テレビ東京で活躍する山本倖千恵アナウンサー。
落ち着いた話し方や爽やかな雰囲気が印象的ですが、学生時代をたどってみると、中学から大学まで約10年間にわたって陸上競技に打ち込んできた本格的なアスリートだったことが分かります。
「大学はどこだったの?」
「高校では本当に全国3位になったの?」
「中学時代は兵庫県にいたって本当?」
そんな疑問を持っている人も多いようですね。
先に大きなポイントをまとめると、山本倖千恵アナは東京高校から立教大学へ進学しています。
- 大学は立教大学社会学部
- 高校は陸上強豪校として知られる東京高校
- 高校3年で800mの全国インターハイに出場
- 4×400mリレーでは全国3位
- 中学から大学まで約10年間、陸上競技を継続
ただ、学生時代がおもしろいのは、華やかな成績だけではありません。
短距離で思うように結果が出ず800mへ転向したことや、大学では練習方法を自分で考えるようになったこと、高校時代のテレビ出演が現在の仕事につながっていったことなど、今の山本倖千恵アナにつながる出来事がたくさんあります。
ここからは、中学、高校、大学の順に詳しく見ていきます。
山本倖千恵の学歴を整理すると中学から大学まで陸上一筋
まずは、山本倖千恵アナの学生時代をざっくり整理してみましょう。
本人のインタビューや競技記録を見ると、中学1年生から大学まで約10年間、陸上競技を続けていたことが分かります。
| 時期 | 学校・地域 | 主な出来事 |
|---|---|---|
| 中学時代 | 兵庫県で2年間、その後関東へ | 中学1年から陸上を始め、100m・200mを中心に競技 |
| 高校時代 | 東京高校 | 800mで全国インターハイ出場、4×400mリレー全国3位 |
| 大学時代 | 立教大学社会学部 | 800mを継続し、中距離ブロックのパート長も経験 |
こうして見ると、ずっと順調に結果を出してきたようにも感じます。
ただ、本人は中学時代について「特別に足が速かったわけではない」という趣旨の話をしています。
最初から全国レベルの選手だったわけではないんですね。
思うようにいかない時に競技種目を変えたり、練習の仕方を工夫したりしながら少しずつ力を伸ばしてきました。
その過程を知ると、学校名だけを見るより山本倖千恵アナの人物像がぐっと分かりやすくなります。
中学1年で陸上競技を始めます。兵庫県で2年間を過ごしたあと、中学3年で関東へ転居しました。
全国大会を目指して東京高校へ。短距離から800mへ転向し、全国インターハイ出場と4×400mリレー全国3位を経験しました。
立教大学社会学部へ進学。大学4年まで800mを続けながら、番組制作のアルバイトも経験し、アナウンサーへの道につながっていきました。
山本倖千恵の大学は立教大学社会学部
山本倖千恵アナの出身大学は立教大学です。
大学では社会学部に在籍していました。
2018年に立教大学の体育会を扱った記事には、女子800mの選手として「山本倖千恵(社1=東京)」と掲載されています。
「社1」は社会学部1年、「東京」は出身高校の東京高校を示す表記です。
高校で全国大会に出場したあとも競技をやめず、大学でも800mを中心に走り続けました。
ただ、大学時代は高校までと同じようにはいかなかったようです。
立教大学社会学部に進学
競技記録では2018年に立教大学1年として大会に出場しています。
そのため、通常の進学時期で考えると2018年4月に立教大学へ入学したとみられます。
大学でも女子800mを中心に競技を続けていました。
学科名については少し注意が必要です。
ネット上では「社会学部メディア社会学科」と紹介されることもありますが、本人や大学側の公開情報で確認できるのは「社会学部」までです。
学科名については、はっきり確認できる一次情報が見つかっていません。そのため、現時点では立教大学社会学部出身と考えるのが自然ですね。
立教大学を選んだ理由ははっきり公表されていない
東京高校については「全国大会に出たい」「強くなりたい」という進学理由を本人がかなり詳しく話しています。
一方、立教大学については、「なぜ立教大学を選んだのか」という理由そのものはあまり詳しく語られていません。
大学に入ってからは、高校とは違い、自分で練習内容を考えながら競技に取り組んだことを明かしています。
高校時代は指導者に教わりながら走ることが中心でしたが、大学では自分自身で考える時間が増えたそうです。
その意味では、立教大学時代は競技者として少しずつ自立していった4年間だったと言えそうです。
大学1・2年は思うようにいかない時期もあった
高校では全国大会まで進んだ山本倖千恵アナですが、大学に入ってからはすぐに順調だったわけではありません。
本人によると、大学最初の2年間は環境や体型の変化に悩んだそうです。
高校から大学へ進むと、練習環境も生活リズムも大きく変わります。
今まで当たり前だった指導の仕方も変わり、自分で考えなければいけない場面が増えていきます。
山本倖千恵アナも、他の選手のレース動画や練習内容を見るなどしながら、自分に合う方法を探していきました。
誰かに答えを教えてもらうのではなく、「どうしたら自分はもっと速くなれるのか」を自分なりに考えるようになったんですね。
この経験は、現在の仕事への向き合い方にもつながっているように感じられます。
大学2年で800m自己ベスト2分13秒03
大学時代の記録で注目したいのが、2019年に出した800mの2分13秒03です。
山本倖千恵アナは高校3年の全国インターハイで2分15秒30を記録しています。
大学に入ってからさらにタイムを縮めたことになります。
大学生活の最初の2年間について、本人は決して楽な時期ではなかったと振り返っています。
それでも自己ベストを更新しているところを見ると、試行錯誤しながら競技力そのものは着実に伸ばしていたことが分かります。
「思うようにいかない時期」と「記録が伸びたこと」は、必ずしも矛盾しないんですね。
本人が自分に求めていたものが、それだけ高かったのかもしれません。
中距離ブロックのパート長も経験
大学生活の後半では、中距離ブロックのパート長も務めています。
ここからは、自分の記録だけを追いかければいい立場ではなくなりました。
後輩がどうすれば速くなるのかを考えたり、他の選手の練習方法を調べたりするようになります。
さらに大学時代の後半には、新型コロナウイルスの流行も重なりました。
思うように練習できない中で、自分だけでなくチーム全体のことを考える必要があったそうです。
高校時代のリレーでも、山本倖千恵アナは「自分だけのためではなく、周りの人のためにも頑張る」という気持ちを経験しています。
大学では、その感覚が後輩やチーム全体へと広がっていったのかもしれません。
大学4年まで800mを続けた
山本倖千恵アナは大学4年まで競技を続けています。
2021年の大会にも立教大学4年として女子800mに出場していました。
中学1年から考えると、およそ10年間にわたって陸上を続けたことになります。
- 立教大学社会学部に進学
- 高校から引き続き800mを中心に競技
- 最初の2年間は環境や体型の変化に苦労
- 大学2年で800m自己ベスト2分13秒03
- 中距離ブロックのパート長を経験
- 大学4年まで競技を継続
全国大会経験者というだけでなく、うまくいかない時期を経験しながら、自分なりの競技スタイルを作っていった大学生活だったことが分かります。
大学時代のAD経験がアナウンサー志望につながった
立教大学時代は、現在の仕事へ進むうえでも大きな転機になっています。
山本倖千恵アナは大学時代に番組制作会社でADのアルバイトを経験しました。
もともとはテレビ局の総合職にも興味を持っていたそうです。
制作現場でアナウンサーと話す機会があり、そこでアナウンサースクールの存在を知ります。
それをきっかけに、アナウンサーという仕事をより具体的に考えるようになりました。
ただ、テレビへの興味そのものは大学で突然生まれたわけではありません。
そのきっかけは、東京高校時代までさかのぼります。
山本倖千恵の高校は陸上強豪の東京高校
山本倖千恵アナの出身高校は東京高校です。
高校時代は、学歴の中でも特にエピソードが多い時期です。
全国トップレベルの選手がそろう環境に入り、思うように結果が出ない経験もしました。
それでも競技を続け、短距離から800mへ転向。
最終的には全国インターハイへの出場を果たし、4×400mリレーでは全国3位になっています。
本人は高校生活を振り返り、「負けん気」が身についたと話しています。
東京高校を選んだ理由は全国大会に出るため
東京高校へ進んだ理由は、とても分かりやすいものでした。
「全国大会に出たい」という思いです。
中学生の頃にテレビでインターハイを見ていた山本倖千恵アナは、東京高校の選手が男女100mで優勝する姿を目にしました。
全国で活躍する選手たちを見て、「ここなら強くなれる」と感じたそうです。
家族のサポートを受けて強豪校へ進んだこともあり、本人の中には「結果を出して恩返ししたい」という思いもありました。
自分の夢だけではなく、支えてくれる家族の存在も競技を続ける力になっていたんですね。
強豪校だからこそ校内の競争も厳しかった
東京高校へ入ったからといって、すぐに全国大会へ進めたわけではありません。
むしろ強い選手が多いからこそ、校内の競争はかなり激しかったようです。
山本倖千恵アナは中学まで100mや200mを中心に走っていました。
ところが東京高校には短距離の実力者が数多く在籍していました。
大会へ出るメンバーに入ること自体が簡単ではありません。
本人は強い選手の走りを観察し、自分にも取り入れようとしていたそうです。
男子選手に何とかついていこうとしたり、「人より多く練習すれば伸びるかもしれない」と考えたりしながら努力を重ねました。
今でこそ全国大会経験のあるアナウンサーとして紹介されることが多いですが、高校時代はむしろ「周りに自分より強い選手がいる」という状況のほうが長かったようです。
100m・200mから800mへ転向
高校時代の大きな転機が、800mへの挑戦でした。
短距離では校内の競争が厳しく、全国を狙うには簡単ではない。
そこで新しく取り組んだのが800mでした。
高校1年の新人戦で初めて本格的に800mを走り、記録は2分20秒ほどだったそうです。
800mは、100mや200mとは感覚がかなり違います。
最初から全力で走れば後半が苦しくなりますし、かといってペースを落としすぎても勝てません。
どこで力を使い、どこで我慢するか。
レース全体を考えながら走る必要があります。
最初から800mが得意だったわけではありませんが、少しずつレースの駆け引きも分かるようになりました。
そして高校2年になる頃には、「800mで勝負する」という気持ちが固まっていきます。
高校2年で東京都2位に
高校2年の新人戦では、女子800mで東京都2位になりました。
タイムは2分14秒台。
それまでの自己ベストを大きく更新しています。
この結果によって、それまで遠く感じていた全国大会が、少しずつ現実的な目標に変わっていきました。
短距離ではなかなか出番をつかめなかった選手が、種目を変えたことで全国を狙える位置まで成長したわけです。
高校時代の山本倖千恵アナを見ていると、「最初に選んだ道だけにこだわらない」という柔軟さがよく分かります。
南関東大会では7番手から3位へ
高校3年の南関東大会800mは、本人にとって特に印象深いレースの一つです。
全国インターハイへ進むためには6位以内に入る必要がありました。
ところが、最後の直線に入った時点では7番手。
本人は一度「終わった」と思ったそうです。
それでも会場からの応援が聞こえ、家族が見に来ていることも思い出しました。
「ここで終わりたくない」という気持ちが強くなり、最後の100mで一気に追い上げます。
結果は3位。
念願だった全国インターハイへの出場権をつかみました。
東京高校へ進学した時から目指していた舞台です。
本人が高校時代に「負けん気が身についた」と振り返っているのも、このレースを知ると納得できますね。
インターハイ800mに出場
高校3年だった2017年、山形県で行われた全国高校総体に出場しました。
女子800m予選で記録したタイムは2分15秒30。
予選突破とはなりませんでしたが、中学時代から目標にしていた全国大会への出場を実現しています。
「全国3位」の種目は800mではありません。
山本倖千恵アナが全国3位になったのは、同じ大会で行われた女子4×400mリレーです。
800mは全国インターハイ出場、4×400mリレーは全国3位と分けて覚えておくと分かりやすいですね。
4×400mリレーでは全国3位
高校時代の大きな実績が、全国インターハイ女子4×400mリレーでの3位です。
しかも、山本倖千恵アナは大会前からずっとリレーメンバーとして走っていたわけではありません。
本人によると、インターハイへ進むまでの予選では一度も4×400mリレーを走っていませんでした。
800mが終わった後は、リレーチームを応援するつもりだったそうです。
ところが大会最終日の決勝当日、顧問から走る準備をするように言われます。
その後、急きょ決勝メンバーに選ばれました。
うれしい気持ちだけではなかったようです。
それまでリレーを走ってきた選手がいて、その選手を応援している家族もいる。
そう考えると、「自分が走る以上は中途半端な走りはできない」と感じたそうです。
山本倖千恵アナは1走を務め、東京高校は全国3位。
突然任された大舞台で、しっかり役割を果たしました。
この経験から、本人は「自分のためだけではなく、誰かのためにも頑張る気持ち」が身についたと話しています。
大学で後輩のことを考えるようになった姿にも、どこかつながっているように感じます。
高校2年のテレビ出演が今の仕事につながった
高校時代には、現在の仕事へつながる出来事もありました。
高校2年の時、陸上選手としてTBS系「炎の体育会TV」に出演しています。
興味を持ったのは、自分がテレビに映ることよりも、番組を作る裏側だったそうです。
渡された台本を見て、「テレビ番組はこんなに細かく作られているんだ」と感じました。
そこから番組制作に興味を持つようになります。
そして大学では番組制作会社でアルバイトを経験。
さらにアナウンサーという仕事を知り、現在の進路へつながっていきました。
陸上を続けていたからテレビ出演につながり、その経験が仕事への興味につながった。
そう考えると、東京高校時代は競技だけでなく、人生の進路にも大きな影響を与えた時期だったと言えそうです。
山本倖千恵は中学1年から陸上を始めた
約10年間続いた陸上生活が始まったのは、中学1年生の時でした。
ただ、最初から陸上部へ入るつもりだったわけではありません。
本人は絵を描くことも好きで、美術部も候補にしていたそうです。
全国大会へ進む選手になったことを考えると、少し意外ですよね。
美術部も考えていたが陸上部へ
中学校で部活動を選ぶ時、陸上部や卓球部、美術部などを見学しようとしていました。
ところが、その日に見学できたのが陸上部だけだったそうです。
陸上部の先輩たちに歓迎され、それがうれしくて入部を決めました。
つまり、最初から「陸上で全国大会に出たい」と考えて入ったわけではありません。
小学生時代にはスイミングやダブルダッチ、フリスビーなども経験していたため、体を動かすこと自体は好きだったようです。
それでも本人は、「特別に足が速かったわけではない」と振り返っています。
最初はごく普通に始めた部活動が、その後10年間続くことになりました。
中学最初の2年間は兵庫県で過ごした
山本倖千恵アナの公式プロフィールでは、出身地は東京都となっています。
一方、本人は中学校の最初の2年間を兵庫県で過ごしたことを明かしています。
競技記録には、中学2年の「山本倖千恵」が「芦屋山手」所属として掲載されています。
そのため、兵庫県時代には芦屋市立山手中学校に在籍していた可能性が高いと考えられます。
ただし、本人やテレビ東京が「芦屋市立山手中学校」と学校名まで正式に公表しているわけではありません。
さらに中学3年で関東へ転校しているため、「芦屋市立山手中学校を卒業した」という意味でもありません。
中学3年で関東へ転校
本人によると、中学3年の時に兵庫県から関東へ引っ越しています。
転校先については、インターネット上で「目黒区立目黒中央中学校」と紹介されることがあります。
ただ、本人や現在の所属局が学校名を正式に公表した資料は確認できません。
そのため、「中学3年時に関東へ転校した」というところまでは本人の発言から確認できますが、転校後の中学校名については断定しないほうが自然でしょう。
人物について調べていると、一度ネット上に出た学校名が、そのまま複数のサイトへ広がっていくことがあります。
情報が多く出ていることと、本人が公表していることは少し違うんですね。
全国大会を目指したきっかけには淡い思い出も
山本倖千恵アナが全国大会を意識するようになったきっかけには、少し微笑ましいエピソードがあります。
兵庫県で陸上をしていた頃、同級生に全国大会へ出るほど足の速い男子生徒がいたそうです。
関東へ転校したあと、「全国大会へ行けばまた会えるかもしれない」と考えるようになりました。
本人は、この思い出を初恋にまつわるエピソードとしても紹介しています。
最初は「また会いたい」という気持ちだったのかもしれません。
それでも、その思いが全国大会を目指すきっかけになり、やがて本気の競技目標へ変わっていきました。
テレビでインターハイを見るようになり、そこで活躍していた東京高校へ進学。
高校3年では本当に全国大会へ出場しています。
きっかけは素朴でも、一度決めた目標へ長く取り組めるところに、山本倖千恵アナらしさが出ていますね。
山本倖千恵の学歴から見える性格
山本倖千恵アナの学生時代を見ていると、単に「スポーツが得意な人」というだけではないことが分かります。
むしろ印象に残るのは、うまくいかない時に考え方や方法を変えながら前へ進んでいるところです。
中学、高校、大学と環境が変わるたびに、競技への向き合い方も変わっています。
自分に合う道へ切り替えられる
高校では、もともと取り組んでいた100mや200mで校内の競争に苦戦しました。
そこで800mへ挑戦し、全国大会まで進んでいます。
大学では、高校までの「教えてもらう陸上」から、自分で練習方法を考えるスタイルへ変わりました。
レース動画を見たり、他の選手の練習を調べたりしながら、自分に必要なものを探しています。
一つのやり方にこだわらず、状況に合わせて変えられる。
この柔軟さは、山本倖千恵アナの学生時代を通して何度も見られます。
高校時代に身についた負けん気
本人が東京高校時代を振り返ってよく使っている言葉が「負けん気」です。
もともとは、どちらかというとへこたれやすい性格だったそうです。
それが全国レベルの選手たちと毎日練習するうちに、「自分も負けたくない」という気持ちが強くなっていきました。
南関東大会で7番手から3位まで追い上げたレースは、その性格がよく表れています。
結果だけを見ると「全国大会に出場したすごい選手」ですが、その裏には、自分より強い選手と比べながら悔しい思いをした時間がありました。
勝った経験だけでなく、思うように勝てなかった経験も今の人柄につながっているようです。
家族や仲間への思いも強い
東京高校への進学では、家族から多くのサポートを受けていました。
そのため本人にも、「結果を出して恩返ししたい」という気持ちがあったそうです。
全国大会出場を決めた南関東大会でも、最後の直線で家族の存在を思い出したことが大きな力になりました。
4×400mリレーでは、自分が選ばれたことで走れなくなった選手のことまで考えています。
「自分が選ばれてラッキー」で終わらず、任された以上はきちんと走りたい。
そんな責任感が伝わってきます。
大学では後輩のために練習方法まで考えるようになりました。
学生時代を通して、少しずつ「自分だけではなく、周りの人のためにも頑張る」という感覚が強くなっていったのかもしれません。
山本倖千恵の学歴はアナウンサーへの道にもつながった
山本倖千恵アナは大学卒業後、アナウンサーの道へ進みました。
ただ、就職活動になって突然アナウンサーを目指したわけではありません。
高校時代のテレビ出演から始まり、大学での番組制作経験を経て、少しずつ進路が形になっていきました。
高校でテレビに興味を持ち大学で制作現場へ
高校2年でテレビ番組に出演したことをきっかけに、テレビ制作の裏側へ興味を持つようになりました。
そして立教大学では、実際に番組制作会社でADとして働いています。
そこでアナウンサーと接する機会があり、アナウンサースクールの存在を知りました。
テレビ番組を作る仕事に興味を持っていたところから、「自分が伝える側になる」という選択肢も見えてきたわけです。
高校と大学での経験が少しずつ重なり、現在の仕事へつながっていきました。
大学卒業後は山形でアナウンサーに
大学卒業後は山形県の放送局へ入り、アナウンサーとしてのキャリアをスタートさせました。
山形という土地には、高校時代から縁がありました。
山本倖千恵アナが初めて全国インターハイへ出場した大会が行われたのが山形県だったからです。
本人にとって、長年の目標をかなえた思い出の場所でした。
そのため、山形で働きたいという思いがあったそうです。
高校時代に夢をかなえた場所が、大学卒業後には最初の仕事の場所になる。
振り返ってみると、不思議なつながりですよね。
山形では学生アスリートを取材する仕事も経験しました。
自分自身が全国大会を目指してきたからこそ、選手の悩みや努力にも寄り添いやすかった部分があったのではないでしょうか。
現在もランニングを続けている
その後、山本倖千恵アナはテレビ東京へキャリア入社しました。
現在はニュースやスポーツ、情報番組など幅広い仕事を担当しています。
テレビ東京の公式プロフィールでは、趣味の一つとして今もランニングを挙げています。
中学から大学まで続けた競技生活は終わりましたが、「走ること」そのものは今も身近にあるようです。
本人は陸上経験について、自分がさらに成長するには、苦手な部分や弱い部分から逃げずに向き合う必要があると学んだという趣旨の話もしています。
高校で短距離から800mへ。
大学では自分で練習を考えるスタイルへ。
社会人になってからは地方局からテレビ東京へ。
学生時代からずっと、環境に合わせながら新しいことへ挑戦しているところは変わっていないのかもしれません。
山本倖千恵の学歴でよくある疑問
山本倖千恵アナについて調べると、大学の学科や中学校名、陸上の成績について少しずつ違う情報が出てきます。
特に間違えやすい部分を整理しておきます。
山本倖千恵の学歴を振り返ると今の活躍につながる理由が見えてくる
山本倖千恵アナの学歴を振り返ると、「立教大学を卒業したアナウンサー」というだけでは見えてこない学生時代が分かります。
中学1年で偶然のような形で陸上部に入り、100mや200mから競技を始めました。
中学3年で兵庫県から関東へ転居。
全国大会へ出たいという目標を持ち、強豪の東京高校へ進みます。
ところが、東京高校には自分より速い選手が大勢いました。
そこで諦めるのではなく、短距離から800mへ挑戦。
高校2年で東京都2位、高校3年では全国インターハイへの出場を果たしました。
さらに4×400mリレーでは、急きょ決勝メンバーに入りながら1走を任され、全国3位。
本人が高校生活で身につけたと話している「負けん気」が、結果にもつながっています。
立教大学へ進んでからも陸上競技を続けました。
大学では、それまでの「教えてもらう陸上」から「自分で考える陸上」へ変化します。
うまくいかない時期もありましたが、大学2年には800mで2分13秒03の自己ベストを記録。
その後は中距離ブロックのパート長として、後輩のことまで考える立場になりました。
一方で、大学では番組制作の仕事も経験しました。
高校時代にテレビ番組へ出演したことをきっかけに芽生えた興味が、大学で具体的な仕事への関心に変わり、卒業後はアナウンサーの道へ進みます。
こうして見ていくと、山本倖千恵アナの学生時代には、いくつか共通するものがあります。
- 思うようにいかなければ、自分に合う方法を探す
- 環境が変われば、自分のやり方も変える
- 一度決めた目標には簡単に諦めず向き合う
短距離から800mへの転向も、大学での試行錯誤も、放送業界を目指した過程も、その姿勢の延長にあります。
山本倖千恵アナの学歴を詳しく見てみると、学校名や陸上の記録だけではなく、現在の仕事ぶりにつながる性格や考え方まで少し見えてきますね。
