テレビ東京のアナウンサーとして、『モヤモヤさまぁ~ず2』をはじめ、報道や経済番組にも出演している斎藤陽アナ。
テレビ東京では、旧字体を使った「齋藤陽(さいとう・よう)」という名前で紹介されています。
明るく親しみやすい雰囲気が印象的ですが、学生時代をたどってみると、高校時代のアメリカ留学や慶應義塾大学でのメディア研究など、今の仕事につながる経験をかなり早い時期から積んできたことが分かります。
「出身高校はどこなんだろう?」「慶應では何を勉強していたの?」と気になっている人も多いかもしれませんね。
- 大学は慶應義塾大学法学部政治学科
- 高校2年の夏からアメリカへ1年弱留学
- 中学校と高校の正式な学校名は公表されていない
- 大学では選挙報道や政治とメディアについて研究
- 大学1年からアナウンサーになるための準備を始めていた
学校名だけを見るよりも、どんな学生生活を送り、そこで何を感じたのかまで見ていくと、齋藤陽アナの人物像がずっと分かりやすくなります。
斎藤陽の学歴を分かっている範囲で整理
まずは、これまでに確認されている学歴や学生時代の流れを見てみましょう。
大学については学部・学科まで確認できますが、中学校と高校については学校名そのものが明らかになっていません。そのため、ここでは確認できている事実と、まだ分かっていないことを分けて整理しています。
| 時期 | 学歴・経験 | 分かっていること |
|---|---|---|
| 中学まで | 山形県で生活 | 中学・高校では陸上部 |
| 高校時代 | 日本の高校に在籍 | 高2夏からアメリカへ留学 |
| 留学後 | 日本の高校へ復学 | 高校2年生として戻る |
| 大学 | 慶應義塾大学 | 法学部政治学科 |
| 大学時代 | メディア研究 | 選挙報道などを研究 |
| 大学時代 | アナウンス活動 | 学生キャスターなどを経験 |
| 2025年 | テレビ東京 | アナウンサーとして入社 |
こうして並べてみると、高校時代の留学と大学での専攻が、かなり自然につながっていることが分かります。
特にアメリカで政治や社会について話し合う文化に触れた経験は、その後の進路にも大きく影響したようです。
出身中学校の名前は公表されている?
齋藤陽アナは山形県出身で、中学校までは山形県で過ごしていました。
ただ、具体的な中学校名までは公表されていません。
- 出身中学校の正式名称は公表されていない
- 山形県で中学時代まで過ごしたことは本人の発言から確認できる
- 中学・高校では陸上部に所属していた
中学時代に分かっていることの一つが、陸上部で活動していたことです。
本人によると、特別に足が速かったというより、自分の記録を少しずつ更新することを目標にしていたそうです。
誰かに勝つことだけを追いかけるというより、自分のペースで積み重ねていくタイプだったのでしょう。
後に仕事への姿勢を「コツコツ精神」と表現していることを考えると、こうした性格は学生時代から大きく変わっていないのかもしれませんね。
山形の自然の中でのびのび育った
幼いころは、かなり外遊びが好きだったそうです。
鬼ごっこやどろだんご作りをしたり、春には田植えやさくらんぼ狩りをしたり。秋には稲刈り、冬になると山形蔵王でスキーも楽しんでいました。
少年自然の家の活動にも参加し、夏の星空の下や冬の雪山でテント泊をしたこともあったそうです。
都会的な印象を持っている人にとっては、少し意外な一面かもしれません。
兄が2人いて、子どものころは兄たちや、その友達と一緒に遊ぶことも多かったといいます。
年上の人たちの中に入って過ごすことが自然だったことも、現在の人との距離の取り方につながっているのかもしれませんね。
斎藤陽の出身高校はどこ?
学歴の中でも、特に気になる人が多いのが出身高校ですよね。
齋藤陽アナの出身高校については、今のところ本人やテレビ東京から正式な学校名は明かされていません。
- 出身高校の正式名称は確認できていません。
- ネット上にある特定の高校名は、公式発表とは分けて見る必要があります。
- 国分寺市と学生時代に接点があったことは確認されています。
学校名は分かっていませんが、高校時代にどんな生活をしていたかについては、本人がかなり詳しく語っています。
その中でも一番大きな出来事が、アメリカへの長期留学でした。
国分寺市には学生時代の思い出がある
齋藤陽アナと高校時代を調べていると、「国分寺」という地名を見かけることがあります。
これは、まったく根拠のない話ではありません。
『モヤモヤさまぁ~ず2』では、国分寺市が「新人・齋藤陽アナが通った街」として紹介されています。
つまり、学生時代に国分寺と何らかのつながりがあったことまでは確認できます。
ただし、「国分寺に通っていた」という情報と、「国分寺にある特定の高校を卒業した」という話は別です。
学校名までは公式に示されていないため、現時点では「国分寺と学生時代に接点があった」と見るのが自然でしょう。
高校でも陸上部を続けていた
中学から始めた陸上は、高校でも続けています。
本人は競技について、ものすごく速い選手だったという話ではなく、自己記録の更新を楽しみにしていたと話しています。
自分で決めた目標に向かって、地道に続けることが好きだったのでしょう。
そして、この陸上経験は後のアメリカ留学でも思わぬところで役に立つことになります。
留学当初は英語がうまく話せなかったものの、現地でスポーツに参加したことで、言葉だけに頼らず友達を作ることができたからです。
高校2年の夏からアメリカへ1年弱留学
齋藤陽アナの高校時代で、大きな転機になったのがアメリカ留学です。
本人によると、高校2年の夏から高校3年の夏ごろまで、1年弱アメリカで暮らしていました。
滞在方法はホームステイで、留学先はオレゴン州だったと明かしています。
- 高校2年夏から高校3年夏まで1年弱滞在
- ホームステイをしながら現地の高校へ通学
- クロスカントリー、スイミング、陸上に参加
- 合唱団では州大会優勝を経験
- 介護施設で友人と折り紙教室を開催
単に英語を学ぶだけではなく、学校生活やスポーツ、合唱、地域活動まで、かなり積極的に現地の生活へ入っていったようです。
留学を考えたきっかけは父親と兄たち
長期留学を決めるきっかけには、家族の影響がありました。
父親と2人の兄も、高校時代に留学を経験していたそうです。
身近な家族から海外生活の話を聞く機会が多かったことで、「自分も外の世界を見てみたい」という気持ちが少しずつ強くなっていったのでしょう。
日本で参加したサマースクールでタイ人の友人と出会ったことも、背中を押してくれた出来事の一つでした。
家族に留学経験があったとはいえ、実際に海外へ行くのは本人です。
高校生で1年近く生活環境を変えるのは、やはりかなり思い切った選択ですよね。
最初から英語が得意だったわけではない
海外留学と聞くと、「もともと英語がかなり得意だったのでは」と思うかもしれません。
ところが、本人が振り返っている留学初期の様子は少し違います。
アメリカに着いたとき、スーツケースの車輪が壊れてしまったものの、助けを求める英語が分からず泣いてしまったことがあったそうです。
ホームステイ初日の朝にも、ホストマザーから卵料理について聞かれていることが理解できず、絵を描いて説明してもらったことがありました。
- 最初から英語が流暢だったわけではない
- 言葉が分からない時期にもスポーツや合唱へ参加
- できる方法を探しながら友人関係を作っていった
英語が分からないからと学校生活から距離を置くのではなく、むしろ自分からいろいろな活動に参加していったところが印象的です。
クロスカントリーの仲間には、それぞれのシューズの色に合わせた小さなフェルトの靴を手作りしてプレゼントしたこともあったそうです。
話すことだけがコミュニケーションではないと考えて、自分なりに関係を作ろうとしていた様子が伝わってきます。
合唱団では州大会優勝も経験
スポーツだけでなく、合唱団にも入っていました。
仲間と練習を重ね、州大会では優勝を経験しています。
大会前には友達の家に集まり、それぞれ料理を持ち寄ったこともあったそうです。
齋藤陽アナはカレーやロールケーキを作って参加したと話しています。
中高では陸上、アメリカでは合唱、その後は大学の文化祭実行委員。
一人で黙々と頑張る活動だけではなく、みんなで一つのものを作ることも昔から好きだったようですね。
政治や社会を話し合う文化に驚いた
アメリカ留学がその後の進路に強く影響したのが、現地での授業や家庭での会話です。
アメリカでは、政治や社会で起きていることについて、生徒が自分の意見を話す機会が身近にあったそうです。
授業でも先生の話を一方的に聞くだけではなく、グループで考えたり、プレゼンをしたりすることが多くありました。
ホストファミリーの家でも、社会で起きていることについて話すことは特別なことではなかったようです。
そうした環境に触れたことで、齋藤陽アナは「いろいろな角度から物事を見ること」を意識するようになったと話しています。
この経験が、後に大学で政治やメディアを学ぶことにつながっていきました。
帰国後は高校2年生として復学
留学を終えて日本に戻ったあとには、少し珍しい選択もしています。
帰国後、高校3年生へ進むか、高校2年生に戻るかを選べたそうです。
齋藤陽アナは、大学受験までの時間を考えて高校2年生として復学する道を選びました。
1学年下の人たちと同級生になることには、最初は迷いもあったようです。
ただ、結果的には留学前の学年にも復学後の学年にも友達ができ、楽しい高校生活になったと振り返っています。
早く卒業することを優先するのではなく、その先の進学まで考えて時間を取る。そう考えると、かなり落ち着いた判断だったのかもしれません。
留学中の友人とは今もつながっている
留学生活は、帰国したところで終わりではありませんでした。
大学時代には再びアメリカを訪れ、現地の友人と再会したこともあります。
逆に、留学中に知り合った友人が日本へ遊びに来たこともあったそうです。
社会人になってからも、当時のホストファミリーとの交流は続いています。
高校時代の1年弱が、単なる「海外経験」という肩書ではなく、その後も続く人間関係になっているんですね。
斎藤陽の大学は慶應義塾大学法学部政治学科
高校卒業後は、慶應義塾大学へ進学しています。
所属していたのは法学部政治学科です。
慶應義塾大学が公開している研究資料にも名前と学部・学科が記載されているため、この点ははっきり確認できます。
- 慶應義塾大学法学部政治学科に在籍
- 大学2年で選挙報道について研究
- 大学3年で政治とメディアの役割を研究
- 将来は選挙特番にも携わりたいと語っている
そして興味深いのは、大学名そのものより、そこで何を研究していたのかです。
高校時代にアメリカで社会について話し合う文化に触れた経験が、大学での学びへつながっていました。
大学2年で選挙報道を研究
大学2年のころには、山腰修三ゼミの研究活動に参加しています。
研究テーマは、2022年の参議院議員選挙を題材に、選挙報道のあり方を考えるものでした。
選挙そのものだけを見るのではなく、「メディアが選挙をどう伝えるのか」という部分に目を向けていたことになります。
高校時代、アメリカで社会について話す人たちの姿に驚いた経験を考えると、関心の向き方にもつながりがあります。
若い人が社会の出来事を身近に感じるために、メディアはどう情報を届ければいいのか。そうした問いを学生時代から考えていたようです。
大学3年では民主主義とメディアを研究
大学3年になると、研究テーマはさらに広がります。
安倍元首相銃撃事件を題材に、政治暴力とメディアの役割について考える共同研究に参加していました。
新聞やネットメディアなど、それぞれの媒体が社会の中でどんな役割を持つのかを検討しています。
特に、社会や政治に詳しくない若い世代へ、ニュースがどう届いていくべきかという点にも目を向けていました。
- 大学2年:選挙報道のあり方を研究
- 大学3年:政治暴力とメディアの役割を研究
- 入社後:将来は選挙特番を担当したいと発言
高校時代に感じたことを大学で学問として深め、その関心が現在の仕事にもつながっていることが分かります。
慶應への入試方法は分かっていない
「慶應義塾大学には、どの入試方法で入ったの?」という点も気になりますよね。
ただ、具体的な入試方式は公表されていません。
- 一般入試だったのかは不明
- 推薦・総合型選抜だったという公式情報も確認できない
- 高校時代の留学歴だけから入試方式を判断することはできない
確認できるのは、慶應義塾大学法学部政治学科に進み、政治やメディアについて研究していたというところまでです。
大学では文化祭実行委員にも参加
大学生活では、勉強だけをしていたわけではありません。
文化祭の実行委員にも参加していました。
本人は、みんなで一つの本番を作っていく時間が好きだったと話しています。
これまでの経験を振り返ってみると、この感覚は何度も出てきます。
テレビ局と文化祭には似ている部分もあった
テレビ番組も、一人では作れません。
アナウンサーや出演者だけでなく、制作スタッフや技術スタッフなど、たくさんの人が一つの放送に向けて動きます。
本人も、文化祭実行委員の活動とテレビ局の仕事には、どこか似たところがあると感じていたそうです。
子どものころには弦楽合奏団でバイオリンも経験し、高校時代のアメリカ留学では合唱団にも参加しています。
表に立つことだけではなく、みんなで一つのものを完成させる環境そのものが好きだったのかもしれませんね。
大学時代にはヨーロッパも一人旅
海外への興味は、アメリカ留学が終わったあとも続いていました。
大学時代には、バックパックを背負ってヨーロッパを旅しています。
テレビ東京への入社を控えたころには、「本当に自分にアナウンサーができるのかな」と不安になり、約1カ月かけてヨーロッパを一人で回ったこともあったそうです。
高校時代もそうでしたが、迷ったときに環境を変えて自分の気持ちを整理するところがあります。
旅をする中で、「できるかどうかを考え続けるより、まずやってみよう」と気持ちを切り替えられたと話しています。
大学1年からアナウンサーを目指して準備
アナウンサーを目指したのは、就職活動が始まってからではありません。
大学1年生のころからアナウンススクールへ通っていました。
大学では政治やメディアを学びながら、学外では話し方や伝え方を練習する。かなり早い段階から、将来を考えて動いていたようです。
- 大学1年からアナウンススクールへ
- 基礎・応用・選抜クラスなどで練習
- 学生アナウンス大賞でファイナリスト
- 学生キャスターとして放送を経験
- 2025年にテレビ東京へ入社
アナウンススクールで基礎から練習
フジテレビのアナウンサースクール「アナトレ」では、基礎、応用、選抜クラスなどを受講しています。
BS学生キャスターのコースにも参加していました。
一度だけ講習を受けたというより、段階を踏みながら練習していたことが分かります。
人前で話すことにまったく緊張しないタイプかと思いきや、本人には人見知りな一面もあるそうです。
だからこそ、早い時期から練習を重ねていたのかもしれません。
学生アナウンス大賞で1600人超からファイナリストに
大学2年だった2023年には、「学生アナウンス大賞」に出場しています。
1600人を超える応募者の中から選ばれたファイナリストは10人。
齋藤陽アナも、その10人の一人に入っていました。
グランプリを取ったわけではありませんが、応募者の多さを考えると、かなり狭いところまで残ったことになります。
大学の研究と並行して、アナウンサーになるための準備も本格的に進めていた時期です。
学生キャスターとして放送現場へ
大学時代には、学生キャスターとして実際の放送も経験しています。
学校でメディアを学び、スクールで話し方を練習し、さらに放送の現場にも立つ。
大学生活の中で、かなり早くから「伝える仕事」の経験を積んでいたことが分かります。
ここまでの流れを並べてみると、テレビ東京への入社が急に決まったわけではありません。
何年もかけて、少しずつ準備してきた結果だったようです。
学生時代から見える斎藤陽の性格
学校名だけでは、その人の性格まではあまり見えてきません。
でも齋藤陽アナの場合、学生時代のエピソードを追っていくと、いくつか共通する部分があります。
特に感じるのは、最初から何でもできるタイプではなくても、少しずつ自分の居場所を作っていく人だということです。
苦手でも少しずつ慣れていく
本人には、人見知りな一面があるそうです。
アナウンサー試験や取材でもかなり緊張することがあり、心拍数が大きく上がっていたこともあったと話しています。
それでも、大学1年からアナウンススクールへ通い続けました。
アメリカ留学でも、英語が分からないからと閉じこもるのではなく、スポーツや合唱などに参加しています。
得意だから始めるというより、やっていくうちに少しずつ慣れていくタイプなのかもしれません。
「コツコツ精神」という本人の言葉も、かなりしっくりきますね。
人との関係を作る方法がやさしい
留学中のエピソードには、人との付き合い方もよく表れています。
友達に手作りのフェルトの靴を贈ったり、介護施設で折り紙教室を開いたり。
ホストファミリーには、日本の料理を作ることもありました。
言葉だけで何とかしようとせず、「今の自分にできること」で相手との距離を縮めようとしていたのでしょう。
初対面の人と話すことが多い今の仕事でも、こういう感覚は役に立っていそうです。
一人で目立つよりみんなで作るのが好き
学生時代を通して、チームで取り組む活動が多く出てきます。
陸上、合唱、文化祭実行委員、弦楽合奏。
本人自身も、一人で何かを成し遂げるより、みんなと一緒に達成することのほうが好きだと話しています。
アナウンサーは目立つ仕事に見えますが、テレビ番組そのものはチームで作るものです。
そう考えると、学生時代から好きだった環境の延長に、今の仕事があるとも言えそうですね。
物事を一つの見方だけで決めない
アメリカ留学で身についたものとして、本人が話しているのが「いろいろな角度から見ること」です。
同じ問題でも、人によって考え方は違います。
留学先でそうした場面に触れたことで、違う意見があることを自然に受け止めるようになったそうです。
大学では、その感覚を政治やメディアの研究へつなげました。
高校で感じたことが大学で学びになり、今は仕事の姿勢につながっているんですね。
学歴や留学経験は現在の仕事にどうつながっている?
齋藤陽アナは2025年にテレビ東京へ入社しました。
デビュー後は『モヤモヤさまぁ~ず2』の5代目アシスタントに就任。その後は経済や報道、スポーツの番組にも出演しています。
大学時代に政治やメディアを研究していたことを考えると、報道番組への出演は自然な流れにも見えます。
ただ、最初に広く知られるようになったのは街歩きバラエティーでした。
『モヤさま』では柔軟さが生きている
『モヤモヤさまぁ~ず2』では、初対面の人と話したり、予定通りにいかない場面に対応したりすることがたくさんあります。
かなりその場の空気を読む力が必要な番組です。
高校時代、英語が十分に話せない状態でアメリカへ入り、スポーツや音楽を通じて人間関係を作った経験を思い返すと、知らない場所へ入っていくことには昔から慣れていたのかもしれません。
もちろん、テレビ番組と留学生活はまったく同じではありません。
それでも、初めての環境で自分なりに居場所を作っていく力は、今の仕事にもつながっていそうです。
報道や経済では大学での学びが生きる
現在は『Newsモーニングサテライト』など、経済や報道に関わる番組にも出演しています。
高校時代に社会について話し合う文化に触れ、大学では選挙報道やメディアを研究してきました。
そうした経験があるだけに、ニュースを伝える仕事への関心は学生時代からかなり強かったことが分かります。
本人は、いつか選挙特番を担当したいとも話しています。
大学時代に選挙報道を研究していた人が、将来は実際の選挙特番で情報を伝える側を目指している。
ここは、学歴と現在の仕事がとても自然につながっている部分ですね。
斎藤陽の学歴についてよくある疑問
ここまでの内容から、特に気になりやすいポイントをまとめておきます。
高校名など、確認できていない情報についても分けて整理しています。
- 斎藤陽アナの大学はどこですか?
-
慶應義塾大学法学部政治学科です。大学では政治とメディアについて研究していました。
- 斎藤陽アナの出身高校はどこですか?
-
具体的な高校名は、本人やテレビ東京の公式情報では確認できていません。国分寺市と学生時代に接点があったことは確認されていますが、それだけで特定の高校を出身校と断定することはできません。
- 高校時代にアメリカへ留学していた?
-
はい。高校2年の夏から高校3年の夏ごろまで、1年弱アメリカ・オレゴン州へ留学していました。ホームステイをしながら現地の高校生活を経験しています。
- 慶應義塾大学にはどの入試方式で入った?
-
入試方式は公表されていません。一般入試、推薦、総合型選抜などのどれだったのかは、確認できる情報がありません。
- 学生時代からアナウンサーを目指していた?
-
大学1年からアナウンススクールへ通っています。学生アナウンス大賞のファイナリストや学生キャスターも経験しており、大学時代から本格的に準備していました。
斎藤陽の学歴を振り返ると今の仕事につながる経験が多い
齋藤陽アナの大学は、慶應義塾大学法学部政治学科です。
大学では選挙報道や政治とメディアについて研究しながら、大学1年からアナウンススクールにも通っていました。
学生アナウンス大賞では1600人を超える応募者の中からファイナリスト10人に選ばれ、学生キャスターとして放送も経験しています。
一方、中学校と高校の正式な学校名は現時点では公表されていません。
- 中学まで山形県で生活
- 中学・高校では陸上部
- 高校2年からアメリカへ1年弱留学
- 帰国後は高校2年生として復学
- 慶應義塾大学法学部政治学科へ進学
- 大学では政治とメディアを研究
- 学生時代からアナウンサーになるための経験を積む
齋藤陽アナの学歴を見ていて面白いのは、「慶應卒」という肩書だけでは見えてこない経験の多さです。
山形の自然の中で育ち、陸上を続け、高校では英語が十分に話せない状態からアメリカへ留学。
そこで社会について話し合う文化に触れ、大学では政治とメディアを学びました。
その一方で、文化祭の運営やアナウンススクール、学生キャスターにも挑戦しています。
一つひとつを見ると別々の経験ですが、順番にたどってみると、今のアナウンサーという仕事へ少しずつ近づいてきたことが分かります。
本人が目標にしているのは、「学びを止めないアナウンサー」。
高校名のようにまだ公表されていない部分を無理に埋めるより、本人が実際に話している留学経験や大学時代の研究を見ていくほうが、齋藤陽アナがどんな学生だったのかはずっと分かりやすいですね。
