける選手たちは、当然かなり苦しい状態になります。
その姿を見ながら応援を続け、最後に選手たちが浜へたどり着いたとき、枝廣さんは応援をしていて初めて涙を流したそうです。
水泳部側からも、枝廣さんが声を枯らしながら応援を続け、その声に何度も救われたという話が残っています。本人だけではなく、実際に応援された側からも印象深い存在だったことが伝わります。
約150人を率いても本人は「不器用」と語る
約150人を率いた代表と聞くと、何でもそつなくこなすタイプを想像するかもしれません。
ただ、枝廣二葉さん本人は、自分を「不器用な性格」だと話しています。
ABCテレビの新人研修でも、滑舌練習で何度やってもうまく言えない日があったそうです。
それでも、できないからそこで終わるのではなく、また練習する。
この姿勢は受験のころからあまり変わっていないように見えます。
現役受験で結果が出なければ、小論文を新しく勉強する。声を出せない応援席なら別の方法を考える。アナウンサーになってうまく話せなければ、また練習する。枝廣さんは「最初から何でもできる」というより、続けながら前へ進んできた人なのかもしれません。
6歳から剣道を習い「残心」を大切にしている
枝廣二葉さんは、野球を始める前から剣道にも親しんでいました。
ABCテレビの公式プロフィールによると、6歳から剣道を習っていたそうです。
好きな言葉として挙げているのが「残心」。
剣道の師範から教わった言葉で、相手への感謝や、最後まで気を抜かない姿勢を大切にしていると話しています。
枝廣さんは、剣道、野球、應援指導部と、長い間スポーツに関わる環境で過ごしてきました。
ただ、どの経験を見ても「自分が目立ちたい」という印象はそれほど強くありません。
誰かを支える。周囲を盛り上げる。人が動きやすい雰囲気を作る。
そうした方向に力を使ってきたことがわかります。
慶應での経験がアナウンサー志望につながった
枝廣二葉さんがアナウンサーを目指すようになったきっかけも、大学時代の應援指導部にありました。
あるステージで、フジテレビの中村光宏アナウンサーが司会を担当していたときのことです。
会場がざわついている中、中村アナウンサーが一言話しただけで、会場の空気が大きく変わったそうです。
その姿を見て、「声と言葉で人を引きつける仕事」に興味を持つようになりました。
枝廣さん自身も、それまで応援席で声を使って人を盛り上げてきました。
だからこそ、プロのアナウンサーが言葉ひとつで場の空気を変える姿に強く惹かれたのでしょう。
高校時代の三塁コーチャー → 大学時代の應援指導部 → アナウンサー
一見すると違う道に見えますが、どれも「声を使って人に働きかける」という点ではつながっています。
大学卒業後はABCテレビのアナウンサーへ
枝廣二葉さんは慶應義塾大学を卒業後、2026年4月にABCテレビへ入社しました。
東京で学生生活を送ってきた枝廣さんにとって、社会人になってからは関西での新しい生活が始まっています。
本人は、自分の名前「二葉」に込められた意味にも触れながら、これから枝葉を広げて成長していきたいと話しています。
入社1年目から高校野球の現場を経験
ABCテレビへ入社した年の夏には、さっそく高校野球の現場に立ちました。
選手インタビューやアルプススタンドからのリポートなどを担当しています。
高校時代には野球部員として三塁コーチャーを務め、大学では応援席から選手たちを支えました。
今度はアナウンサーとして、球場で起きていることを視聴者へ伝えています。
立つ場所は変わっても、野球との縁は続いていますね。
『おはよう朝日です』のレギュラーにも加入
2026年8月31日からは、『おはよう朝日です』のレギュラーにも加わっています。
月曜日から水曜日に出演し、芸能コーナーや天気などを担当しています。
大学では応援席から多くの人を元気づけてきた枝廣さん。
現在は朝のテレビ番組から視聴者へ声を届けるようになりました。
「応援する」という形は変わっても、誰かを少し元気にするという部分は、学生時代から今まで続いているのかもしれません。
枝廣二葉の学歴で気になる疑問
ここまで学歴を見てきましたが、枝廣二葉さんについては、まだ公表されていない情報もあります。
わかっていることと、そうではないことを混ぜないように整理しておきます。
- 慶應義塾大学には現役で合格した?
-
現役ではありません。現役時代には早稲田大学、明治大学、立教大学を受験したものの合格には届かず、その後に浪人しています。浪人後、慶應義塾大学を含む複数の大学へ合格しました。
- 慶應には推薦で入った?
-
詳細な入試方式は公表されていません。本人が明かしているのは、浪人中に小論文を勉強し、複数大学を受験して合格したという経緯までです。そのため、特定の入試方式だったと断定することはできません。
- 出身中学は桐朋中学校で確定?
-
桐朋中学校である可能性は高そうです。高校野球の競技記録で「桐朋中」出身として掲載されています。ただし、ABCテレビの公式プロフィールなどでは中学校名が明記されていないため、「桐朋中学校とみられる」とするのが正確です。
- 出身小学校はどこ?
-
現在のところ、出身小学校は公表されていません。桐朋学園には小学校もありますが、中学校が桐朋だった可能性が高いことだけを理由に、小学校まで内部進学だったと考えることはできません。
- 慶應文学部では何を専攻していた?
-
慶應義塾大学文学部を卒業していることは確認されていますが、文学部内の専攻までは公表されていません。現在確認できるのは「慶應義塾大学文学部」までです。
枝廣二葉の学歴をたどると現在の姿につながっている
枝廣二葉さんの学歴を整理すると、桐朋中学校とみられる中学時代から桐朋高校へ進み、高校卒業後に浪人。
その後、慶應義塾大学文学部へ進学しています。
ただ、学校名だけを並べても、枝廣さんらしさはあまり見えてきません。
- 中学1年で大学応援に憧れる
- 中学・高校では自分自身が野球部で活動
- 現役受験の不合格後、自宅浪人で勉強を続ける
- 慶應進学後は應援指導部で4年間活動
- 最終学年では約150人を率いる代表へ
- 卒業後は声と言葉を使うアナウンサーの道へ
その中でも印象的なのは、65キロ遠泳の応援です。
華やかな大舞台ではなく、長い時間苦しみながら泳ぐ選手に寄り添い、声を送り続けた経験を大学時代の大切な思い出として挙げています。
水泳部員からも、その応援に救われたという声が残っています。
そう考えると、枝廣さんにとって「応援」は、単に大きな声を出すことではなかったのでしょう。
相手を見て、必要な言葉を届ける。周囲が力を出しやすい空気を作る。
その考え方は、今のアナウンサーという仕事にもそのままつながっています。
高校時代は三塁コーチャーズボックスから。大学時代は神宮球場の応援席から。そして現在は、テレビやラジオのマイクから。
立つ場所は変わっても、声と言葉を使って誰かを後押しするという部分は変わっていません。
枝廣二葉さんの学歴で興味深いのは、慶應義塾大学という最終学歴だけではなく、そこへたどり着くまでに浪人があり、入学後にも思うような応援ができない時期があったことです。
そのたびに別の方法を考えながら、少しずつ前へ進んできました。
本人が自分自身を「不器用」と表現していることも含めて考えると、枝廣二葉さんは、何でも最初から上手にこなすタイプというより、うまくいかないときにも続けることで道を広げてきた人なのだと思います。
これからアナウンサーとして経験を重ねていく中でも、野球部や應援指導部で身につけた「相手を見る力」や「人を後押しする言葉」は、枝廣二葉さんらしい強みになっていきそうですね。
