NHK鳥取放送局でアナウンサーとして活動している末廣万葉(すえひろ・かずは)アナ。
2026年にNHKへ入局した新人アナウンサーということもあり、「どこの大学を出ているの?」「高校や中学校はどこ?」「学生時代はどんな人だった?」と気になっている人も多いようです。
調べてみると、大学については長崎大学多文化社会学部で学んでいたことが、長崎大学などの公開資料から確認できます。
一方、高校名については、現在のところ信頼できる資料では確認できません。
中学校については、JICAの公式記録に「広島県・ノートルダム清心中学校3年・末廣万葉さん」という気になる記録があります。
ただし、こちらはNHKの末廣万葉アナ本人だと直接確認できているわけではありません。
そのため、確定している学歴と、有力ではあるものの未確認の情報を分けながら見ていきます。
- 末廣万葉アナの大学は長崎大学多文化社会学部
- 出身高校は現在のところ学校名が確認されていない
- 中学校にはノートルダム清心中学校という有力な記録がある
- 高校時代から平和に関する活動に参加していた
- 大学ではナガサキ・ユース代表団として国内外で活動
- 2026年にNHKへ入局し、鳥取放送局へ配属された
学校名だけを追っていくと、末廣万葉アナの経歴は「広島出身で長崎大学へ進み、NHKに入った」という比較的シンプルなものに見えます。
でも、学生時代の活動までたどってみると、もう少し違った人物像が見えてきます。
高校時代には平和に関する活動に参加し、大学では国内で講師を務めるだけでなく、ウィーンで国際的な活動も経験しています。
「自分で知る」「考える」「人に伝える」という流れを、学生時代から何度も経験してきた人なんですね。
末廣万葉アナの学歴でわかっていること
まずは、末廣万葉アナの学歴を整理しておきましょう。
すべての学校名が公式プロフィールで公開されているわけではありませんが、大学については本人の氏名と所属が記された資料が複数確認されています。
| 中学校 | ノートルダム清心中学校に同姓同名・年代一致の記録 | 本人との直接確認なし |
| 高校 | 広島で育ち、高校1年時に平和関連行事へ参加 | 学校名は不明 |
| 大学 | 長崎大学多文化社会学部 | 公開資料で確認 |
特に大学時代は記録が豊富です。
長崎大学1年生から3年生にかけて、どのような活動をしていたのかまで追うことができます。
中学3年生ごろ
2018年度、同姓同名の「末廣万葉さん」がJICAのエッセイコンテストで審査員特別賞を受賞。
高校1年生
ローマ教皇フランシスコの広島訪問に関連した「平和のための集い」で、ボランティアスタッフを経験。
長崎大学へ進学
広島から長崎へ移り、長崎大学多文化社会学部で学び始める。
大学1年生
ナガサキ・ユース代表団第11期生に選ばれる。
大学2年生
ウィーンへ渡り、国際会議に関連した活動や書道を使った交流イベントを経験。
大学3年生
五島焼八本木窯跡の発掘調査にも参加。
2026年
NHKへ入局。初任地として鳥取放送局へ配属。
こうして時系列で見ると、学生時代からかなり幅広い経験をしていることがわかりますね。
ここからは、大学、高校、中学校の順番で詳しく見ていきます。
末廣万葉アナの大学は長崎大学多文化社会学部
末廣万葉アナの学歴の中で、最もはっきり確認できるのが大学です。
末廣万葉アナは、長崎大学多文化社会学部で学んでいました。
長崎大学が公開しているナガサキ・ユース代表団第11期生の資料には、「末廣万葉・長崎大学多文化社会学部1年」と記されています。
核兵器廃絶長崎連絡協議会による当時の本人紹介でも、同じ所属が確認できます。
- 大学は長崎大学
- 学部は多文化社会学部
- 大学1年生から活動記録が残っている
単に大学名がわかっているだけではなく、在学中に何をしていたのかまでかなり詳しく残っているところが、末廣万葉アナの学歴の特徴です。
広島から長崎へ進学した
末廣万葉アナ本人は、ナガサキ・ユース代表団の自己紹介で、広島で生まれ育ち、大学進学を機に長崎へ来たと話しています。
つまり、高校時代まで過ごしていた広島を離れ、大学生活を長崎で始めたことになります。
広島と長崎。どちらも被爆の歴史を持つ土地ですね。
本人も後に、広島で育ち、長崎で学ぶ自分だからこそ伝えられることがあるのではないかと考え、ナガサキ・ユース代表団へ応募したと振り返っています。
ただし、「平和について学ぶために長崎大学を選んだ」と本人が話しているわけではありません。
- 「広島出身で、その後長崎大学へ進学したこと」は確認できます。
- 一方で、「被爆地だから長崎大学を選んだ」とまでは確認されていません。
大学を選んだ理由そのものについては、現在確認できる資料では明らかになっていません。
ただ、長崎へ進学したことが、その後の活動を大きく広げるきっかけになったのは確かです。
多文化社会学部では何を学ぶ?
末廣万葉アナが在籍していた多文化社会学部は、語学だけを専門的に学ぶ学部ではありません。
長崎大学では、政治や経済、歴史、文化、宗教、言語、メディアなど、幅広い分野を横断しながら学ぶことを特色としています。
また、「ことばの力」「調べる力」「考える力」「行動する力」なども大切にされています。
教室で知識を覚えるだけではなく、実際に現地へ行ったり、人と話したりしながら考える学びですね。
末廣万葉アナの大学生活を見てみると、まさにこうした学び方と重なる経験が多くあります。
海外で人と対話する一方、長崎では文化財の発掘調査にも参加しています。
現在のアナウンサーという仕事も、スタジオでニュース原稿を読むだけではありません。
現場へ行き、人から話を聞き、自分でも内容を理解したうえで視聴者へ伝える仕事です。
大学での学びが、そのままアナウンサーになるための訓練だったわけではありません。
それでも、「調べる」「考える」「相手の話を聞く」「言葉にする」という経験は、今の仕事にもつながって見えます。
大学1年から3年まで活動記録が残っている
末廣万葉アナについては、複数年にわたる大学時代の記録があります。
ナガサキ・ユース代表団へ選ばれた当時は、多文化社会学部1年生でした。
その後、2023年の資料では2年生として紹介されています。
2024年に公開された活動レポートでは、多文化社会学部3年生と記載されています。
- 1年生:ナガサキ・ユース代表団へ参加
- 2年生:ウィーンで国際的な活動を経験
- 3年生:代表団での経験を振り返る活動や発掘調査に参加
- その後:2026年にNHKへ入局
一部のプロフィールでは最終学歴として長崎大学多文化社会学部が紹介されています。
ただ、大学側の公開資料から直接確認できるのは、まず「長崎大学多文化社会学部で学んでいた」という事実です。
そのため、卒業について明確な一次資料が見つかるまでは、「長崎大学多文化社会学部で学び、その後NHKへ入局した」と考えておくのが自然ですね。
大学3年生では発掘調査にも参加
末廣万葉アナの大学時代というと、平和活動の印象が強くなりがちです。
でも、学生生活はそれだけではありません。
長崎大学の研究報告には、2024年度に行われた五島焼八本木窯跡の発掘調査に、多文化社会学部3年の末廣万葉さんが参加した記録があります。
国際問題について活動する一方で、長崎の歴史や文化を調べる現地調査にも参加していたわけですね。
末廣万葉アナはNHK入局時、自分の性格について「好奇心旺盛で、新しいことに挑戦するのが好き」という趣旨の紹介をしています。
国際的な活動から発掘調査まで経験していることを考えると、その言葉にも納得しやすいところがあります。
末廣万葉アナの出身高校はどこ?
大学が長崎大学だとわかると、その前に通っていた高校も気になりますよね。
ただ、現在確認できる信頼性の高い資料では、具体的な出身高校名はわかっていません。
高校時代について確認できるのは、学校名よりも当時の活動です。
特に高校1年生のころの経験は、その後の末廣万葉アナを考えるうえでも興味深いものになっています。
- 出身高校は現在のところ不明です。
- 中学校についてノートルダム清心中学校という有力な記録がありますが、そこからそのまま系列の高校へ進学したとは限りません。
- そのため、「ノートルダム清心高校出身」と断定することはできません。
高校1年生で平和に関する行事のボランティアへ
高校時代の大きな出来事として、末廣万葉アナ本人が挙げているのが、ローマ教皇フランシスコが広島を訪れたときの経験です。
高校1年生だった末廣万葉アナは、「平和のための集い」でボランティアスタッフを務めました。
会場では、ローマ教皇が世界へ向けて平和へのメッセージを発信しています。
末廣万葉アナはその姿を目の前で見たことで、自分もこれまで学んできたことや考えてきたことを、もっと多くの人へ伝えたいと考えるようになったそうです。
誰かに答えを押しつけるのではなく、「平和について考えるきっかけを作りたい」という思いだったといいます。
この話は、その後の歩みを知ると特に印象に残ります。
大学では実際に自分が人前に立って伝える側になりました。
そして2026年には、アナウンサーとして情報を届ける仕事に就いています。
もちろん、この高校時代の経験だけでアナウンサーを目指したとは言えません。
ただ、高校1年生のころから「人に伝えること」に強い関心を持っていたことはわかります。
広島で育った経験も活動の原点に
末廣万葉アナは、広島で育つ中で、被爆体験や戦争体験を聞く機会が多かったと話しています。
そうした話を聞くたび、「戦争や核をなくすために自分には何ができるのだろう」と考えていたそうです。
その思いから、平和に関する活動にも参加してきました。
「広島県広島市出身」というプロフィールだけを見ると、ごく普通の出身地情報ですよね。
でも、本人にとっては、その土地で何を見聞きしてきたのかも大きかったようです。
そして大学進学後は、もう一つの被爆地である長崎で学ぶことになります。
末廣万葉アナの中学校はノートルダム清心中学校?
中学校については、少し慎重に見ておきたい情報があります。
JICAが公開している2018年度の「国際協力中学生・高校生エッセイコンテスト」の受賞者一覧には、広島県・ノートルダム清心中学校3年・末廣万葉さんという名前があります。
作品名は「『おいしい!』を世界中に」。
審査員特別賞を受賞しています。
- ノートルダム清心中学校が出身中学?
- 氏名だけではなく、広島という地域や年代も末廣万葉アナと一致しています。
- ただし、JICAの受賞者とNHKの末廣万葉アナを直接結び付ける資料は確認できていません。
- そのため、現時点では「本人とみられる有力な記録」として見るのがよさそうです。
氏名・地域・年代にはかなり共通点がある
JICAの資料に掲載されている末廣万葉さんと、NHKの末廣万葉アナにはいくつもの共通点があります。
- 氏名が「末廣万葉」で一致
- JICAの記録は広島県の中学生
- NHKの末廣万葉アナも広島県広島市出身
- 2018年度に中学3年なら、翌年度は高校1年生
- 本人は高校1年時に広島で平和関連行事へ参加している
ここまで一致すると、同一人物ではないかと考えるのも自然です。
ただし、同姓同名の別人である可能性を完全になくすことはできません。
「一致点はかなり多いけれど、最後の本人確認までは取れていない」という状態ですね。
中学3年生でJICAの審査員特別賞
JICAによると、2018年度のエッセイコンテストでは、中学生の部だけでも3万7000点を超える応募がありました。
その中で、ノートルダム清心中学校3年の末廣万葉さんは審査員特別賞を受賞しています。
作品名は「『おいしい!』を世界中に」。
世界の飢餓と、日本国内で起きている食品ロスについて考えた内容でした。
もしこの受賞者が末廣万葉アナ本人であれば、中学生のころから社会の出来事に関心を持っていたことになります。
食品ロスを知って実際に行動していた
エッセイでは、世界には十分に食べられない人がいる一方、日本では大量の食品が捨てられていることに疑問を持った様子が書かれています。
そして、「問題だと思った」で終わらせず、自宅でできることを実際に始めています。
- 買い物では必要な量だけ購入する
- 冷蔵庫に入っている食品を確認する
- 食事をできるだけ残さない
- 食品を無駄にしない方法を家族で考える
特別に大きな活動ではありません。
でも、社会の問題を知ったあとに「自分にできることは何だろう」と考えて、身近な行動へ移しているところが印象的です。
大学時代の末廣万葉アナにも、似た姿勢があります。
核問題について十分な知識がないところから学び始め、自分ができることを考え、講演やイベントにつなげていきました。
もしJICAの末廣万葉さんが本人であれば、「知っただけで終わらせない」という姿勢は中学生のころから続いていたのかもしれません。
ナガサキ・ユース代表団で経験を広げた大学時代
末廣万葉アナの大学生活を見ていくうえで、大きな存在になっているのがナガサキ・ユース代表団です。
これは、長崎県、長崎市、長崎大学の3者で構成される核兵器廃絶長崎連絡協議会が行っている人材育成の取り組みです。
若い世代が核軍縮や国際情勢について学び、国内外で対話や発信を行います。
末廣万葉アナは、大学1年生で第11期生に選ばれました。
ここから学生時代の活動がさらに広がっていきます。
最初から核問題に詳しかったわけではない
これまでの活動だけを見ると、「もともと核問題にかなり詳しい学生だったのかな」と思うかもしれません。
ところが本人は後の振り返りで、参加したころは核問題についてほとんど知識がなく、何をすればいいのかわからなかったと話しています。
- 末廣万葉アナは「詳しいから参加した」というよりも、わからないことがありながらも参加し、その中で学んでいったようです。
- ここは学生時代の人柄がよく見える部分ですね。
広島で育った経験から問題意識は持っていても、専門的な知識まで十分だったわけではありませんでした。
それでも、「自分だから伝えられることがあるかもしれない」と考えて応募しています。
活動を続ける中で少しずつ学び、自分が何を伝えたいのかも見えてきたそうです。
出前講座やイベントで、自分たちのメッセージを伝えることにもやりがいを感じるようになりました。
最初から完成された状態で飛び込んだのではなく、わからないところから学びながら変化していったんですね。
ウィーンでは書道を使った交流企画も
大学時代には、ウィーンで国際会議に関連する活動も経験しています。
2023年8月には、現地で書道を使った平和交流イベントを実施しました。
参加者に、それぞれが思い描く「平和」を書で表現してもらう企画です。
なぜ書道だったのでしょうか。
書道には、一つの正解がありません。
同じ文字を書いても、人によって筆跡や表現は変わります。
平和という言葉も同じように、育ってきた環境や経験によって感じ方が違います。
そこで末廣万葉アナたちは、一方的に自分たちの考えを伝えるのではなく、それぞれの人が思う「平和」を表現してもらいました。
自分が話すだけではなく、相手がどう考えているのかを知ろうとする企画だったわけです。
この姿勢は、今のアナウンサーの仕事にも少し重なって見えますね。
国内では講師として人前に立った経験も
活動の場所は海外だけではありません。
鈴鹿市が公開している資料によると、2023年7月に開かれた「原爆のはなしをきこう」で、末廣万葉さんはナガサキ・ユース代表団のメンバーとして講師を務めています。
2日間で計61人が参加しました。
また、学校での出前講座にも関わっています。
核や原爆について、それほど詳しくない人にもわかるように説明する。
これは思っている以上に難しいことです。
知識がある人同士なら専門的な言葉でも伝わります。
でも、初めて聞く人にはそうはいきません。
相手がどこまで知っているのかを考えながら、使う言葉を選ぶ必要があります。
学生時代からそうした経験をしていたことは、現在の仕事にもつながる部分がありそうです。
ウィーンで感じた対話の難しさと可能性
国際会議には、さまざまな国や立場の人が集まります。
当然、意見も同じではありません。
末廣万葉アナも、国際的な議論が簡単にはまとまらない現実を現地で感じたようです。
一方で、市民同士が直接話すサイドイベントでは、「対話すること」に違った可能性を感じたと振り返っています。
意見が違うからこそ、まず相手の考えを聞く。
そして、自分の考えも伝えてみる。
すぐに答えが出なくても、そのやり取り自体に意味がある。
学生時代の活動を見ると、末廣万葉アナは「話すこと」だけではなく、「人の話を聞くこと」も経験してきたことがわかります。
末廣万葉アナは2026年にNHKへ入局
長崎大学での学生生活を経て、末廣万葉アナは2026年にNHKへ入局しました。
2026年5月31日放送の「どーも、NHK」では、その年に入局した新人アナウンサーの一人として紹介されています。
初任地はNHK鳥取放送局です。
- 2026年にNHKへ入局
- 初任地は鳥取放送局
- 出身地は広島県広島市
- 地域ニュースなどを担当
広島で育ち、大学では長崎へ。
そして社会人として最初に暮らす場所は鳥取になりました。
学生時代から異なる土地へ飛び込み、そこで人と出会ってきた末廣万葉アナ。
今度は鳥取という土地を知り、その魅力や出来事を伝える仕事が始まっています。
新人研修では感じたことを言葉にする難しさを実感
NHKの新人アナウンサー研修では、ニュース原稿を読むだけでなく、中継リポートや緊急報道なども学びます。
末廣万葉アナも、中継リポートの研修に参加しました。
そこで感じたのが、目の前で見たり聞いたりしたことを、言葉だけで相手へ伝える難しさだったようです。
五感で感じたものを言葉にする。
文字だけを見ると簡単そうですが、実際にやってみると難しいですよね。
学生時代にも人前で話す経験はありました。
でも放送では、限られた時間の中で正確に、しかもわかりやすく伝える必要があります。
同じ「伝える」でも、また違った力が必要になります。
大学時代の経験だけで完成していたわけではなく、NHKへ入ってからも新しい伝え方を学んでいることがわかります。
鳥取からニュースを届ける日々へ
配属後は、鳥取からニュースを伝える仕事も始まっています。
2026年7月には、「列島ニュース」で鳥取局の昼ニュースを担当する出演者として末廣万葉アナの名前が確認されています。
まさにアナウンサーとしてのキャリアが始まったばかりですね。
NHK入局時の紹介では、好奇心旺盛で、新しいことに挑戦するのが好きな性格とされています。
趣味は旅行やカフェ巡り、音楽鑑賞。
簡単なラテアートもできるそうです。
大学時代にも海外での活動から発掘調査まで、かなり幅広いことに挑戦しています。
そう考えると、「好奇心旺盛」という言葉は、これまでの行動にもよく表れているように感じます。
幼いころにもNHKと接点があった?
末廣万葉アナについては、幼いころにNHKのBS番組へ出演したことがある、というプロフィール情報も紹介されています。
現在勤めているNHKと子どものころにも接点があったとすれば、ちょっと面白いエピソードですよね。
- 現時点では当時の番組名や出演内容まで確認できる一次資料は見つかっていません。
- 「幼いころにNHK BSの番組へ出演したと紹介されている」という範囲で見ておくのがよさそうです。
末廣万葉アナの性格が見える5つのエピソード
末廣万葉アナはまだNHKへ入局したばかりです。
そのため、長年活動しているアナウンサーほどインタビューや周囲からの人物評が多いわけではありません。
ただ、これまで何をしてきたのかを見ると、人柄は少しずつ見えてきます。
本人は、自分を好奇心旺盛で、新しいことに挑戦するのが好きなタイプと紹介しています。
- 中学時代とみられる記録では、食品ロスについて知り、家庭で行動している
- 高校1年生で平和関連行事のボランティアへ参加
- 大学1年生でナガサキ・ユース代表団へ応募
- 大学時代にウィーンへ渡り、書道を使った交流イベントを経験
- 平和活動とは分野の違う発掘調査にも参加
こうして見ると、十分に知識がついてから動くというより、「興味を持ったらまずやってみる」というタイプなのかもしれません。
特にナガサキ・ユース代表団について、最初は核問題の知識がほとんどなかったと本人が話しているところが印象的です。
それでも参加し、わからないことを学びながら、自分なりの考えを作っていきました。
アナウンサーも、毎日まったく違うニュースを扱います。
最初からすべてを知っている人はいません。
知らないことを調べ、人に話を聞き、自分でも理解してから伝える。
学生時代に繰り返してきたこうした姿勢は、これからの仕事でも生きてきそうですね。
末廣万葉アナの学歴をたどると「伝えること」が見えてくる
末廣万葉アナの学歴を調べていくと、学校名とは別に、もう一つ見えてくるものがあります。
それが、「知ったことを自分の言葉で伝える」という流れです。
中学時代とみられるJICAのエッセイでは、世界の食品問題について知り、自分にもできることを考えていました。
高校1年生では、ローマ教皇が世界へ言葉を届ける姿を目の前で見ています。
そこで、自分も学んだことや考えたことを人へ伝えたいと思うようになりました。
大学へ進むと、今度は自分自身が伝える側になります。
国内では講師を務め、学校では出前講座を行いました。
さらにウィーンでは、国籍や立場の違う人たちと対話しています。
そして2026年からは、NHKのアナウンサーとしてニュースを伝えています。
- 社会で起きていることを知る
- 自分でも調べる
- 実際に現場へ行く
- 人の話を聞く
- 自分の言葉で伝える
もちろん、学生時代の活動がすべてアナウンサーになるための準備だったわけではありません。
高校時代から「NHKのアナウンサーになる」と決めていたことを示す資料も、現在のところ確認されていません。
それでも、これまで経験してきたことと現在の仕事には、自然と重なる部分があります。
だからこそ、末廣万葉アナの学歴を見るときは、学校名だけでは少し物足りません。
その学校生活の中で何を考え、どんな場所へ行き、誰と話してきたのか。
そこまで見ていくと、今の末廣万葉アナの人物像がずっとわかりやすくなります。
末廣万葉アナの学歴についてよくある疑問
最後に、末廣万葉アナの学歴について気になりやすいポイントを簡単に整理しておきます。
末廣万葉アナの学歴とこれから
末廣万葉アナの学歴について、現在最もはっきり確認できるのは、長崎大学多文化社会学部で学んでいたことです。
大学1年生から3年生までの活動記録も残っていて、ナガサキ・ユース代表団や発掘調査など、さまざまな経験をしていました。
一方、出身高校の学校名は現在も確認できません。
高校1年生のころ、ローマ教皇フランシスコの広島訪問に関連する平和行事でボランティアをしていたことは、本人の紹介から確認できます。
中学校については、JICAの記録に「ノートルダム清心中学校3年・末廣万葉さん」という名前があります。
広島という地域や年代まで一致しているため気になる情報ですが、本人と直接結び付ける資料がない以上、断定せずに見ておくのがよさそうです。
- 大学:長崎大学多文化社会学部で学んでいたことを確認
- 高校:学校名は現在のところ不明
- 中学校:ノートルダム清心中学校に本人とみられる有力記録あり
- 出身地:広島県広島市
- 大学時代:ナガサキ・ユース代表団として国内外で活動
- 2026年:NHKへ入局し鳥取放送局へ
学生時代全体を通して見ると、末廣万葉アナにはある程度一貫した姿が見えてきます。
知らないことに興味を持つ。
まず学んでみる。
実際にその場所へ行って、人と話してみる。
そして、自分なりの言葉で誰かに伝える。
大学時代には「何をすればいいのかわからない」と感じたところから活動を始めました。
NHKへ入ってからも、今度は「目の前で感じたことを言葉にする難しさ」に向き合っています。
立場や扱うテーマが変わっても、「どうすれば相手に伝わるのか」を考える姿勢は続いているのかもしれません。
2026年に鳥取放送局でスタートを切ったばかりの末廣万葉アナ。
広島、長崎、そして鳥取。
それぞれ違う土地で得てきた経験を、これからどんな言葉で視聴者へ届けてくれるのか。
新人アナウンサーとしてのこれからにも注目していきたいですね。
