テレビ朝日のアナウンサーとして活躍している浦林凜さん。
落ち着いた話し方や爽やかな雰囲気を見て、「どこの高校に通っていたんだろう?」「大学は早稲田って本当?」と気になった人もいるのではないでしょうか。
浦林凜さんの出身校は、東京都立国際高等学校と早稲田大学人間科学部です。どちらもテレビ朝日の公式プロフィールで公表されているため、学歴についてははっきり確認できます。
ただ、浦林さんの学生時代を見ていくと、学校名だけでは分からない一面がたくさんあります。
もともとはかなりの人見知りだったそうですが、中学生になると学級委員に立候補。高校では文化祭の演劇に出演し、大学では学園祭の運営やワンダーフォーゲル部にも参加しました。
そして大学では、ワンダーフォーゲル部の創立70年で初めてとなる女性主将を務めています。
- 出身高校は東京都立国際高等学校
- 大学は早稲田大学人間科学部
- 大学ではワンダーフォーゲル部で創立70年初の女性主将
華やかな肩書が並んでいますが、最初から何でも得意だったわけではありません。
むしろ、苦手なことや不安を感じることにも少しずつ挑戦してきたところに、浦林さんらしさがありそうです。
ここからは、浦林凜さんの高校や大学はもちろん、中学時代から大学4年間、アナウンサーを目指すまでの流れも詳しく見ていきます。
浦林凜の学歴は都立国際高校から早稲田大学人間科学部
まずは、浦林凜さんの学歴を分かっている範囲で整理してみましょう。
高校と大学については公式に公表されていますが、小学校と中学校の具体的な学校名は明らかになっていません。
- 小学校
-
校名は非公表です。本人によると、子どもの頃は人見知りで、人前で手を挙げることも苦手でした。
- 中学校
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校名は非公表です。自分を変えようと考え、学級委員に立候補しています。
- 高校
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東京都立国際高等学校。文化祭では演劇にも出演しました。
- 大学
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早稲田大学人間科学部。ワンダーフォーゲル部と学園祭運営に参加し、のちに創立70年初の女性主将を務めています。
こうして並べてみると、浦林さんの学生時代には一つの流れがあります。
中学、高校、大学と進むにつれて、少しずつ人前に出る機会を増やしているんですね。
現在はテレビカメラの前で話す仕事をしていますが、子どもの頃から目立つことが好きだったわけではなかったようです。
高校と大学はテレビ朝日の公式プロフィールで確認できる
テレビ朝日の公式プロフィールには、浦林凜さんの出身地が東京都、出身校が「東京都立国際高等学校→早稲田大学 人間科学部」と掲載されています。
趣味は登山。特技にはクラシックバレエ、スキー、トランペットがあり、英検準1級やSAJスキー検定1級も取得しています。
勉強だけに集中してきたというより、興味を持ったことにはかなり幅広く取り組んできたタイプのようですね。
大学時代には登山だけでなく、山スキー、自転車、クライミング、ボートなどにも挑戦していました。現在の穏やかな印象からは、少し意外に感じる人もいるかもしれません。
小学校・中学校や大学の学科は公表されていない
一方で、浦林さんの学歴には分かっていない部分もあります。
- 出身小学校の校名
- 出身中学校の校名
- 早稲田大学人間科学部の具体的な学科
- 所属していたゼミや卒業研究
- 高校や大学の入試方式
特に早稲田大学については、「人間科学部」までは公式プロフィールに載っていますが、その先の学科までは公表されていません。
早稲田大学人間科学部には複数の学科がありますが、浦林さんがどこに所属していたのかを外から推測するのは難しいところです。
ネットでは細かな情報が補われることもありますが、本人や所属先から確認できない部分は、無理に決めつけないほうが自然ですね。
浦林凜の出身中学校は非公表|人見知りだった学生時代
浦林凜さんの出身中学校は公表されていません。
ただ、中学生の頃にどんな人だったのかは、本人の言葉からかなり見えてきます。今のアナウンサー姿につながる最初の変化があったのも、この頃だったようです。
小学生の頃は人前で手を挙げるのも苦手だった
現在の浦林さんを見ていると少し意外ですが、子どもの頃はかなりの人見知りだったそうです。
本人は自分について、人見知りで恥ずかしがり屋、さらにとても照れ屋だったと振り返っています。
小学生の頃には、授業中に手を挙げることもなかなかできなかったそうです。誰かに褒められても照れて固まってしまい、素直に「ありがとう」と返すのも難しかったのだとか。
アナウンサーという仕事から考えると、もともと発表やスピーチが得意だったように思えますよね。でも、実際はむしろ逆だったようです。
中学生になると学級委員に立候補
そんな浦林さんが変わろうと思ったのが、中学生の頃でした。
本人によると、「このままではいけない」と考え、自分から学級委員に立候補したそうです。
人前に出ることが苦手だった人にとって、学級委員になるのはかなり思い切った選択だったのではないでしょうか。クラスの前で話したり、みんなの意見をまとめたりする場面も増えます。
浦林さんにとっては、自分の苦手なことに少しずつ慣れていく最初のきっかけだったのかもしれません。
- 小学生の頃は人前に出るのが苦手だった
- 中学生になると、自分を変えようと学級委員へ立候補
- 不安がなくなってからではなく、不安があっても一歩踏み出していた
もちろん、一度学級委員になっただけで性格が大きく変わったわけではありません。
本人もその後、「自分にできるのかな」「こんな自分で大丈夫かな」と不安を感じることがあったと話しています。それでも、少しずつ挑戦を重ねていきました。
この姿勢は、高校や大学でも続いていきます。
浦林凜の出身高校は東京都立国際高等学校
浦林凜さんの出身高校は、東京都目黒区駒場にある東京都立国際高等学校です。こちらはテレビ朝日の公式プロフィールで確認できます。
名前の通り、国際教育や外国語教育に特色のある学校として知られています。
都立国際高校は国際教育に特色のある学校
東京都立国際高等学校は、国際学科を設置している都立高校です。
外国語だけでなく、国際理解や課題研究などにも力を入れており、自分の考えをまとめて発信する授業も多く設けられています。現在のカリキュラムには、ディベートやディスカッション、エッセイライティングなどもあります。
ただし、現在の授業内容をそのまま浦林さんの在学当時に当てはめることはできません。
浦林さん本人について分かっているのは、同校を卒業し、英検準1級を取得していることです。
どの授業がアナウンサーという仕事につながったのかまでは分かりませんが、言葉やコミュニケーションに触れる環境で高校生活を送っていたことは確かですね。
高校では文化祭の演劇に出演
浦林さんの高校時代で印象的なのが、文化祭で演劇に出演したことです。
中学校で学級委員に挑戦したあと、高校ではさらに人前へ出る機会を選んでいました。
東京都立国際高等学校の文化祭は「桜陽祭」と呼ばれ、学校生活の中でも大きな行事です。現在はクラスや部活動、有志などが参加し、早い時期から準備を進める大がかりなイベントになっています。
浦林さんがどの演目で、どんな役を演じたのかまでは明らかになっていません。
それでも、小学生の頃には人前で手を挙げることも苦手だった人が、高校では舞台に立っていたというのは大きな変化ですよね。
中学校では学級委員、高校では文化祭の演劇へ。浦林さんは一気に性格を変えたというより、少しずつ「人前に出る経験」を増やしていったようです。
一気に性格を変えたわけではなく、少しずつ自分の世界を広げていったことが伝わってきます。
浦林凜の大学は早稲田大学人間科学部
高校卒業後、浦林凜さんは早稲田大学人間科学部へ進学しました。こちらもテレビ朝日の公式プロフィールで確認されています。
大学では学業だけでなく、ワンダーフォーゲル部と学園祭を運営するサークルにも参加していました。
浦林さんの学生時代を知るうえでは、大学名以上に、この課外活動の内容がかなり印象的です。
早稲田大学人間科学部に進学
早稲田大学人間科学部は、人間をさまざまな方向から考える学部です。
現在は、人間環境科学科、健康福祉科学科、人間情報科学科があります。文系・理系の枠にこだわらず、幅広い分野を学べることも特徴です。
ただし、浦林さんが具体的にどの学科に所属していたのかは公表されていません。
ゼミや卒業研究についても、確認できる情報はありません。そのため、「アナウンサーを目指していたからコミュニケーション分野を専攻していた」などと決めつけることはできないですね。
分かっているのは、早稲田大学人間科学部で学んでいたというところまでです。
大学への入試方法も明かされていない
浦林さんが早稲田大学へどの方式で入学したのかも分かっていません。
一般選抜だったのか、推薦など別の方式だったのかについて、本人や大学、テレビ朝日からの公表は確認されていません。
東京都立国際高校出身というだけで、推薦入試だったと考えることもできません。
このあたりは、今後本人が学生時代を振り返る機会があれば明らかになるかもしれませんね。
早稲田大学ワンダーフォーゲル部で創立70年初の女性主将に
浦林凜さんの大学時代で、特に目を引くのがワンダーフォーゲル部での活動です。
大学では登山、山スキー、自転車、クライミング、ボートなど、かなり幅広いアウトドア活動に取り組んでいました。さらに4年生になる頃には、部をまとめる立場まで任されています。
部活動の記録を追ってみると、1年生の頃から少しずつ経験を積んでいったことがよく分かります。
大学1年:「新人浦林」として南アルプスの秋合宿に参加。重い共同装備を持ちながら4日間歩き切りました。
大学3年:山スキー合宿でサブリーダーを担当し、春合宿では隊のリーダーを務めるようになります。
大学4年:南アルプスの錬成合宿で、新人を含む7人のチームを率いるリーダーを担当しました。
大学4年頃:ワンダーフォーゲル部で創立70年初の女性主将を務めました。
1年生では「新人浦林」として南アルプスへ
2021年10月、早稲田大学ワンダーフォーゲル部の活動記録には、「新人浦林」として名前が残っています。参加したのは南アルプスでの秋合宿でした。
当時の記録によると、浦林さんにとって、重い荷物を持ちながら4日間歩くのは初めての経験だったそうです。
1日目と2日目には約7kg、3日目と4日目には約5kgの共同装備を持ちながら歩き続けています。それでも、大きく遅れることなく予定に近いペースで山行をこなしていたそうです。
さらに先輩からは、もともと持っていた「精神が強い」「根性がある」という印象が、さらに強くなったという趣旨の評価も残されています。
これはかなり興味深いですね。本人が後から語った自己評価ではなく、大学1年生当時を知る先輩から見た印象だからです。
後に主将になる姿を考えると、入部したばかりの頃から粘り強さは目立っていたようです。
3年生になると後輩を率いる立場に
大学生活が進むにつれて、浦林さんは次第にチームを率いる側へ回っていきます。
2024年2月の山スキー合宿では、3年生としてサブリーダーを担当しています。
さらに同年3月の春合宿でも、活動記録に「3年(L)浦林」と記されており、隊のリーダーを務めていました。
1年生の頃には先輩について山へ入っていた浦林さんが、数年後には後輩を連れて行動する立場になっていたんですね。
山では体力だけでなく、天候や時間、ルート、メンバーの体調などを見ながら判断する必要があります。
そう考えると、リーダーを任されるまでには、それなりの経験や周囲からの信頼が必要だったはずです。
4年生では南アルプスの隊をリーダーとして率いた
4年生になった2024年5月から6月にかけては、南アルプスで行われた錬成合宿でも浦林さんがリーダーを担当しています。
活動記録には「4年浦林(L)」とあり、3年生、2年生、新人を含む7人のチームを率いていました。
行程を見ると、かなり本格的です。8時間前後歩く日もあれば、最終日には10時間ほど行動した記録もあります。早朝2時に起き、4時に出発した日もありました。
大学1年生では「新人浦林」として先輩について歩いていた人が、4年生では新人を連れて同じ南アルプスを歩いています。
こうして見ると、大学4年間での成長がとても分かりやすいですね。
創立70年で初めての女性主将になった
浦林さんはその後、ワンダーフォーゲル部で創立70年初の女性主将になりました。本人がテレビ朝日の公式コラムで明かしています。
当時の部については、浦林さん自身が「圧倒的男性社会」と表現していました。
そんな環境で主将を任されたわけですから、登山の経験だけでなく、周囲との信頼関係やまとめる力も評価されていたのでしょう。
- 登山や長距離縦走
- 山スキー
- 自転車
- クライミング
- ボート
- 隊のリーダーや部の主将
本人によると、毎週のように登山やスキーへ出かけていたそうです。
自宅から大学まで自転車で通ったり、週3回ほど10km走ってから大学へ向かったりすることもあったのだとか。
さらにジムへ行ったり、自転車で1日に150km走ったりすることもあったそうです。かなり体力のある学生生活だったことが分かります。
冬山では泣きながら登ることもあった
ただ、何でも余裕でこなしていたわけではありません。
本人によると、冬山は特につらく、涙を流しながら登ることもあったそうです。
それでも途中で諦めずに進む姿から、監督には漫画『巨人の星』の主人公になぞらえた呼び名を付けられていたといいます。
このエピソードから感じられるのは、浦林さんが最初から何でも得意な人だったというより、苦しい場面でも粘れる人だったことです。
人前に出ることが苦手だった中学生の頃にも、自分から学級委員になりました。冬山がつらくても、途中で投げ出さずに登り続けました。
違う場面ですが、どちらにも似たところがありますね。
大学では学園祭運営にも参加していた
浦林凜さんは、ワンダーフォーゲル部だけで大学生活を過ごしていたわけではありません。
学園祭を運営するサークルにも所属していました。
本人はその理由について、できるだけ多くの人と関わる機会を持ちたいと思っていたと話しています。
自分から人と関わる場所を選んでいた
浦林さんの学生時代を見ていると、山で鍛えられた体力や根性がどうしても目立ちます。
でも、もう一つ大きな特徴があります。それは、人と関わる場所を自分から選んでいることです。
- 中学校:学級委員に立候補
- 高校:文化祭の演劇に出演
- 大学:学園祭運営にも参加
どれも、一人で完結する活動ではありません。周りの人と話したり、協力したりすることが必要です。
もともと人見知りだった浦林さんが、意識してこうした環境へ飛び込んでいたところが面白いですね。
今でも「照れ屋」な部分は残っている
学生時代にさまざまな経験をしたからといって、性格がまったく別人になったわけではないようです。
浦林さんはテレビ朝日へ入社した後も、注目されたり褒められたりすると照れてしまうと話しています。
つまり、「人見知りを完全に克服した」というより、人見知りや緊張があっても行動できるようになったのかもしれません。
これは現在のアナウンサーとしての姿にもつながっていそうです。
大学時代にはアナウンサーを目指す準備もしていた
浦林凜さんは大学卒業後、2025年4月1日にテレビ朝日へ入社しています。
アナウンサーを目指した経緯のすべてが明らかになっているわけではありませんが、大学時代にアナウンススクールで準備していたことは確認できます。
テレビ朝日アスクの合格実績に名前が掲載
アナウンススクール「テレビ朝日アスク」の2025年度合格実績には、テレビ朝日の合格者として浦林凜さんの名前があります。
ただし、どの講座をいつから受講していたのかまでは公表されていません。
そのため、具体的な受講期間までは分かりませんが、アナウンサーを目指して準備をしていたことは分かります。
フジテレビのアナウンサースクールでは特別クラスを受講
さらに、フジテレビのアナウンサースクールにも浦林さんの名前が確認できます。
2025年の内定実績では、テレビ朝日のアナウンサー内定者として浦林凜さんが掲載され、受講コースは「特別クラス」とされています。
つまり大学時代には、部活動で主将を務めながら、学園祭の運営にも参加し、さらにアナウンサー採用へ向けた準備もしていたことになります。
かなり忙しい大学生活だったことが想像できますね。
浦林凜の学生時代は現在の仕事にもつながっている
浦林凜さんは2025年4月にテレビ朝日へ入社し、2026年度にはアナウンサー2年目を迎えました。
学生時代を振り返ってみると、現在の仕事につながっていると感じられる部分がいくつもあります。
山で身につけた「やり切る力」
浦林さん本人も、ワンダーフォーゲル部で身につけた力が仕事で役立っていると感じているそうです。
大学駅伝を担当した際には、膨大な資料を準備する必要がありました。
そのとき、期限までに何とかやり切る力は、ワンダーフォーゲル部で身についたものだと振り返っています。
山では、疲れたからといって簡単に予定を後回しにはできません。天候や時間、体調などを見ながら、その場その場で動く必要があります。
放送の仕事も、本番の時間は決まっています。そこまでに準備を整えなければならないという点では、学生時代の経験が意外なところで生きているのかもしれません。
アナウンサーになっても緊張はなくなっていない
浦林さんは、アナウンサー1年目を振り返り、「緊張」と向き合い続けた1年だったと話しています。
人前に出る仕事に就いたからといって、緊張しなくなったわけではないんですね。
ただ、1年間の仕事を通して、発声や滑舌、アクセント、人との話し方、現場での振る舞いなどが少しずつ安定してきたと感じているそうです。
ここも学生時代と似ています。
苦手なものが完全になくなってから挑戦するのではなく、挑戦しながら少しずつ慣れていく。浦林さんは昔から、そういうタイプなのだと思います。
今後は報道やスポーツの現場にも意欲
浦林さんは今後、スタジオだけでなく、報道やスポーツなどさまざまな現場へ足を運びたいと話しています。
自分が実際に見たり感じたりしたことを、自分の言葉で伝えられるようになりたいという思いもあるそうです。
さらに、自然や冒険に関わる番組への興味も明かしています。
大学時代に登山、山スキー、自転車、クライミング、ボートなどを経験してきたことを考えると、自然やスポーツの現場は浦林さんの強みが生きやすそうですね。
今後の担当番組によっては、学生時代の経験がさらに表に出てくるかもしれません。
浦林凜の学歴についてよくある疑問
ここまで見てきた内容をもとに、浦林凜さんの学歴について気になりやすいポイントも整理しておきます。
浦林凜の学歴から見えてくる学生時代
浦林凜さんの学歴をまとめると、東京都立国際高等学校から早稲田大学人間科学部へ進学し、2025年4月にテレビ朝日へ入社したという流れになります。
ただ、学校名だけを並べると、浦林さんらしさは少し見えにくいかもしれません。
- 出身高校は東京都立国際高等学校
- 大学は早稲田大学人間科学部
- 小学校・中学校の校名、大学の具体的な学科や入試方式は非公表
- 大学ではワンダーフォーゲル部に所属し、創立70年初の女性主将を務めた
- 人見知りだった学生時代から、少しずつ人前に出る経験を重ねてきた
小学生の頃は、人前で手を挙げることも苦手なほどの人見知りでした。
それでも中学校では学級委員に立候補。高校では文化祭の演劇に出演し、大学では学園祭運営やワンダーフォーゲル部へと活動の幅を広げました。
ワンダーフォーゲル部では、1年生の頃には「新人浦林」として先輩について山へ入り、3年生以降は後輩を率いる立場へ。最後には創立70年で初めての女性主将を任されています。
その一方で、アナウンサーを目指してスクールにも通い、テレビ朝日への入社につなげました。
こうして学生時代を追っていくと、浦林さんの魅力は「何でも最初からできたこと」ではなさそうです。
人前に出ることへの苦手意識も、厳しい冬山のつらさも、アナウンサーになってからの緊張もあります。
それでも、そのたびに少しずつ前へ進んできました。
今後は報道やスポーツ、自然に関わる仕事にも挑戦したいと話している浦林さん。
学生時代から続く「苦手でもまずやってみる」という姿勢が、これからどんな仕事につながっていくのかも楽しみですね。
