TBSアナウンサーの浦野芽良(うらの・かいら)さんについて、「高校や大学はどこ?」「学生時代はどんな人だったんだろう」と気になっている方も多いのではないでしょうか。
浦野芽良さんの出身高校は関西学院千里国際高等部、大学は立教大学社会学部社会学科です。
どちらもTBSの公式プロフィールで公表されているので、高校と大学についてははっきりしています。
一方、小学校や中学校の具体的な学校名は公表されていません。
そして浦野芽良さんの学歴を詳しくたどってみると、学校名以上に興味深いのが学生時代の過ごし方です。
- 高校は関西学院千里国際高等部
- 大学は立教大学社会学部社会学科
- 中高では毎年英語ミュージカルに出演し、大学では留学やテレビ出演も経験
立教大学では社会問題について学び、ベトナムへの留学も経験。さらに卒業論文では「ハーフ」と人種差別に関するテーマを扱っていました。
一つずつ見ていくと、現在のアナウンサーとしての姿につながる経験がかなり多いんです。
浦野芽良の学歴を一覧で確認
まずは、現在分かっている浦野芽良さんの学歴を整理してみましょう。
高校と大学は公式に確認できますが、小学校と中学校については学校名まで公表されていません。
- 小学校
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ニュージーランドで過ごしたのち大阪府へ。具体的な学校名は公表されていません。
- 中学校
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学校名は公表されていません。本人は中学校から英語ミュージカルに毎年出演していたと明かしています。
- 高校
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関西学院千里国際高等部。TBS公式プロフィールで公表されています。
- 大学
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立教大学社会学部社会学科。卒業論文では「ハーフ」と人種差別に関するテーマを扱っています。
高校と大学は公式プロフィールで確認できる
浦野芽良さんの出身高校は関西学院千里国際高等部です。
大学は立教大学社会学部社会学科。
この2つはTBSのアナウンサー公式プロフィールに掲載されています。そのため、「高校はどこ?」「立教大学出身なの?」という点については、確認されている情報と考えてよさそうです。
浦野芽良さんは2001年11月5日生まれ。岡山県岡山市で生まれ、ニュージーランドのウェリントンと大阪府箕面市で育っています。
大学進学後は東京へ移ったため、子どものころから何度か生活環境が大きく変わってきたことになります。
本人も、何度も引っ越した経験から「どこに行っても誰とでも仲良くなれること」が特技になったと話しています。
人との距離を縮める力は、アナウンサーになった今にも生きていそうですね。
中学校は関西学院千里国際中等部とは断定できない
中学校については、少し注意して見ておきたいところです。
浦野芽良さんは「中学校から高校まで毎年英語のミュージカルに出ていた」と話しています。
さらに、出身高校の関西学院千里国際には中等部があります。
そのため、「中学校も関西学院千里国際中等部だったのでは?」と紹介されることがあります。
- 関西学院千里国際高等部は公式に確認できる
- 関西学院千里国際中等部については、出身校として公式に公表されていない
- 「中学から英語ミュージカルに出演していた」という事実と、中学校名は分けて考える必要がある
中等部から高等部へ内部進学した可能性は考えられますが、確認できる資料がない以上、断定はしないほうが自然です。
浦野芽良の小学校時代はニュージーランドで過ごした
浦野芽良さんの学生時代を見ていくうえで、高校や大学だけでなく幼少期も大切です。
英語が得意な理由やラグビーへの強い思いも、このころの生活とつながっています。
岡山県で生まれ、9歳ごろまでニュージーランドへ
浦野芽良さんは岡山県岡山市で生まれました。
その後、幼少期をニュージーランドのウェリントンで過ごし、9歳ごろに日本へ移っています。
父親がニュージーランド人、母親が日本人で、幼いころから英語と日本語の両方に触れる環境だったようです。
現在の浦野芽良さんは英検1級を持ち、英語を特技として挙げています。
ただ、英語力は学校で勉強して身につけただけではありません。幼少期から英語のある生活を送ってきたことが、大きな土台になっているのでしょう。
小学生のころに大阪府箕面市へ
ニュージーランドから日本へ移った後は、大阪府箕面市で育っています。
海外から日本へ移るとなると、言葉だけでなく学校生活や友達との付き合い方も変わります。
子どもにとってはかなり大きな環境の変化ですよね。
それでも浦野芽良さんは、後に「誰とでも仲良くなれること」を自分の得意なこととして挙げています。
何度も新しい環境に入った経験が、人との接し方を自然と身につけるきっかけになったのかもしれません。
小学5年生でアナウンサーに憧れた
浦野芽良さんがアナウンサーという仕事を意識したのは、かなり早い時期でした。
小学5年生のころ、母親にアナウンサーという仕事を勧められたことがきっかけだったそうです。
当時はまだ漠然とした憧れだったようですが、この経験は後になってもう一度、大きな意味を持つことになります。
浦野芽良の高校は関西学院千里国際高等部
浦野芽良さんが通っていた高校は関西学院千里国際高等部です。
大阪府箕面市にある学校で、国際色のある教育環境が特徴です。
浦野芽良さんの英語力や中高時代の活動を見ていくと、この時期に経験したことが現在の仕事にもつながっていることが分かります。
国際的な環境で学んでいた
関西学院千里国際中等部・高等部は、大阪インターナショナルスクールと同じキャンパスを使っています。
音楽や美術、体育などでは両校の生徒が一緒に学ぶ機会もあり、さまざまな文化的背景を持つ人と接する環境です。
ニュージーランドで幼少期を過ごした浦野芽良さんにとって、こうした国際的な雰囲気はなじみやすかったのかもしれません。
ただし、「帰国子女だからこの高校を選んだ」と本人が明かしているわけではありません。学校を選んだ理由までは分かっていないため、そこは想像だけで決めつけないほうがよさそうです。
中学から高校まで英語ミュージカルに毎年出演
浦野芽良さんの学生時代を語るなら、英語ミュージカルは外せません。
本人によると、中学校から高校まで毎年英語のミュージカルに出演していました。
歌うこと、踊ること、演技することのすべてが好きだったそうです。
- 英語で台詞を話しながら舞台に立つ
- 歌やダンス、演技にも取り組む
- 観客の前で自分を表現する
- 仲間と一緒に一つの舞台を作る
本人は、このミュージカル経験を通して「人前で表現する楽しさ」を知ったと話しています。
それがアナウンサーへの憧れにもつながっていきました。
ニュースを読む仕事とミュージカルは一見まったく違います。でも、声や表情を使って相手に何かを届けるという点では、共通する部分がありますよね。
高校時代には芸能活動も始めていた
高校2年生ごろには、芸能事務所に所属していたことも報じられています。
中高でミュージカルを経験し、学校の外にある表現の世界へも少しずつ活動を広げていったようです。
浦野芽良さんは現在、自分の性格を「やりたいことはやり遂げる、根が真面目な冒険家」と表現しています。
高校時代から興味を持ったことに実際に飛び込んでいたことを考えると、本人らしい言葉に感じますね。
浦野芽良の大学は立教大学社会学部社会学科
高校卒業後は、立教大学社会学部社会学科へ進学しました。
大学進学をきっかけに大阪から東京へ。
社会学を学ぶだけでなく、留学、スポーツ、ラグビー観戦、テレビ出演と、さらに活動の幅を広げています。
- 社会学部社会学科で格差や社会問題を学ぶ
- 「ハーフ」と人種差別をテーマに卒業論文を書く
- ベトナムへ約4か月留学
- クライミングサークルで活動
- 毎週のように大学ラグビーを観戦
立教大学では社会学を学んだ
社会学は、人と人との関係や社会の仕組み、格差、文化、差別といったテーマを幅広く扱う学問です。
浦野芽良さん自身も、大学では「格差」について学び、いじめなどの社会問題にも関心を持っていたことを明かしています。
英語が得意で海外経験も豊富なので、国際関係や外国語を専門にしていたイメージを持つ人もいるかもしれません。
でも、実際に選んだのは社会学でした。
人や社会について考える分野を学んでいたことは、ニュースや情報番組に関わる現在の仕事を考えても興味深いところです。
卒論は「ハーフ」と人種差別がテーマ
大学時代について、さらに注目したいのが卒業論文です。
立教大学の公式資料には、「浦野 芽良バージニア」名義の卒業論文題目が掲載されています。
- 研究対象は日本とベトナム
- 「ハーフ」と呼ばれる人々への人種差別をテーマにしている
- 当事者へのインタビューを通して考察する研究だった
浦野芽良さん自身も、日本人の母親とニュージーランド人の父親を持っています。
そうした本人のルーツとも近いテーマを、大学での研究として扱っていたことになります。
ただし、「自分自身の経験がきっかけでこの卒論を書いた」と本人が説明しているわけではありません。
そこまでの理由は分かりませんが、大学時代に格差や社会問題へ関心を持っていたという話と合わせて見ると、関心の方向にはつながりが感じられますね。
約4か月ベトナムへ留学
浦野芽良さんは大学時代、ベトナムへ約4か月留学しています。
これまでに約20カ国を訪れた経験があり、その中でも特に印象に残っている国としてベトナムを挙げています。
そして興味深いのが、卒業論文でも日本とベトナムを取り上げていることです。
留学がそのまま卒論テーマにつながったのかは分かりません。
ただ、大学時代に実際にベトナムで生活し、卒業研究でもベトナムを研究対象にしていたことは確認できます。
海外旅行が好きというだけではなく、現地で生活するところまで踏み込んでいるのが浦野芽良さんらしいところですね。
クライミングサークルでは幹部も経験
大学ではクライミングサークルにも所属していました。
サークルでは幹部を務めたことも伝えられています。
中高ではミュージカル、大学では社会学を学びながらクライミング。さらに留学や芸能活動もしていたわけですから、かなり好奇心が強いタイプだったのでしょう。
ただ、新しいことを次々に始めるだけではなく、サークルでは幹部を務め、大学では卒論まで仕上げています。
本人が自分を「根が真面目な冒険家」と表現しているのも、このあたりを見ると納得できます。
大学時代は毎週のようにラグビー観戦
浦野芽良さんは、かなりのラグビー好きでもあります。
父親の母国であるニュージーランドは、ラグビーがとても盛んな国です。
幼いころからラグビーに親しみ、日本へ移ってからは大阪の花園へ試合を見に行っていました。
大学進学で東京に移ってからは、毎週のように大学ラグビーを観戦。
試合会場から帰ったあと、映像でもう一度見返すこともあったそうです。
ここまでくると、単なるスポーツ観戦の趣味というより、かなり深くラグビーを追っていたことが分かりますね。
浦野芽良は大学時代にテレビ出演もしていた
浦野芽良さんは大学時代、学業やサークルだけでなく芸能活動も続けていました。
そのころは「澄川サラ」という名前で活動していた記録が残っています。
現在のアナウンサーとしての仕事を考えると、この時期の経験も見逃せません。
「澄川サラ」名義で活動
当時の公開情報には、「澄川サラ」という名前のタレントが確認できます。
2001年11月5日生まれで、ニュージーランドと日本にルーツがあり、立教大学に通う学生として紹介されていました。
生年月日や大学、家族のルーツなどが浦野芽良さんと一致しているため、学生時代に使っていた活動名とみてよさそうです。
ただし、現在のTBS公式プロフィールには「澄川サラ」の名前は載っていません。
今は浦野芽良さんとして活動しているので、「大学時代の芸能活動で使っていた名前」と整理すると分かりやすいでしょう。
ラグビー番組で初めてテレビ出演
2022年には、TOKYO MXで放送されたブラックラムズ東京の公式応援番組『Black LOVEz』に出演しています。
担当はアシスタント・ロケリポーターでした。
当時の本人コメントによると、これが初めてのテレビ出演だったそうです。
- ラグビーが好き
- 英語が得意
- テレビで人に伝える仕事を経験
ラグビー好きの大学生が、実際にラグビー番組でリポーターを経験する。
後にTBSアナウンサーとしてスポーツ番組へ関わっていることを考えると、かなり印象的な経歴です。
立教大学からTBSアナウンサーになるまで
ここまでの経歴を見ると、ずっとアナウンサー一本で進んできたようにも見えます。
でも、実際はそうではありません。
大学の就職活動では外資系メーカーやコンサルティング業界なども考えていて、いろいろな選択肢を見たうえで、もう一度子どものころの夢へ戻ってきました。
小学5年生
母親の言葉をきっかけに、アナウンサーという仕事に憧れる。
中学・高校時代
英語ミュージカルを続け、人前で表現する楽しさを知る。
高校時代
芸能の世界にも入り、学校の外で表現する経験を重ねる。
立教大学時代
社会学を学びながら留学やテレビ出演を経験。大学2年生の終わりごろに、アナウンサーへの夢を思い出す。
2024年
立教大学を卒業し、TBSへ入社する。
大学2年生の終わりにアナウンサーの夢を思い出した
浦野芽良さんが本格的にアナウンサーを意識し直したのは、大学2年生の終わりごろでした。
就職について考える中で、「そういえば昔、アナウンサーになりたいと思っていた」と思い出したそうです。
調べてみると、ちょうどアナウンサーのインターン募集が始まる時期でした。
そこで実際に応募。この行動が現在のTBS入社につながっていきました。
思い出しただけで終わらず、すぐ動いたところが浦野芽良さんらしいですね。
2024年にTBSへ入社
立教大学卒業後の2024年、浦野芽良さんはTBSへ入社しました。
この年のTBS新人アナウンサーは浦野芽良さん一人。同期のアナウンサーがいないという、少し珍しいスタートでした。
本人も寂しさは感じていたそうですが、その一方で「先輩にたくさん教えてもらえる」「チャンスも増える」と前向きに考えていたそうです。
新しい環境に入ったとき、まず良い面を見つけようとするところは、幼少期から何度も環境を変えてきた経験とも重なる気がします。
浦野芽良の学歴から見えてくる性格
浦野芽良さんの学歴は、学校名だけを並べても人物像まではなかなか見えてきません。
でも、学生時代に何をしていたかまで追ってみると、性格がかなり分かりやすくなります。
本人が話している「根が真面目な冒険家」という言葉が、まさにぴったりです。
気になったことには実際に挑戦する
浦野芽良さんは、興味を持ったことを見ているだけで終わらせないタイプのようです。
ミュージカルが好きなら舞台に立つ。
海外が好きなら留学する。
ラグビーが好きなら毎週試合を見に行く。
テレビに興味があれば、学生のうちから番組に出演する。
アナウンサーになりたいと思い出したら、インターンへ応募する。
こうして並べてみると、かなり行動力がありますね。
行動派だけれど、かなり真面目
一方で、自由奔放な冒険家というわけでもありません。
大学では社会問題について学び、インタビュー調査を取り入れた卒業論文を仕上げています。
クライミングサークルでは幹部も経験しました。
テレビ出演や旅行などを楽しみながら、学業や自分の役割もしっかりこなしていたことになります。
「根が真面目」という自己分析も、こうした学生時代を見ると納得できます。
父親の言葉を大切にしている
浦野芽良さんが好きな言葉として挙げているのが、「Fake it till you make it」です。
父親がよく使っていた言葉だそうです。
簡単にいえば、「できるようになるまで、できる人のようにやってみる」といった意味合いがあります。
最初から自信がつくまで待つのではなく、まず舞台に立つ。海外へ行く。テレビに出る。アナウンサーのインターンに応募する。
学生時代の歩みを見ると、経験しながら成長していくタイプなのだと思います。
学生時代の経験は現在の仕事にどう生きている?
浦野芽良さんは現在、情報番組やスポーツ、バラエティーなど幅広い仕事を担当しています。
学生時代を振り返ると、今の活動につながる経験が本当に多いです。
英語ミュージカルは表現力につながっている
中高で続けた英語ミュージカルでは、声だけでなく表情や動きも使って観客へ伝えます。
アナウンサーとは違う世界ですが、人前で表現するという点では共通しています。
本人自身も、ミュージカルによって人前で表現する楽しさを知ったと話しています。
テレビに出る仕事を選んだことを考えると、中高時代の経験はかなり大きかったのでしょう。
社会学の学びはニュースを見る視点にも
大学では格差や差別などの社会問題に関心を持っていました。
卒論では「ハーフ」と人種差別について研究しています。
アナウンサーは研究者ではありませんが、ニュースを伝えるときには「なぜこうなったのか」「どんな人が影響を受けるのか」と考えることが欠かせません。
学生時代に社会学を学んだ経験は、報道や情報番組に関わるうえでも一つの土台になっていきそうです。
英語とラグビーは大きな強み
浦野芽良さんの経歴の中でも、特に今後が楽しみなのが英語とラグビーです。
幼少期をニュージーランドで過ごし、英検1級を取得。
大学時代には毎週のようにラグビーを観戦し、ラグビー番組への出演も経験しました。
英語とラグビーの両方を自分の経験として持っているのは、アナウンサーとしても大きな個性になりそうです。
本人は将来の目標として、ニュージーランド代表のオールブラックスへのインタビューも挙げています。
実現すれば、幼いころからの経験が一本につながる仕事になりそうですね。
浦野芽良の学歴でよくある疑問
浦野芽良さんについては、学生時代の芸能活動も含めてさまざまな情報が出ています。
最後に、学歴について特に気になりやすい部分をまとめておきます。
浦野芽良の学歴をたどると今の姿が見えてくる
浦野芽良さんの学歴は、関西学院千里国際高等部から立教大学社会学部社会学科へ進学という流れです。
小学校と中学校については、具体的な学校名は公表されていません。
ただ、浦野芽良さんの場合は「どこの学校を出たか」だけを見るより、「そこで何をしていたか」をたどったほうが人物像がよく見えてきます。
幼少期はニュージーランドで過ごし、小学生のころに大阪へ。
中高時代には英語ミュージカルへ毎年出演し、人前で表現する楽しさを知りました。
高校時代から芸能の世界にも触れ、立教大学では社会学を学んでいます。
大学では格差や差別といった社会問題に関心を持ち、卒論では日本とベトナムにおける「ハーフ」と人種差別を研究。
その一方で、ベトナム留学、クライミング、ラグビー観戦、テレビ出演などにも挑戦しました。
そして就職活動では一度ほかの業界も考えながら、子どものころのアナウンサーへの憧れを思い出します。
そこからインターンへ応募し、2024年にTBSへ入社しました。
- 英語 → 海外選手への取材やインタビューへ
- ラグビー → スポーツ番組や取材で生かせる強みへ
- 英語ミュージカル → 人前で表現する力へ
- 社会学 → ニュースや社会問題を見る視点へ
こうして時系列で見ると、一本道の経歴ではありません。
むしろ、いろいろなことに興味を持ち、そのたびに実際に挑戦してきた学生時代だったことが分かります。
一見バラバラだった経験が、アナウンサーになったことで少しずつつながり始めているんですね。
新しい環境を楽しみながら、興味を持ったことに一つずつ飛び込んできた学生時代が、今の浦野芽良さんらしさを作っている。
そう考えると、これから英語やラグビー、社会学での学びをどんな仕事に生かしていくのかも楽しみになってきます。
