『ウイニング競馬』をはじめ、スポーツ番組やバラエティーなど幅広い番組に出演しているテレビ東京の冨田有紀アナウンサー。
明るく親しみやすい雰囲気が印象的ですが、学生時代をたどってみると、かなり行動力のある人だったことがわかります。
冨田有紀さんの最終学歴は、上智大学外国語学部ドイツ語学科卒業です。
大学では語学を学びながら、体育会ラグビー部のマネージャーとして活動。しかも茨城県の実家から東京まで、毎日かなりの時間をかけて通っていました。
一方、出身高校や中学校、小学校については、本人やテレビ東京から校名までは公表されていません。
この記事でわかること
- 冨田有紀さんの最終学歴と大学の学部・学科
- 出身高校として名前が挙がる学校は確定情報なのか
- 高校・大学時代の部活動や留学経験
- アナウンサーを目指した時期とテレビ東京入社までの流れ
冨田有紀の学歴をわかりやすく整理
冨田有紀さんの学歴で、はっきり確認できるのは大学です。
高校以前は学校名こそ公表されていませんが、高校時代の部活動や進路を考えたきっかけについては本人がかなり詳しく話しています。
- 小学校・中学校
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茨城県で育っていますが、学校名は公表されていません。
- 高校
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高校名は公表されていません。高校時代はサッカー部のマネージャーをしていました。
- 大学
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上智大学外国語学部ドイツ語学科。大学では体育会ラグビー部のマネージャーも務めています。
こうして見ると華やかな経歴に感じますが、実際の学生生活はかなり地道です。
長い通学時間の中で勉強し、部活動を続け、留学や部費のためにアルバイトもする。冨田さんの場合、「どこの大学を出たのか」だけでなく、そこでどう過ごしたのかにも人柄がよく表れています。
冨田有紀の出身大学は上智大学外国語学部ドイツ語学科
冨田有紀さんは、上智大学外国語学部を卒業しています。
テレビ東京が新人アナウンサーとして紹介した際にも、「上智大学外国語学部卒」と掲載されています。
さらに、上智大学体育会ラグビー部の公式noteでは、冨田さん本人が大学4年生のときに「外国語学部ドイツ語学科4年」と自己紹介しています。
大学については、上智大学外国語学部ドイツ語学科まで本人発信で確認できます。ネット上の推測ではなく、根拠のはっきりした学歴情報ですね。
高校時代から外国語に興味があった
冨田有紀さんが上智大学を目指した理由のひとつが、外国語への興味でした。
高校生のころから外国語に憧れがあり、特に英語が好きだったそうです。
また、茨城県で育った冨田さんには、「東京の大学へ行ってみたい」という気持ちもありました。
そんな高校時代に、当時お世話になっていた先生からアナウンサーという職業を勧められます。
その言葉をきっかけに思い出したのが、小学生のころに見たテレビ局のイベントでした。
東京でイベントを観覧したあと茨城へ戻り、テレビをつけると、その会場をアナウンサーが楽しそうに紹介していたそうです。
子どものころにぼんやり抱いた憧れと、高校時代の進路選択が少しずつつながっていったのでしょう。
「外国語を学びたい」「東京へ出たい」「アナウンサーにも挑戦してみたい」。いくつかの思いが重なった先に、上智大学への進学があったようです。
大学ではドイツ語とヨーロッパについて学んだ
上智大学では、外国語学部ドイツ語学科に在籍していました。
ドイツ語だけを学んでいたわけではなく、本人によるとヨーロッパの政治経済についても勉強していたそうです。
テレビ東京へ入社したばかりのころには、大学で学んだドイツ語を生かして、いつかヨーロッパのニュースを伝えてみたいという目標も話していました。
テレビ東京の公式プロフィールには、資格としてドイツ語検定2級も掲載されています。
大学を卒業すれば語学の勉強も終わり、というわけではありません。
入社後もドイツ語を勉強したり、ドイツ語の新聞を読んだりしていた時期があり、準1級を目指していると話したこともありました。
学生時代に選んだ専攻が、その後も自分の強みのひとつとして残っているようですね。
茨城県の実家から上智大学まで往復約5時間
冨田有紀さんの大学生活で驚くのが、通学時間です。
上智大学があるのは東京・四谷ですが、冨田さんは大学4年間、茨城県の実家から通っていました。
本人によると、通学には往復で約5時間かかっていたそうです。
毎日の通学だけでもかなりの時間ですが、大学では体育会ラグビー部のマネージャーもしていました。
授業もしっかり受けなければならないので、電車に乗っている時間を勉強に使っていたそうです。
常磐線では膝の上に電子辞書を置き、そのまま勉強していたと振り返っています。
限られた時間の中で準備する習慣は、アナウンサーになってからも変わっていません。
上智大学では体育会ラグビー部のマネージャー
冨田有紀さんの大学時代を語るうえで、ラグビー部の存在は外せません。
上智大学体育会ラグビー部で、4年間マネージャーを務めています。
高校時代もサッカー部のマネージャーだったため、合わせると約7年間、選手を支える立場にいたことになります。
最初からラグビーが好きだったわけではない
少し意外ですが、冨田有紀さんは最初からラグビーが大好きで入部したわけではありません。
同じ茨城県出身の先輩に誘われたことがきっかけだったそうです。
本人も、最初は流されるように入部したところがあったと振り返っています。
ところが、続けていくうちにチームの中で自分の居場所を見つけていきました。
マネージャーの仕事には、タイムキーパーやテーピングがあります。試合中に選手がけがをすれば、プレーが続いているグラウンドへ入って対応することもあったそうです。
マネージャーだけでも約20人いる大きな組織だったため、最初は「自分に何ができるんだろう」と悩むこともありました。
選手や後輩が話しかけやすい存在を目指した
事務作業が得意な人もいれば、テキパキ仕事を進められる人もいる。
そんな中で冨田さんは、自分にできることを考えました。
そして意識するようになったのが、選手や後輩へ自分から声をかけることです。
体調が悪そうな後輩に気づいたら話しかける。選手にテーピングをしながら何気ない会話をする。
目に見える仕事の量だけではなく、「この人なら話しても大丈夫」と思ってもらえる存在になろうとしていたそうです。
この経験は、現在の仕事にもつながっています。アナウンサーも、自分が話すだけではなく、出演者の話を引き出したり、会話をつないだりする仕事。冨田さんは新人時代から、周囲を生かせる存在になりたいと話していました。
練習場まで往復8時間かかる日もあった
大学への通学だけでも往復約5時間でしたが、ラグビー部の活動日はさらに大変でした。
練習場所によっては、茨城県の実家から神奈川県秦野まで移動し、往復約8時間になることもあったそうです。
ここまで聞くと、「そこまでして続けるの?」と思ってしまいますよね。
実際、入部したときはラグビーへの強い思いがあったわけではありません。
それでも4年間続け、引退するときには終わってしまうことへの寂しさを感じるほど、大切な場所になっていました。
高校時代はサッカー部のマネージャー
大学ではラグビー部のマネージャーだった冨田有紀さんですが、人を支える経験は高校時代から始まっています。
高校ではサッカー部のマネージャーをしていました。
学校名については公表されていませんが、高校生活については本人がいくつか印象的なエピソードを話しています。
出身高校は土浦第三高校なの?
冨田有紀さんの出身高校を調べると、「茨城県立土浦第三高校」という情報を見かけることがあります。
ただし、出身高校は公表されていません。
本人やテレビ東京が土浦第三高校と明かした一次情報は確認できないため、現時点では確定情報として扱わないほうがよさそうです。
一方、高校時代にサッカー部のマネージャーをしていたことは本人が明らかにしています。
学校名はわからなくても、どんな高校生活を送っていたのかはかなり見えてきます。
幼なじみの影響でサッカー部へ
サッカー部のマネージャーになったきっかけは、幼なじみがサッカーをしていたことでした。
実際に始めてみると、仕事は想像していたほど華やかではなかったそうです。
ビブスを洗ったり、タイムを計ったりと、地道な仕事も多くありました。
それでも、けがをした選手を支えたときに「自分も役に立てた」と感じることがあり、少しずつやりがいを感じるようになったといいます。
高校の卒業式では、後輩たちが感謝の言葉を書いた色紙を贈ってくれました。
自分では何気なくかけた言葉を、後輩が覚えてくれていたこともあったそうです。
表立って評価される仕事ではなくても、ちゃんと誰かに届いていた。
大学でもマネージャーを続けたことを考えると、この高校時代の経験はかなり大きかったのでしょう。
小学校と中学校の校名は公表されていない
冨田有紀さんの小学校と中学校についても、信頼できる資料で校名は確認できません。
茨城県出身であることは公表されていますが、住んでいた地域から学校を推測して断定することはできません。
一方で、子どものころの性格については本人がいろいろと話しています。
幼いころはかなり活発なタイプ
テレビで見る冨田有紀さんは、やわらかく落ち着いた印象があります。
でも子どものころは、かなり活発だったそうです。
学校では男子と一緒に応援団をするようなタイプで、幼少期はあまり人見知りもしなかったといいます。
町内には男子の同級生が多く、一緒に外で遊ぶことも多かったそうです。
足の速い子たちに負けたくないと思って走っているうちに、自分もリレーの選手に選ばれるようになりました。
本人も、自分には負けず嫌いな部分があると話しています。
ダンスやバレーボールも経験
冨田有紀さんは、幼いころからダンスを続けていました。
幼稚園のころから体操教室やダンス教室に通い、その後も長く続けています。
大学1年生までダンスを続け、区切りとしてニューヨークへ渡ったことも本人が話しています。
バレーボールの経験もあります。
ただし、「中学校ではバレーボール部だった」といった具体的な所属までは、本人の発言から確認できません。
競技をする側と、選手を支える側。その両方を経験してきたことは、後にスポーツ番組を担当するうえでも役立っているのでしょう。
大学時代にはニューヨークとドイツへ留学
冨田有紀さんには、ニューヨークとドイツへの留学経験があります。
どちらも長期留学ではありません。
ただ、特にニューヨーク留学は、大学生活のひとつの節目になっていました。
ニューヨーク留学はダンスとの区切り
冨田有紀さんは、幼いころから「ガールズ」と呼ばれるジャンルのダンスを続けていました。
しかし大学では、ラグビー部のマネージャーとして本格的に活動することになります。
そこで長く続けてきたダンスを辞めることにしました。
大学1年生の夏、ダンスに自分なりの区切りをつけるためにニューヨークへ渡ったそうです。
単に「海外へ行ってみたかった」という留学ではなく、子どものころから続けてきたものを一度終えて、新しい大学生活へ進むための旅でもあったわけですね。
留学費や部活動費はアルバイトで準備
大学時代の冨田有紀さんを知るうえで、もうひとつ印象に残るのがアルバイトです。
家庭では、大学生になったら「やりたいことは自分で計画し、自分で準備する」という方針があったそうです。
留学したいなら留学費を準備する。部活動を続けたいなら部費や合宿費も自分で出す。
冨田さんはその方針のもとで、かなり忙しく働いていました。
留学前には、ラグビー部を続けながら週7日アルバイトをしていた時期もあったといいます。
アルバイトが終わって深夜1時半ごろに帰宅し、翌朝は始発で部活動へ向かうこともありました。
- 茨城県から東京まで往復約5時間かけて通学
- ドイツ語やヨーロッパについて勉強
- 体育会ラグビー部のマネージャーとして活動
- 留学費や部費のためにアルバイト
- ニューヨークとドイツへの短期留学
- 電車での移動時間も勉強に活用
アルバイト先の選び方にも、冨田さんらしさがあります。
外国語に触れるため、外国人のお客さんが多い焼肉店で働いていたことがありました。
一方で、短い時間で効率よく働ける球場の売り子も経験しています。
「忙しいから諦める」というより、「どうすれば全部できるか」を考えていたのでしょう。
ドイツ留学の詳しい場所や期間は不明
ドイツへの留学については、本人が経験を明かしています。
ただし、滞在した都市や学校名、具体的な期間までは公表されていません。
そのため、「ドイツへ短期留学した」というところまでが確認できる情報です。
ドイツ語学科に在籍し、ドイツ語検定2級も取得しているので、ドイツやその文化への関心が深かったことは伝わってきます。
2019ミス・アース・ジャパンでは茨城県代表
大学時代の冨田有紀さんには、もうひとつ少し意外な経験があります。
2019ミス・アース・ジャパンに、茨城県代表として出場しています。
大会の公式アーカイブにも、21歳の大学生として名前が掲載されています。
当時の趣味・特技には、クラシック音楽とダンスが挙げられていました。
華やかな経験はあっても学生キャスターではなかった
ミスコンの全国大会に出ていたと聞くと、大学時代から芸能活動や放送活動を積極的にしていたように感じるかもしれません。
ただ、冨田有紀さんは学生キャスターとして放送経験を積んでいたタイプではありません。
テレビ東京へ入社したあと、学生時代から実践経験を積んできた人たちと比べて、自分には経験が足りないと感じていたことも話しています。
大学生活の中心にあったのは、授業とラグビー部、アルバイトでした。
ミス・アースのように人前へ出る経験もありながら、普段はマネージャーとして裏方をしている。
この両方を経験していたことが、今のアナウンサーという仕事にも生きているのかもしれません。
アナウンサーを本格的に目指したのは大学3年生
冨田有紀さんは、小学生のころからテレビの仕事に憧れ、高校では先生からアナウンサーを勧められていました。
とはいえ、大学に入ってすぐアナウンススクールへ通っていたわけではありません。
本格的に動き始めたのは、大学3年生の夏ごろでした。
採用試験の約2か月前から本格的に準備
本人によると、アナウンススクールへ通い始めたころには、採用試験まで約2か月しか残っていなかったそうです。
それまでは、アナウンサーになりたい気持ちはありながらも、自分が本当に目指せる仕事だとは思えていなかったといいます。
きっかけになったのは、同じ学科の先輩が実際にアナウンサーになったことでした。
それまで遠く感じていた仕事が、少しだけ現実的に見えるようになります。
ところがスクールへ行ってみると、周囲には早くから準備してきた学生がたくさんいました。
冨田さんはラグビー部、長時間の通学、アルバイトも続けていたため、就職活動だけに集中できる生活ではありませんでした。
背伸びをやめて自分らしく話すようになった
アナウンサーの採用試験も、最初からうまくいったわけではありません。
初めのころは、自分をよく見せようとして少し背伸びした受け答えになっていたそうです。
でも途中から、ありのままの自分を出す方向へ変えていきます。
好きな油そばの話をしたり、ラグビー部で個性豊かな選手たちと関わった経験から、自分を「猛獣使い」のように表現したりしたこともありました。
きれいに整った答えを並べるより、自分が本当に経験してきたことを自分の言葉で話す。
そこから少しずつ、面接でも手応えを感じられるようになったようです。
2021年にテレビ東京へ入社
冨田有紀さんは2021年に上智大学を卒業し、テレビ東京へ入社しました。
新人時代のプロフィールには、上智大学外国語学部卒という学歴に加え、ニューヨークでのダンス留学、ドイツ語検定2級、テーピングなどが紹介されています。
大学で経験してきたことが、そのままプロフィールに並んでいた形ですね。
入社後は約2か月半の研修を受け、『テレ東音楽祭』で番組デビューしました。
ただ、本人の中では順調なスタートという感覚ばかりではなかったようです。
学生キャスターを経験してきた人と比べると、自分は実践経験が少ない。茨城弁もなかなか抜けない。
そんな状態から、一つずつ技術を身につけていったそうです。
冨田有紀の学歴から見える性格
学生時代のエピソードを並べてみると、冨田有紀さんの性格にもいくつか共通するところがあります。
テレビではふんわりした雰囲気に見えることもありますが、その裏ではかなり地道に準備するタイプのようです。
見えないところでコツコツ準備する
大学時代は茨城県から東京まで長時間通学しながら、授業と部活動、アルバイトを続けていました。
移動時間も勉強に使い、留学や部活動の費用も自分で準備しています。
かなり計画的に動かないと続けられない生活ですね。
テレビ東京へ入社してからも、この姿勢は変わっていません。
同期のアナウンサーからも、担当する分野について自分で時間をつくって勉強する真面目な人だと評されています。
本人も2026年のインタビューで、仕事は準備が大部分を占めると感じるようになったと話していました。
自分が目立つより周囲を生かしたい
高校ではサッカー部、大学ではラグビー部。
約7年間、冨田有紀さんはマネージャーとして選手を支えてきました。
大学のラグビー部でも、選手や後輩が話しかけやすい存在になることを意識していました。
相手の体調や気持ちに気づき、自分から声をかける。
こうした経験は、今のアナウンサーという仕事にも重なります。
冨田さんは新人時代、自分は「白米」のような存在になりたいという趣旨の話もしていました。
白米だけが主役になるというより、おかずを引き立てながら全体をまとめる存在です。
少しユニークなたとえですが、マネージャー時代を知ると、本人らしい考え方だと感じます。
知らないことでもまずやってみる
冨田有紀さんの経歴を見ていると、最初から得意だったことばかりではありません。
ラグビー部も、もともとラグビーが大好きだったわけではありません。
アナウンサー試験も準備を始めるのは遅めでした。
テレビ東京へ入社してから担当した競馬も、最初はほとんど知識がなかったそうです。
それでも、わからないことをそのままにせず、少しずつ勉強していく。
「得意だから続ける」というより、「始めたあとに自分なりの面白さを見つける」タイプなのかもしれませんね。
上智大学での経験は現在の仕事にもつながっている
冨田有紀さんの大学生活を見ると、当時はバラバラに見えた経験が、今の仕事の中で少しずつつながっています。
語学、海外経験、体育会のマネージャー。
どれも今のスポーツ取材や海外取材と相性のいい経験です。
スポーツ番組でマネージャー経験を生かす
冨田有紀さんは、『ウイニング競馬』をはじめ、スポーツに関わる番組を多く担当しています。
高校ではサッカー部、大学ではラグビー部のマネージャーだったため、スポーツの現場は学生時代から身近なものでした。
選手の体調を見る。けがをしたときに対応する。試合の裏で何が起きているかを知る。
競技結果だけではなく、選手を支える人たちの存在も知っています。
2026年には、ミラノ・コルティナオリンピックの現地キャスターも担当しました。
学生時代は選手を支える側だった人が、今は世界大会で選手の言葉や競技の魅力を伝える側になっています。
語学の勉強が海外取材にも生きている
上智大学外国語学部ドイツ語学科で学んだ経験も、今の仕事に少しずつ生かされています。
競馬の海外取材では、アイルランドやフランスを訪れ、現地の関係者へ英語でインタビューする機会もありました。
本人は取材へ向かう前、普段の競馬の勉強に加えて、「競馬で使う英語」も改めて勉強したそうです。
大学時代には、外国語に触れるため外国人のお客さんが多い焼肉店をアルバイト先に選んでいました。
数年後には、海外の競馬場で外国人関係者へ実際に取材しています。
大学で外国語を学んだから、すぐ海外取材ができたわけではありません。むしろ印象的なのは、必要になったらその都度また勉強する姿勢です。この部分は学生時代からあまり変わっていません。
冨田有紀の学歴と経歴を時系列で見る
ここまでの学生生活を時系列で並べると、現在の仕事につながっていく流れが見えやすくなります。
特に印象的なのは、「アナウンサーになるためのことだけ」をしてきたわけではないところです。
幼少期〜高校
ダンスや運動を経験。高校ではサッカー部のマネージャーを務め、外国語やアナウンサーという仕事にも興味を持つようになります。
上智大学外国語学部ドイツ語学科へ進学
茨城県から通学しながら、体育会ラグビー部のマネージャーを4年間務めます。
留学やミス・アースも経験
ニューヨークとドイツへ短期留学。2019ミス・アース・ジャパンでは茨城県代表に選ばれています。
アナウンサー採用試験への挑戦を本格化
大学3年生の夏ごろからアナウンススクールへ通い、本格的な就職活動を始めます。
テレビ東京へ入社
上智大学を卒業後、テレビ東京のアナウンサーとして活動をスタートしました。
冨田有紀の学歴で印象的なのは大学名だけではない
冨田有紀さんの最終学歴は、上智大学外国語学部ドイツ語学科卒業です。
テレビ東京は外国語学部卒と紹介しており、本人も大学4年生のころにドイツ語学科に在籍していることを明らかにしています。
一方、出身高校や中学校、小学校の校名は公表されていません。
高校については具体的な学校名を挙げる情報もありますが、本人やテレビ東京による確認が取れていないため、現時点では断定しないほうが自然です。
学歴を追っていく中で、いちばん印象に残るのは、上智大学という名前そのものよりも学生時代の過ごし方です。
茨城県の実家から東京まで往復約5時間をかけて通い、体育会ラグビー部のマネージャーとして活動。
練習場所によっては往復約8時間になる日もありました。
それでも授業を受け、アルバイトをし、自分で費用を準備して留学にも挑戦しています。
アナウンサー試験の準備を本格的に始めたのも、大学3年生の夏ごろと決して早くありませんでした。
学生キャスターとして経験を積んでいたわけでもありません。
その代わり、長い通学時間を勉強に変える習慣や、誰かを支えるマネージャー経験、知らないことにも飛び込む行動力を持っていました。
テレビ東京へ入社したあとも、その姿勢はあまり変わっていません。
競馬を一から勉強し、海外取材では英語を準備し、2026年にはオリンピックの現地キャスターも担当しています。
冨田有紀さんは上智大学外国語学部ドイツ語学科卒業です。
ただ、学生時代を詳しく見ると、「有名大学を卒業した人」という一言だけでは収まりません。
長時間通学をしながら勉強と体育会活動を続け、自分で費用を準備して留学にも挑戦。高校から大学まで約7年間、マネージャーとして人を支えてきました。
必要なことを一つずつ覚えながら、自分の得意な形を見つけてきたことが、現在の仕事にもつながっているようですね。
冨田有紀の学歴についてよくある疑問
最後に、冨田有紀さんの学歴について特に気になりやすいところをまとめておきます。
