テレビ東京のアナウンサーとして、ニュースやスポーツ、ナレーションなど幅広い仕事を続けている水原恵理さん。
落ち着いた話し方が印象的ですが、学生時代をたどってみると、実はかなりのスポーツ少女だったことがわかります。
高校ではグランドホッケーに打ち込み、インターハイに出場。大学でも競技を続け、インカレなど全国規模の大会を経験しています。
一方で、大学ではマスコミについて学んでいました。こうした経験が少しずつつながり、卒業後はテレビ東京のアナウンサーという道へ進んでいます。
水原恵理さんの学歴で特に押さえておきたいのは、成城学園高等学校から成城大学文芸学部へ進み、高校・大学を通して本格的にスポーツへ取り組んでいたことです。
水原恵理さんの学歴は、学校名だけを並べてもなかなか人物像が見えてきません。
どんな学生生活を送り、何を学び、どんな経験が今の仕事につながっているのか。そこまで見ていくと、水原さんらしさがかなり伝わってきます。
水原恵理の学歴をまず整理
水原恵理さんの学歴で、はっきり確認しやすいのは成城学園高等学校と成城大学文芸学部です。
小学校や中学校については、成城学園系列だったと紹介する資料もあります。ただ、本人やテレビ東京が学校名を明確に公表している範囲とは少し差があるため、確定していることと、二次資料で伝えられていることは分けて見たほうがよさそうです。
- 中学時代
-
学校名は本人の公式発信では確認できませんが、バレーボール部で活動していました。
- 高校時代
-
成城学園高等学校。グランドホッケー部でインターハイへ出場しています。
- 大学時代
-
成城大学文芸学部。マスコミを学びながらホッケーを続け、インカレなどを経験しました。
- 大学卒業後
-
1999年にテレビ東京へ入社し、アナウンサーとして活動しています。
学生時代の流れを見てみると、「勉強一筋」というタイプではありません。
- 中学ではバレーボールに打ち込んでいた
- 高校ではグランドホッケーを始め、インターハイへ出場
- 大学でもホッケーを続け、インカレなどを経験
- 成城大学ではマスコミについて学んでいた
- 大学時代にアナウンサーという仕事を意識し始めた
スポーツと学業の両方に、かなり熱心に取り組んでいたことがわかります。
最終学歴は成城大学文芸学部
水原恵理さんの最終学歴として知られているのが、成城大学文芸学部です。
本人はインタビューの中で、大学ではマスコミ学を専攻していたと話しています。
成城大学文芸学部には、水原さんが大学生だった時代にもマスコミュニケーション学科が存在していました。
成城大学の公式情報を見ると、1962年にマスコミュニケーション学コースがつくられ、1976年にはマスコミュニケーション学科になっています。
つまり、水原さんが大学に通っていた1990年代には、すでに長い歴史を持つ分野だったということですね。
ただし、水原さん本人が確認できる発言では「マスコミ学を専攻していた」と話しているだけで、所属学科名までは明言していません。
そのため、「成城大学文芸学部を卒業し、大学ではマスコミ学を専攻していた」と捉えるのが自然です。
高校は成城学園高等学校
水原恵理さんの出身高校は、成城学園高等学校です。
こちらは本人がテレビ東京の記事の中で学校名を出しており、高校時代のホッケーについても詳しく振り返っています。
水原さんが在籍していた当時、ホッケー部は成城学園高等学校として四半世紀ぶりとなるインターハイ出場を果たしました。
本人は当時の背番号が10番だったことや、ポジションがレフトインサイだったこと、右前方へのロングパスを得意としていたことまで覚えています。
かなり具体的ですよね。
それだけ高校時代のホッケーが、水原さんにとって強く印象に残る経験だったのでしょう。
中学校は成城学園中学校なの?
中学校については、少し慎重に見たほうがよさそうです。
いくつかの学校情報サイトでは、水原さんを成城学園中学校の出身として紹介しています。
一方で、本人やテレビ東京が公開している記事では、「中学時代はバレーボール部だった」というところまでは確認できますが、中学校名そのものは書かれていません。
成城学園中学校出身とする情報は複数あるものの、本人やテレビ東京による校名の明記は確認できません。
確かな情報として確認できるのは、中学時代にバレーボール部で活動していたことです。
小学校も成城学園だった?
小学校についても、成城学園系列だったとする情報があります。
ただ、中学校と同じく、本人が学校名をはっきり話している資料までは確認できません。
幼少期については、水原さん本人がかなり楽しそうに振り返っています。
大阪府千里山で生まれ、小さいころは野山を走り回るような活発な子どもだったそうです。
スカートがあまり好きではなく、男の子に間違えられることもあったのだとか。
現在の落ち着いた印象とは少し違って見えるかもしれませんが、その後ずっとスポーツを続けていることを考えると、むしろ自然な子ども時代だったのかもしれませんね。
成城学園高校時代はホッケーに夢中だった
水原恵理さんの学歴を見ていくと、高校時代のグランドホッケーは外せません。
ただ部活に入っていたというレベルではなく、全国大会まで進んでいます。
本人も後年、ホッケーが自分の人間性を形づくるうえで大きな存在だったと振り返っています。
中学ではバレーボール部に所属
水原さんは中学時代、バレーボール部に所属していました。
テレビ東京の記事では、当時の写真とともにバレー部時代を振り返っています。
また、別のインタビューでは、若いころに「何かの日本代表選手になりたい」と考えていたことも明かしています。
バレーボールでは身長が思ったほど伸びず、トップレベルを目指すのは難しいと感じたそうです。
そこで、その後はグランドホッケーへと競技を広げていきました。
このあたりの話を聞くと、ただ体を動かすのが好きだっただけではなく、かなり高いところを目指していたことがわかります。
高校ではグランドホッケーへ
成城学園高等学校では、グランドホッケーに本格的に取り組みました。
水原さん本人は、競技人口なども考えながら、日本代表を狙える可能性があるのではないかと考えたこともあったそうです。
少し大胆な発想にも感じますが、実際にインターハイまで進んでいるので、かなり本気だったのでしょう。
現在のテレビ東京の公式プロフィールにも、特技・資格の欄に「ホッケーインターハイ、インカレ出場」と記載されています。
学生時代の実績が、今も本人のプロフィールを形づくる大切な一部になっています。
四半世紀ぶりのインターハイ出場
水原さんが高校時代に経験したインターハイ出場は、学校にとっても大きな出来事でした。
本人によると、成城学園高等学校としては四半世紀ぶりの出場だったそうです。
- 背番号は10番
- ポジションはレフトインサイ
- 右前方へのロングパスが得意だった
- 成城学園高等学校として四半世紀ぶりにインターハイへ出場
本人が紹介している高校時代の写真を見ると、かなりしっかり体を鍛えていたこともうかがえます。
ニュース番組で見せる水原さんの姿からは、少し意外に感じる人もいるかもしれません。
ホッケーは人柄にも影響した
水原さんはホッケーについて、自分の「人間としての幹」を太くしてくれた競技という趣旨で振り返っています。
全国大会を目指して練習を重ねる中では、技術だけでなく、仲間との連携や我慢強さも必要だったはずです。
こうした経験は、その後の仕事にも自然につながっているようです。
水原さんは、テレビ番組をつくる仕事についても、一人ですべてをこなすのではなく、チームで一つのものを作る「団体競技」のように感じることがあると話しています。
高校時代に身につけた感覚が、アナウンサーになってからも残っているのでしょうね。
成城大学文芸学部ではマスコミとスポーツの両方に取り組んだ
高校卒業後、水原恵理さんは成城大学文芸学部へ進学しました。
大学でもホッケーを続ける一方、授業ではマスコミについて学んでいました。
この二つの経験が、のちに「伝える仕事」へ進む土台になっていきます。
大学ではマスコミ学を専攻
水原さんは、アナウンサーを目指したきっかけを語る中で、大学でマスコミ学を専攻していたと明かしています。
そのため、テレビや新聞などのメディアは、学生時代から身近な存在だったようです。
成城大学のマスコミュニケーション分野では、メディアやジャーナリズム、コミュニケーションなどを幅広く研究してきた歴史があります。
水原さんが実際にどの授業を履修していたのかまではわかりません。
それでも、「マスコミを学んでいた」という本人の言葉から、大学時代にすでに伝える仕事への関心が生まれていたことは伝わってきます。
学科名については断定しないほうが自然
水原さんについて調べていると、「成城大学文芸学部マスコミュニケーション学科」と書かれていることがあります。
実際、当時の文芸学部にはマスコミュニケーション学科がありました。
ただし、水原さん本人が「私はマスコミュニケーション学科でした」と明言した一次資料までは確認できません。
確認しやすい情報は「成城大学文芸学部卒業」と「大学ではマスコミ学を専攻していた」という2点です。
細かい学科名まで無理に決めつけないほうが、情報としてはすっきりしています。
大学でもホッケーでインカレへ
水原さんは高校を卒業してからも、ホッケーを続けています。
本人がテレビ東京の記事で振り返っているところによると、大学時代にはインカレや東西王座決定戦に出場していました。
大学1年生のころの王座決定戦のパンフレットも手元に残っていたそうで、のちにオリンピック世代となる選手たちと同じ大会で戦った経験もあったといいます。
現在のテレビ東京公式プロフィールに「インカレ出場」と残っていることから見ても、大学時代もかなり高いレベルでホッケーを続けていたことがわかります。
高校で全国大会に出たあとも競技を続けるのは、簡単なことではありません。
学業と両立しながら続けていたところに、水原さんの粘り強さが表れています。
ホッケーからラグビーへ
水原さんは、その後ラグビーにも本格的に取り組むようになります。
ここは資料によって少し表現に違いがあります。
インタビューでは「大学でラグビーに転向した」という趣旨の説明がある一方で、本人の別の記事を見ると、大学時代にもホッケーのインカレや王座決定戦に出ていたことが確認できます。
「高校までホッケー、大学からラグビー」ときれいに分けるより、大学時代にもホッケーを続け、その後ラグビーにも競技の幅を広げていったと考えるのが自然です。
水原さんのスポーツ歴は、一つの競技だけで終わらないところもおもしろいですね。
スポーツ好きになった背景には家族の影響も
水原恵理さんがこれほどスポーツに夢中になった理由には、家庭環境も関係していたようです。
本人によると、父親は成城大学ラグビー部の監督を務めていました。
家の中にラグビーがあるのが当たり前という環境で育ったことが、その後の学生生活にも少なからず影響していたのでしょう。
父親は成城大学ラグビー部の監督
水原さんは、父親が成城大学ラグビー部の監督を務めていたと話しています。
幼いころには兄とラグビーボールで遊び、当時使われていた革製のボールを磨くことも日常の一部だったそうです。
本人が「ラグビーの英才教育」と表現するほど、かなり身近な競技だったことがわかります。
父親と成城大学とのつながりはありますが、「父親が監督だったから水原さんも成城学園へ進学した」とまでは本人は話していません。
進学理由については、想像で結びつけないほうがよさそうです。
子どものころから体を動かすのが好きだった
幼少期の水原さんは、とにかく活発だったようです。
野山を走り回り、泳いだり、外で遊んだりすることが好きだったと本人が振り返っています。
部活動を始めてからも、夏の朝練や合宿が好きだったそうです。
中学でバレー、高校・大学ではホッケー、その後はラグビー。
こうして見ると、学生時代だけ一時的にスポーツをしていたわけではありません。
水原さんにとって体を動かすことは、かなり自然な生活の一部だったのでしょう。
日本代表を目指していたほど負けず嫌い
水原さんの学生時代を象徴する言葉の一つが、「何かの日本代表になりたかった」というものです。
バレーボールで難しいと感じたあとも、そこでスポーツをあきらめるのではなく、グランドホッケーで高いレベルを目指しています。
- 高校でインターハイに出場
- 大学でインカレに出場
- 全国規模の王座決定戦も経験
日本代表には届かなかったとしても、目標にかなり近いところまで本気で競技を続けたことがわかります。
のちの仕事ぶりを見ても、興味を持ったことにはかなり深く入り込むタイプなのかもしれませんね。
アナウンサーを目指したきっかけは大学時代
水原恵理さんは、子どものころからアナウンサーだけを目指していたわけではありません。
むしろ学生時代はスポーツへの気持ちが強く、競技者として上を目指していました。
そんな水原さんが「伝える仕事」を意識するようになったのが、大学時代です。
マスコミを学んだことが進路につながった
大学でマスコミ学を専攻していた水原さんにとって、アナウンサーという職業はまったく知らない世界ではありませんでした。
本人も、大学でマスコミについて学んでいたため、アナウンサーという仕事を身近に感じていたと話しています。
ただ、学んでいたからといって、そのまま迷わずアナウンサーを目指したわけではなかったようです。
実際に挑戦するきっかけの一つになったのが、大学時代の友人でした。
ラグビー部の友人に背中を押された
水原さんは、ラグビー部の友人からアナウンサー試験を勧められたことが、進路を考えるきっかけになったと話しています。
大学でマスコミを学んでいたこと。
スポーツに長く打ち込んできたこと。
そして、友人からの一言。
いくつかの出来事が重なり、少しずつアナウンサーという道が現実的な選択肢になっていったのでしょう。
最初から一本の道が決まっていたのではなく、学生生活の中で進みたい方向が見えてきたところに親しみを感じます。
1999年にテレビ東京へ入社
大学卒業後の1999年、水原恵理さんはテレビ東京へ入社しました。
現在のテレビ東京公式プロフィールでも、入社年は1999年とされています。
入社後はスポーツだけでなく、ニュースや政治・経済、情報番組など幅広いジャンルを担当してきました。
大学で学んだマスコミと、学生時代に続けてきたスポーツ。
一見すると別々の経験ですが、アナウンサーになってからは、その両方が仕事の中で自然に重なっていきます。
学生時代のスポーツ経験は仕事にも生きている
水原恵理さんの場合、「元スポーツ選手だからスポーツ番組に強い」という単純な話ではありません。
むしろ本人は、アナウンサーになってから、自分の競技経験だけではプロスポーツを伝えられないことに気づいたと話しています。
そこから、準備や取材の仕方を改めて学んでいきました。
新人時代に受けた厳しい言葉
テレビ東京へ入社した年、水原さんはFC東京のJ1昇格を伝える機会がありました。
その際、先輩アナウンサーから、自分自身にスポーツ経験があることと、プロスポーツをうまく伝えられることは別だという趣旨の指摘を受けたそうです。
高校ではインターハイ、大学ではインカレ。
それだけの経験があれば、自分にはスポーツを伝える強みがあると思っていたとしても不思議ではありません。
だからこそ、この言葉はかなり響いたのでしょう。
そこから水原さんは、自分の経験を語るのではなく、目の前の競技や選手を理解することへ意識を向けていきます。
「知っているつもり」にならない姿勢
スポーツの取材では、解説者へ積極的に質問し、試合前の練習にも目を向けるようになったそうです。
なぜこの動きをしているのか。
どうしてこのプレーが大切なのか。
細かなことでも、自分で理解できるまで聞く。
競技経験があるからこそ、「自分はわかっている」と思い込まないようになったとも考えられます。
学生時代に選手として努力してきた経験が、今度は取材する側の丁寧さにつながっているのでしょう。
徹底した準備にも体育会系の一面
水原さんは、仕事の前にかなりしっかり準備をするタイプだそうです。
わからないことがあれば周囲に聞き、自分で調べた内容が合っているかも確認する。
この姿勢を、本人はスポーツの「勝つための準備」に重ねています。
試合当日だけ頑張っても勝てない。
その前の練習や作戦、仲間との連携があって、初めて結果につながる。
ニュースや番組も同じように考えているのかもしれません。
学生時代の経験が、そのまま仕事のクセとして残っている感じがしますね。
水原恵理の学生時代から見える性格
水原恵理さんの学歴を学校名だけで見ていると、成城学園から成城大学へ進んだという流れで終わります。
でも、学生時代のエピソードまで見てみると、人柄がかなり見えてきます。
負けず嫌いで、興味を持ったことには深く入り込み、それでいて人の意見にも耳を傾ける。
そんなバランスのある人なのかもしれません。
かなり負けず嫌い
まずわかりやすいのが、負けず嫌いなところです。
日本代表を目指したいと思い、競技を変えながらも高いレベルを目指し続けています。
高校ではインターハイ。
大学ではインカレ。
目標を言葉にするだけでなく、実際に全国大会まで進んでいるところを見ると、かなり努力を続けられるタイプだったのでしょう。
興味を持つと深く知りたくなる
水原さんは、仕事でも気になったことをそのままにしないようです。
スポーツ取材では解説者に質問し、競技の細かなところまで知ろうとしてきました。
アナウンサーとして出演するだけでなく、自分で企画を考えて取材へ出ることもあります。
学生時代のスポーツと現在の番組づくりでは分野こそ違いますが、「やるなら深く知りたい」という部分は変わっていないように感じます。
周りの意見を受け入れられる
もう一つ印象的なのが、人の意見を素直に取り入れているところです。
新人時代に厳しいことを言われても、そこで反発するのではなく、自分の取材の仕方を変えるきっかけにしています。
わからないことがあれば、今でも周囲へ聞くそうです。
自分で努力するだけではなく、必要なときは人を頼る。
長く仕事を続けるうえでは、こうした柔らかさも大きいのかもしれません。
準ミス成城という情報は本当?
水原恵理さんについて調べていると、大学時代に「準ミス成城」に選ばれたという情報を見かけることがあります。
いくつかの人物紹介サイトでは、このエピソードが掲載されています。
ただし、現在のテレビ東京公式プロフィールや、確認できる本人インタビューでは、準ミス成城について本人が触れているものは見当たりません。
現時点では「準ミス成城だったと紹介する二次資料がある」というところまでにしておくのがよさそうです。
水原さんの大学時代を知るうえでは、ミスコンよりも、ホッケーでインカレまで進んだことや、マスコミを学んでいたことのほうが、現在の仕事とのつながりはわかりやすいでしょう。
水原恵理の学歴についてよくある疑問
ここまで見てきた内容をもとに、水原恵理さんの学歴について気になりやすいところをまとめます。
学校名だけでなく、その時代に何をしていたのかまで合わせて見ると、学生時代の流れがつかみやすくなります。
水原恵理の学歴を見ると現在の仕事につながる理由がよくわかる
水原恵理さんの学歴は、成城学園高等学校から成城大学文芸学部へ進んだという流れで知られています。
中学ではバレーボール、高校ではグランドホッケーに取り組み、インターハイへ出場。
大学でもホッケーを続け、インカレや全国規模の大会を経験しました。
その一方で、大学ではマスコミについて学んでいます。
そして友人からの後押しもあり、アナウンサーの道を意識するようになりました。
1999年にテレビ東京へ入社してからは、スポーツだけでなく、ニュースや情報番組などさまざまな分野で仕事を続けています。
- 全国大会まで競技を続けた粘り強さ
- 団体競技で身につけたチーム感覚
- 大学で学んだマスコミへの関心
- わからないことを調べ、人に聞く姿勢
- 目標を決めると深く取り組む性格
どれか一つだけで現在の水原さんができあがったわけではないのでしょう。
スポーツに夢中だった時間も、大学でマスコミを学んだ時間も、友人に背中を押された経験も、少しずつ重なっています。
テレビ東京の公式プロフィールに今も「ホッケーインターハイ、インカレ出場」と書かれているのを見ると、学生時代の経験は、水原さんにとって今も大切な原点なのだと思います。
水原恵理さんの学歴を見ていくと、学校名そのもの以上に、成城学園高校と成城大学で過ごした時間の中で、スポーツとマスコミの両方に向き合ってきたことが、今のアナウンサーとしての姿につながっていることがよくわかります。
