テレビ東京のアナウンサーとして、『Newsモーニングサテライト』や『出没!アド街ック天国』などに出演している中原みなみさん。
落ち着いたニュース読みや、明るく自然な番組進行を見ていると、「どこの高校や大学に通っていたの?」「学生時代からアナウンサーを目指していたの?」と気になる人も多いですよね。
中原みなみさんの大学は、慶應義塾大学法学部です。
大学3年生のころに本人が登場した媒体でも、法学部に在籍していたことが確認できます。政治学科に進んだことも複数の報道で伝えられています。
一方、出身高校については神奈川県立柏陽高等学校と紹介されることが多いものの、現在のテレビ東京公式プロフィールでは高校名までは公表されていません。
小学校と中学校についても、校名を確実に確認できる公式情報は見当たりません。
- 大学は慶應義塾大学法学部
- 政治学科に進学したと複数媒体で報道
- 出身高校は神奈川県立柏陽高校とされている
- 小学校と中学校の校名は公表されていない
- 大学時代にミス慶應SFC準グランプリや学生キャスターを経験
- 2022年にテレビ東京へ入社
ただ、中原みなみさんの学歴を見ていくと、学校名だけでは分からない学生時代の姿がかなり見えてきます。
小学1年生から高校3年生までバスケットボールを続け、高校では部員が5人しかいない時期も経験しました。
大学に進んでからは、アナウンススクール、湘南の観光大使、ミス慶應SFC、学生キャスターなど、アナウンサーになるための経験を少しずつ重ねています。
華やかに見える経歴ですが、最初から人前で話すのが得意だったわけではありません。
むしろ子どものころは、人前に出ると顔が赤くなってしまうタイプだったそうです。
そこからどうやってアナウンサーになったのか。
出身高校や大学とあわせて、学生時代のエピソードも順番に見ていきましょう。
中原みなみの学歴を一覧で整理
まずは、中原みなみさんの学歴を分かりやすく整理してみます。
学校名が確認できるものと、まだ公式には公表されていないものがあるので、その違いもあわせて見ておくと分かりやすいです。
- 小学校
校名は公表されていません。小学1年生からバスケットボールを始めています。
- 中学校
校名は公表されていません。バスケットボールを続け、中学2年生から日記を書くようになりました。
- 高校
神奈川県立柏陽高等学校とされています。複数の媒体で紹介されていますが、テレビ東京公式プロフィールには高校名の掲載がありません。
- 大学
慶應義塾大学法学部です。大学3年生当時の本人登場媒体でも確認できます。
学生時代のおおまかな流れは、こんな感じです。
小学1年生で姉の影響からバスケットボールを始める
小学校の卒業文集には、将来の夢として「アナウンサーになりたい」と書いていました。
中学・高校でもバスケを続ける
高校では部員が5人しかいない時期も経験しました。
慶應義塾大学法学部へ進学
大学1年生の冬からアナウンススクールへ通い、本格的にアナウンサーを目指し始めます。
観光大使・ミスコン・学生キャスターを経験
湘南江の島海の女王、ミス慶應SFC、学生キャスターなど、人前で伝える経験を積み重ねます。
2022年にテレビ東京へ入社
大学卒業後、テレビ東京のアナウンサーとして歩み始めました。
こうして見ると、大学に入ってから一気にアナウンサーらしい活動が増えていますね。
ただ、夢そのものはもっと前から持っていました。
小学生のころには、すでに卒業文集へ「アナウンサーになりたい」と書いています。
高校まではバスケットボールに打ち込み、大学に入ってから少しずつ夢を現実に近づけていった、という流れだったようです。
中原みなみの小学校は非公表|小学1年生からバスケを開始
中原みなみさんは神奈川県出身です。
本人はテレビ東京入社後、「生まれも育ちも神奈川県藤沢市」と明かしています。
江の島の海を見ながら育ったそうで、地元への思い入れはかなり強いようです。
ただし、小学校の名前については公表されていません。
藤沢市出身だからといって、特定の学校を推測するのは難しいですね。
小学校時代について分かっているのは、バスケットボールを始めたことと、すでにアナウンサーへ憧れていたことです。
小学1年生でバスケットボールを始める
中原みなみさんがバスケットボールを始めたのは、小学1年生のころです。
きっかけは姉でした。
子どものころはかなり活発だったそうで、冬でも半袖で過ごし、男の子たちと一緒に外を走り回っていたと振り返っています。
バスケットボールは体がぶつかることも多いスポーツです。
本人によると、競技を続けるうちに「どんどん気が強くなった」のだとか。
今のやわらかな雰囲気からすると、少し意外に感じますよね。
でも、小学1年生から高校3年生まで長く続けていたことを考えると、好きになったことにはとことん取り組むタイプだったことが分かります。
小学校の卒業文集に「アナウンサーになりたい」
アナウンサーへの憧れも、小学生のころに生まれています。
ただ、当時から人前で話すのが得意だったわけではありません。
本人によると、人前へ出ると顔が赤くなり、うまく話せない子どもだったそうです。
そんな自分とは反対に、テレビの中で堂々とニュースを読むアナウンサーを見て「かっこいい」と感じたといいます。
そして小学校の卒業文集には、将来の夢として「アナウンサーになりたい」と書きました。
最初から話すことが得意だったわけではありません。
人前で話すのが苦手だった中原みなみさんが、大学時代から練習を重ねてアナウンサーになったところは、学生時代を知るうえで大きなポイントです。
人前で話すのが苦手なのに、話す仕事へ憧れた。
ここは中原みなみさんの学生時代を見ていくうえで、とても印象的なところです。
後に大学でアナウンススクールへ通い、自分の声を録音しながら練習するようになります。
最初から得意だったのではなく、苦手なことを少しずつ練習していったんですね。
中原みなみの中学校も校名は非公表
中原みなみさんの出身中学校についても、学校名は公表されていません。
藤沢市で育ったことは分かっていますが、市内のどの中学校へ通っていたのかまでは確認できません。
一方で、中学校時代の生活については本人がいくつかエピソードを明かしています。
バスケットボールを続けていたこと。
そして、中学2年生から日記を書き始めたことです。
中学時代もバスケットボール中心の生活
小学校で始めたバスケットボールは、中学校でも続けています。
中学から高校にかけては、ずっとショートカットだったそうです。
本人はバスケについて、長く続けたことで精神的に強くなれたと振り返っています。
さらに、「バスケがあったから勉強も粘り強く頑張れた」という趣旨の話もしています。
スポーツはスポーツ、勉強は勉強と分かれていたわけではなかったんですね。
バスケットボールで身につけた我慢強さや、簡単にあきらめない気持ちが、そのまま勉強にもつながっていたようです。
後に慶應義塾大学へ進み、さらに競争の激しいアナウンサー採用試験へ挑んでいくことを考えると、このころに身についた粘り強さは大きかったのだと思います。
中学2年生から日記を書く習慣
中原みなみさんは、中学2年生の夏休みから日記を書き始めています。
きっかけは『アンネの日記』を読んだことでした。
本人によると、その作品に大きな衝撃を受け、自分でも日記を書いてみようと思ったそうです。
その習慣は長く続き、テレビ東京に入社してからも昔の日記を読み返すことがあると明かしています。
日記については、「自分でもよく分からない感情に言葉を与えると、頭が整理されることがある」という趣旨のことも話しています。
中原みなみさんは、社会人になってからも「書いて整理する」習慣を続けています。
経済ニュースを担当するようになってからは、分からなかった言葉や市場の動きをノートへ書きながら勉強しているそうです。
この習慣は、現在の仕事にも少しつながっているように見えます。
経済ニュース番組を担当するようになってからは、分からなかったことをノートに書いて整理するようになりました。
中学生のころから続けてきた「書いて考える」というスタイルが、大人になってからも残っているんですね。
中原みなみの出身高校は柏陽高校とされる
中原みなみさんの出身高校については、神奈川県立柏陽高等学校と紹介されることが多くなっています。
柏陽高校は横浜市栄区にある神奈川県立の高校です。
ただし、ここは少し慎重に見ておきたいところです。
現在のテレビ東京公式プロフィールには、出身地として「神奈川県」と書かれていますが、高校名は掲載されていません。
柏陽高校については「出身高校とされている」という扱いが自然です。
複数の媒体では柏陽高校と紹介されていますが、現在のテレビ東京公式プロフィールで高校名まで公表されているわけではありません。
一方、高校時代の生活については本人がかなり詳しく話しています。
特に印象的なのが、バスケットボール部の話です。
高校のバスケ部は部員が5人しかいなかった
中原みなみさんは高校時代もバスケットボール部で活動していました。
ところが、当時の部活はかなり厳しい状況だったようです。
本人が高校時代の日記を振り返った際、「部員が5人しかいない危機的な状況」だったことを明かしています。
バスケットボールは、コートに立つのが5人です。
つまり部員が5人しかいなければ、一人でも欠けると試合が難しくなります。
そんな環境の中でも、高校最後まで競技を続けました。
本人によると、県大会まではあと一歩だったそうです。
結果だけ見ると大きな大会へ進んだわけではありませんが、5人という状況で最後まで続けた経験は、かなり大きかったのではないでしょうか。
高校時代の日記も、ほとんどバスケットボールのことばかりだったそうです。
それだけ生活の中心にあったんですね。
「オシャレより筋肉」だった高校時代
高校時代の中原みなみさんには、今の姿からは少し想像しにくいエピソードもあります。
本人によると、高校生になると周りの友達がメイクや髪型に興味を持ち始める中、自分はベリーショート。
しかも、ウェイトトレーニングにかなり力を入れていたそうです。
本人自身が当時を「オシャレより筋肉」と表現しています。
筋トレをしていた理由は、バスケットボールで当たり負けしない体を作るためでした。
ダンベルを持ち上げながら体を鍛え、毎日体重を測って、増えるとうれしかったそうです。
華やかなアナウンサーのイメージとはかなり違いますね。
でも、目標が決まると必要なことへ集中する性格は、このころからよく表れています。
見た目よりも「試合で負けない体」を優先していたわけです。
バスケで身につけた粘り強さが勉強にもつながった
中原みなみさんは、バスケットボールを続けた経験について「勉強にも生きた」と話しています。
試合で思うようにいかなくても練習を続ける。
体が弱いと感じたら筋力をつける。
そうした経験を重ねるうちに、うまくいかなくても簡単にはやめない性格になっていったのでしょう。
- 部員5人という状況でもバスケットボール部を最後まで継続
- 県大会出場まであと一歩というところまで競技に打ち込む
- ベリーショートでウェイトトレーニングにも励む
- 本人いわく「オシャレより筋肉」の高校生活
- バスケで培った粘り強さが勉強にも生きた
勉強だけに集中して慶應義塾大学を目指したというより、部活にかなり力を入れながら勉強も続けていたようです。
このバランスを見ると、かなり体力のある学生生活だったことが分かりますね。
中原みなみの大学は慶應義塾大学法学部
高校卒業後、中原みなみさんは慶應義塾大学法学部へ進学しました。
大学3年生のころに本人が登場した記事でも、「法学部3年」と紹介されています。
また、政治学科に進んだことが複数の報道で伝えられています。
この大学時代が、中原みなみさんにとって大きな転機になりました。
高校まではバスケットボール中心の生活でしたが、大学では少しずつアナウンサーの夢へ向けて動き始めます。
アナウンススクール。
湘南江の島海の女王。
ミス慶應SFC。
学生キャスター。
一気に活動の幅が広がっていきました。
慶應義塾大学法学部に在籍
中原みなみさんが慶應義塾大学法学部に在籍していたことは、学生時代の本人登場記事で確認できます。
大学3年生当時には「法学部」と紹介されていました。
政治学科については報道で伝えられています。
慶應義塾大学法学部の政治学科では、日本政治、国際政治、政治思想、比較政治など、社会を幅広い視点から考える分野を学びます。
ただし、中原みなみさん自身が大学でどんなゼミに所属していたのか、卒業論文で何を研究したのかといったところまでは公表されていません。
そのため、「政治学科だったから今の経済ニュースに強い」と単純につなげることはできません。
とはいえ、社会の出来事について考えたり、新しい知識を吸収したりする学生生活だったことは、現在の仕事とも相性がよかったのかもしれませんね。
大学でもバスケットボールを継続
高校卒業で部活動としてのバスケットボールは一区切りとなりましたが、大学に入ってからも完全にやめたわけではありません。
学生時代の記事では、バスケットボールサークルに所属していたことが紹介されています。
小学生から高校までは部活。
大学ではサークル。
形は変わっても、バスケとの付き合いは続いていました。
現在のテレビ東京公式プロフィールでも、バスケットボールは特技の一つになっています。
学生時代だけの思い出ではなく、今でも自分らしさの一部になっているのでしょう。
大学1年生の冬からアナウンススクールへ
中原みなみさんがアナウンサーを目指して本格的に動き始めたのは、大学1年生の冬でした。
このころからアナウンススクールへ通い始めます。
ただ、最初は決して順調ではありませんでした。
人前で話すことにも慣れておらず、滑舌にも自信がなかったそうです。
今の姿からすると意外ですが、アナウンスを習い始めたころは「分からないことばかりだった」と振り返っています。
自分の声を録音して練習
中原みなみさんが続けていたのが、自分の声を録音して聞く練習でした。
自分では普通に話しているつもりでも、録音して聞いてみると癖に気づくことがあります。
そうした細かい部分を確認しながら、少しずつ話し方を整えていったそうです。
人前で話すと赤くなってしまった小学生時代から考えると、かなり大きな変化ですよね。
いきなり苦手を克服したのではなく、大学に入ってから何度も練習を重ねた結果だったことが分かります。
フジテレビのアナトレでも学んでいた
中原みなみさんは、フジテレビのアナウンサースクール「アナトレ」で学んでいたことが確認されています。
公式の内定実績には、中原みなみさんの名前とともに、アナウンス基礎コース、応用コース、BS学生キャスターなどの経験が掲載されています。
最初から実践だけを経験したわけではなく、基礎から少しずつ積み上げていったことが分かりますね。
また、テレビ朝日アスクの合格実績にも中原みなみさんの名前があります。
大学の授業を受けながら、こうしたスクールにも通い、アナウンサー就活の準備を進めていました。
中原みなみさんは、いきなり学生キャスターになったわけではありません。
大学1年生の冬からアナウンスの基礎を学び、練習を続けたうえで実践の場へ進んでいます。
大学時代に「湘南江の島海の女王」として活動
大学時代には、地元・湘南をPRする活動にも参加しています。
2019年には「湘南江の島海の女王」として活動しました。
藤沢市で生まれ育った中原みなみさんにとって、江の島や湘南は昔から身近な場所です。
その地元を今度は「伝える側」として紹介することになりました。
2019年の湘南江の島海の女王に選ばれる
藤沢市の観光公式サイトには、中原みなみさん本人が「2019年湘南江の島海の女王の中原みなみです」と名乗って活動した記録が残っています。
イベントでは1日消防署長を務めたり、心肺蘇生法やAEDの講習に参加したりしています。
学生時代の記事でも、湘南の観光大使としてイベントやメディアを通じて地元をPRしていたことが紹介されています。
ニュース原稿を読むのとは少し違いますが、人前に立ち、地域の魅力を自分の言葉で伝える経験です。
今の仕事につながる部分もありそうですよね。
地元・湘南への思い入れはかなり強い
中原みなみさんは、テレビ東京に入社してからも地元への思いを何度も語っています。
本人によると、江の島には青春が詰まっていて、テレビに映るだけで涙が出ることもあるのだとか。
それくらい大切な場所なんですね。
大学時代に湘南の魅力を紹介する活動をしていたのも、単に肩書が欲しかったからではなく、もともと地元への思いが強かったからなのでしょう。
現在は『出没!アド街ック天国』で街の魅力を紹介する仕事もしています。
学生時代から「場所のよさを人に伝える」という経験をしていたのは、少し面白いつながりですね。
大学3年生でミス慶應SFC準グランプリ
中原みなみさんの大学時代を調べると、「ミス慶應SFC」という言葉もよく出てきます。
2020年、中原みなみさんはミス慶應SFCコンテストへ出場。
その後、準グランプリに選ばれています。
ここで少しややこしいのが、「ミス慶應SFCだからSFCの学生だったの?」という点です。
実際は違います。
ミス慶應SFCでも所属は法学部
中原みなみさんはミス慶應SFCへ出場していますが、所属していたのは法学部です。
当時の本人登場記事でも、「法学部3年」と書かれています。
「ミス慶應SFC=SFCの学部に在籍」ではありません。
中原みなみさんの所属は慶應義塾大学法学部です。ミス慶應SFCというコンテスト名と、所属学部は分けて考えると分かりやすいですね。
この部分は、学歴を調べていると少し混同しやすいところです。
大学は慶應義塾大学。
学部は法学部。
そのうえで、ミス慶應SFCコンテストに出場した、という整理になります。
出場理由は「自分から発信できる経験」
中原みなみさんは、ミスコンへ出た理由についても話しています。
学生という立場で、自分から何かを発信できる貴重な経験になると思ったことがきっかけだったそうです。
このころには、すでにアナウンススクールへ通っていました。
そのため、ミスコンも単なるイベントではなく、人前で話したり、自分の考えを伝えたりする経験として捉えていたのかもしれません。
アナウンサーという夢へ向かう中で、「人に伝える経験」を少しずつ増やしていたことが分かります。
ライブ配信でトーク力が上がった
ミス慶應SFCの活動では、ライブ配信も行っていました。
本人によると、視聴者から届くコメントをきっかけに話を広げていくのが楽しかったそうです。
その経験を通じて、「トーク力が上がった気がする」と振り返っています。
ニュース読みの場合は、決められた内容を正確に伝える力が求められます。
一方、ライブ配信では、その場で相手の反応を見ながら話題を広げていかなければなりません。
同じ「話す仕事」でも、少し違う力が必要です。
現在の中原みなみさんがニュースだけでなく、バラエティーや配信番組にも出演していることを考えると、大学時代のこうした経験も無駄ではなかったのでしょう。
大学3年生で学生キャスターを経験
大学3年生のころには、さらに大きな経験が加わります。
学生キャスターです。
本人は、学生キャスターの仕事が決まったときのことを「飛び上がるくらいうれしかった」と振り返っています。
小学生のころから憧れていた「テレビでニュースを伝える」という仕事に、少し近づいた瞬間だったのでしょう。
BSフジ学生キャスターとして実践経験
中原みなみさんは、BSフジの学生キャスターとして活動しました。
フジテレビのアナウンサースクール「アナトレ」の公式実績にも、BS学生キャスターの経験が掲載されています。
ここでは、スクールの中だけではなく、実際にカメラの前でニュースを伝える経験を積みました。
この経験は、その後のアナウンサー採用試験でも役に立ったそうです。
本人によると、就職活動のカメラテストでも、学生キャスターを経験していたことで落ち着いて話せたといいます。
小学生のころには、人前に立つだけで顔が赤くなっていました。
それが大学3年生になるころには、カメラの前でニュースを読めるようになっています。
この変化を見ると、大学時代にかなり多くの経験を積んでいたことが分かりますね。
中原みなみの大学時代はかなり忙しかった
ここまで大学時代の経歴を並べると、華やかな学生生活に見えます。
ただ、本人にとってはかなり忙しい毎日だったようです。
大学の授業があります。
アナウンススクールにも通っています。
湘南の観光大使として活動し、ミス慶應SFCにも挑戦。
さらに学生キャスターを経験しながら、アナウンサー就活の準備も進めていました。
本人自身も、大学時代は「とにかく忙しかった」と振り返っています。
大学1年生の冬
アナウンススクールへ通い始める。
2019年ごろ
湘南江の島海の女王として地元・湘南をPR。
2020年
ミス慶應SFCへ出場し、準グランプリ。
大学3年生ごろ
BSフジ学生キャスターとして実際のニュースを経験。
大学後半
アナウンサー採用試験に挑戦し、テレビ東京への入社が決まる。
一つだけでも忙しそうですが、かなり多くのことを同時に進めていますね。
「本当にアナウンサーになれるのか」と不安もあった
これだけ経験を積んでいても、中原みなみさん自身には不安がありました。
「本当にアナウンサーになれるのか分からない」と感じていたそうです。
もしすべての採用試験に落ちたら、就職浪人をしてもう1年挑戦することまで考えていました。
外から見ると、「慶應義塾大学」「ミス慶應SFC準グランプリ」「学生キャスター」と順調に進んでいるように見えます。
でも、本人の中では結果が約束されていたわけではありません。
不安を抱えながら、それでも準備を続けていたんですね。
苦手だった「話すこと」を経験で変えていった
中原みなみさんの大学時代には、はっきりした流れがあります。
苦手だから避けるのではなく、何度も経験することで少しずつ慣れていったことです。
- 小学生のころは人前に出ると赤面
- 大学1年生から自分の声を録音して練習
- 観光大使としてイベントへ出演
- ミスコンではライブ配信を経験
- 学生キャスターとしてニュースを担当
- アナウンサー採用試験のカメラテストへ
最初から上手だったというより、「やってみる回数」を増やしたことで少しずつできるようになった、と考えるほうが近そうです。
2022年にテレビ東京へ入社
大学卒業後の2022年、中原みなみさんはテレビ東京へ入社しました。
小学校の卒業文集に書いた「アナウンサーになりたい」という夢が、ここで仕事になりました。
とはいえ、テレビ局へ入ったから完成、というわけではありません。
むしろ入社してからも、学生時代と同じように「できなければ勉強する」という姿勢を続けています。
経済ニュースを担当しながら勉強を続ける
テレビ東京入社後、中原みなみさんは『Newsモーニングサテライト』を担当するようになりました。
経済や金融を扱う番組なので、ニュース原稿を読むだけでは足りません。
内容を自分で理解していなければ、視聴者にも分かりやすく伝えられないからです。
中原みなみさん自身も、難しい内容ほど自分が理解することが大切だという考えを話しています。
分からなかった言葉や市場の動きについては、ノートへ書きながら勉強しているそうです。
中学生のころから日記を書いてきた人が、社会人になって今度は経済のノートを書いている。
そう考えると、少しつながりを感じますね。
失敗したら「次は繰り返したくない」
新人時代には、『Newsモーニングサテライト』の代役を務めた際、何度も噛んでしまったことがあったそうです。
本人は、泣きたいくらい悔しかったと振り返っています。
ただ、そのまま落ち込むだけではありませんでした。
「同じミスを繰り返したくない」と考え、さらに勉強するようになったそうです。
高校時代は、当たり負けしないために筋トレ。
大学時代は、話す力をつけるために録音やアナウンス練習。
テレビ東京入社後は、経済ニュースを理解するために勉強。
分野が変わっても、「苦手なところを見つけたら準備する」という姿勢は変わっていないようです。
この反応は、高校時代のバスケットボールとよく似ています。
当たり負けするなら筋トレをする。
話すのが苦手なら声を録音する。
経済が難しいならノートへ書いて勉強する。
うまくいかなかったときに、次の準備へ切り替える。
そこが中原みなみさんらしいところなのかもしれません。
同期からも「勉強熱心」と言われている
こうした姿勢は、本人だけが語っているものではありません。
同期の藤井由依アナウンサーも、中原みなみさんについて、一つのことをとことん突き詰める集中力があり、「とにかく勉強熱心」と話しています。
高校時代からのエピソードを見ていると、この評価にも納得しやすいですね。
バスケ。
アナウンス。
経済ニュース。
興味を持ったものや必要になったことに、しっかり時間をかける人のようです。
中原みなみの学歴についてよくある疑問
中原みなみさんの学歴を調べていると、少し分かりにくいところもあります。
特に出身高校やミス慶應SFCについては、情報を混同しやすいです。
ここで一度、気になる点を整理しておきましょう。
中原みなみの学歴から見える性格
中原みなみさんの学歴を見ていると、「慶應義塾大学を卒業したテレビ東京アナウンサー」という肩書だけでは分からない部分がかなりあります。
特に印象に残るのは、最初から何でもできた人ではないことです。
人前で話すのは苦手。
高校のバスケ部は部員5人。
アナウンサー就活では、採用されるか不安。
入社後も、番組で思うように話せず悔しい思いをしています。
でも、そのたびに次の行動へ移っています。
バスケットボールで当たり負けするなら、筋トレ。
話し方に自信がないなら、録音。
アナウンサーを目指すなら、スクールや学生キャスター。
経済ニュースが難しければ、ノートへ書いて勉強。
中原みなみさんの強みは、「何でも最初からできること」というより、できないことがあっても練習を続けられるところにありそうです。
学生時代のエピソードをつなげてみると、この性格がかなり一貫して見えてきます。
こうして見ていくと、中原みなみさんの強みは「何でも最初からできること」ではなさそうです。
むしろ、できないことがあっても少しずつ練習を続けられるところにあるのだと思います。
学生時代の経験が現在の活動にもつながっている
2026年現在、中原みなみさんは『Newsモーニングサテライト』をはじめ、『出没!アド街ック天国』など幅広い番組を担当しています。
ニュースと街歩き番組では、求められる力もかなり違います。
中原みなみさん自身、入社前は報道への思いが強く、バラエティーについては苦手かもしれないと考えていたそうです。
ところが、実際に経験するうちに番組作りの楽しさを知り、考え方が変わりました。
大学時代も同じですね。
アナウンススクールだけに絞るのではなく、観光大使、ミスコン、ライブ配信、学生キャスターといろいろな場所へ出ています。
新しいことをまず経験してみる。
その積み重ねが、今の仕事の幅にもつながっているように見えます。
中原みなみの学歴まとめ
- 大学は慶應義塾大学法学部
- 政治学科に進学したと報じられている
- 高校は神奈川県立柏陽高校とされている
- 小学校と中学校の校名は公表されていない
- 小学1年生から高校3年生までバスケットボールを継続
- 高校では部員5人という時期も経験
- 大学1年生の冬からアナウンススクールへ通う
- 2019年に湘南江の島海の女王として活動
- ミス慶應SFCでは準グランプリ
- 大学3年生ごろに学生キャスターを経験
- 2022年にテレビ東京へ入社
中原みなみさんの大学は慶應義塾大学法学部です。
政治学科へ進学したことも複数の報道で伝えられています。
出身高校については神奈川県立柏陽高等学校と紹介されることが多いものの、テレビ東京公式プロフィールでは高校名までは公表されていません。
小学校と中学校も校名は非公表です。
ただ、学生時代の過ごし方については本人の発言からかなり詳しく分かっています。
小学1年生から高校3年生までバスケットボールを続け、高校では部員5人という状況も経験しました。
ウェイトトレーニングにも打ち込み、本人が「オシャレより筋肉」と振り返るほどバスケ中心の生活を送っています。
慶應義塾大学へ進んでからは、大学1年生の冬にアナウンススクールへ。
最初は人前で話すことや滑舌に自信がありませんでしたが、自分の声を録音しながら練習を続けました。
その後は湘南江の島海の女王、ミス慶應SFC準グランプリ、学生キャスターと経験を重ねています。
そして2022年、テレビ東京へ入社しました。
こうして学生時代を追ってみると、中原みなみさんは「慶應義塾大学からテレビ東京へ進んだ」という一言だけでは語りきれません。
部員5人のバスケ部で最後まで競技を続けたこと。
苦手だった話し方を、大学に入ってから少しずつ練習したこと。
観光大使やミスコン、学生キャスターなど、新しい場所へ自分から飛び込んだこと。
そうした経験が一つずつ、今の仕事につながっています。
華やかな経歴以上に印象に残るのは、できないことや苦手なことがあっても、少しずつ準備を続ける姿勢です。
今の落ち着いたアナウンスの裏には、学生時代から積み重ねてきた、そんな地道な努力があるようですね。
